職業王妃お披露目の舞踏会②



*****



「王様、王妃様のおなりでございます」


 両開きのとびらおごそかに開かれ、広間はいっしゅんにしてしんと静まった。

 そして現れた二人に、再び広間はそうぜんとした。

 マルティナは並んでみて初めて気づいたのだが、クラウスはマルティナの黒ドレスに合わせるように黒衣の正装姿だった。

 色とりどりの衣装で溢れる広間に異質な職業王妃の黒ドレスは、お揃いの黒衣の王が隣に並び立つだけで場になじみ、かんではなく特別な二人を演出してくれる。

 その黒衣の王の腕を持ち歩く様は、まぎれもなく王のただ一人の妻であった。


「ど、どういうことなの?」

「あのクラウス様が腕を預けておられるわ」

「王妃様を嫌ってらっしゃるのではなかったの?」


 腕を組んで真ん中の通路を歩く二人に、エリザベートをはじめとした令嬢達がくやしそうにひそひそ話す声が聞こえてくる。

 一人で惨めに現れる王妃を期待していた面々は、予想外のことに啞然としていた。


「どうやって陛下をかいじゅうしたのかしら?」

「あの職業王妃はあなどれないですわね、エリザベート様」

「……」


 エリザベートはマルティナをにらみつけ、無言のままくちびるみしめた。

 広間の一番奥に進むと、数段の階段を上っただんじょうに玉座がしつらえてある。

 玉座に座ることができるのは王と王妃だけだ。太上王と太上王妃はすでにこの座を退き、三階のバルコニー席で見守っている。


みなの者、今日はよく集まってくれた」


 最初にあいさつするのは王であるクラウスだった。


「はああ。やはりてきですわクラウス様。玉座がなんてお似合いなのかしら」


 令嬢達はうっとりと若い王にれている。


「皆に改めてしょうかいする。我が王妃となったマルティナ・ベネットだ。今宵は王妃主催の舞踏会を存分に楽しんでいってくれ」


「わあああ!」という祝福のかんせいに紛れて、令嬢達の不満の声がささやかれる。


「ううう。クラウス様の口から我が王妃なんて聞きたくなかったですわ」

「結婚式のように冷たくあしらわれるのかと思ったのに……悔しい……」


 いまだ妃の座を射止めた者がいなかっただけに、職業王妃ごときが我が物顔でクラウスの隣に立っているのが腹立たしい。ちょっとお似合いに見えるのが余計に悔しい。


「あのかがやくようなクラウス様の隣に地味な職業王妃様は似合いませんわね」


 しみのように言う者もいる。


「でも思ったよりもお若い方ではなくて?」

「本当ですわ。私達よりずっと年上の方だと思っていましたけど」


 令嬢達は歴代の中できょくたんに若い職業王妃にあせりを感じていた。


「なんだか嫌ですわ。あのように若い王妃様にお仕えしたくないですわ」

「わたくしも気に入りませんわ。ねえ、少しばかりほどを分からせてあげませんこと?」

「うふふ。それはいい考えですわ。若い王妃がかんちがいしてクラウス様に良からぬおもいをいだかぬように。王宮貴族の洗礼を浴びせてさしあげましょう」

「クラウス様が玉座からはなれた時には嫌みの一つも言ってやりましょうよ」

「そうね。あの堅苦しい王妃といても退たいくつでしょうから、きっとクラウス様はすぐに席をお立ちになってご友人のところに行かれるに違いないわ」


 しっする令嬢達のおんおもわくがあちらこちらで囁かれた。


「皆様、各地からたくさんお集まり頂き感謝致します。本日より職業王妃に就任致しましたマルティナ・ベネットです。だいなる初代シルヴィア王妃の教えを守り、このギリスア国のためにじんりょくして参ります。どうかおちからえくださいませ」


 マルティナは落ち着いた表情で、型通りだがそつのない挨拶をしてスムーズに舞踏会は始まった。


「王妃様、無事の就任お祝い申し上げます」

「祝辞、感謝致します」


 王妃は玉座に座り列をなす貴族達の挨拶を受ける。たいていこのお披露目の舞踏会では、王妃はちょうの列となる貴族達の挨拶を受けるだけで終わってしまうはずだった。

 しかし、マルティナの場合は挨拶の列がすぐにれてしまった。

 重臣達の半分は挨拶しないことで王妃を認めるつもりはないという意思を示し、若い令嬢達に至ってはほとんど誰も挨拶に来なかった。

 先日の即位式の後の舞踏会では、クラウスが他国のらいひんをはじめとした男性貴族の挨拶を受けるだけで舞踏会が終わってしまったのとは大違いだった。その時は若い令嬢達は後回しにされて、ついに挨拶もさせてもらえなかった。


「……」


 マルティナは誰も寄って来ずかんさんとした玉座で手持ちぶさたに座っているしかなかった。

 楽しげにかんだんする貴族達の誰も知らない。ポツンと座る王妃を皆が指さしてわらっているような気がする。実際マルティナをバカにするようなひそひそ話も聞こえてきた。

 激しいがいかんだった。

 この人々をまとめて、国の王妃としてやっていけるのかと急に不安になる。


(シルヴィア様はこんな時どうしたのかしら? いいえ、シルヴィア様は最初から多くの重臣に尊敬されていらっしゃった。私とは出だしから違うのだわ)


 職業王妃養成院というへい的な場所から、いきなり華やかな王宮の中心に立たされる重責は、かくしていた以上に重いものだった。


(自分から檀上を下りて話しかけにいってみる? いいえ、王と違って職業王妃は軽々しく玉座を下りてはいけないと太上王妃様に言われていたのだったわ)


 王は気楽に玉座を離れて気に入った令嬢達とダンスを踊ったりもできるが、職業である王妃は玉座を守らねばならない。

 あれこれなやむマルティナに、とうとつにクラウスが声をかけた。


「堂々と座っていろ」


 マルティナははっと隣に座るクラウスを見つめた。


「若い王妃に少し意地悪をしてやろうと思っているのだろう。そのうち意地悪にきて挨拶に来る者もいるだろう」

「陛下……」


 孤独な玉座でクラウスの言葉がじわりと温かかった。


「私が側にいてやるから安心しろ」

「……」


 この人は冷たいのかと思うと、ぜつみょうなタイミングでしい言葉をくれる。

 さりげない一言で、不思議なほど安心する。

 マルティナは摑みどころのないクラウスにまどいながらも、おかげで落ち着きを取り戻すことができた。

 そんなマルティナに、クラウスは小声で話しかける。


「王宮貴族といっても中身は同じ人間だ。恐れる必要はない。ほら、あそこのかべぎわに立っているったしんがいるだろう? ディーンはくしゃくといってこわそうな顔をしているが、家に帰るときょうさいに尻をたたかれいつもおこられているらしい」

「まあ」


 マルティナは意外な話に驚いた。


「ほら、あちらの青いドレスのつんつんしたご婦人がいるだろう? ラグナこうしゃくじんといって、ああ見えてペットの犬にメロメロで、犬の話をすればげんが良くなる」

「ラグナ侯爵夫人……」


 クラウスは知り合いのいないマルティナのために、おもしろい解説をつけて貴族達を一人一人教えてくれた。そうして話し込んでいるうちに、若い令嬢達もぽつりぽつりと挨拶にきてくれるようになった。


「王妃様、ご就任お祝い申し上げます。ローズ・スミス伯爵令嬢でございます」


 令嬢はマルティナに挨拶してから、ちらりと隣のクラウスを見つめる。

 目当てはクラウスに名前を覚えてもらうためだろうが、それでもうれしかった。


「ローズ・スミス伯爵令嬢。祝辞、感謝致します」


 そんなマルティナをいらいらと見つめる一団がいた。


「ローズったら。ぬけがけして。許せないわ」

「クラウス様とあんなに近付いて」

「ねえ、私達も挨拶に行きましょうよ、エリザベート様」


 令嬢達は予想に反して玉座から動かないクラウスにしびれを切らしていた。

 王妃が一人になったところで、みんなで挨拶に押しかけ、少々からくちの王宮令嬢の洗礼を浴びせてやろうと思っていたのに、誤算だらけだった。


「行きたければ勝手に行けばいいでしょう! 私は行かないわ。誰があんな王妃に挨拶するもんですか!」

「えー、せっかくクラウス様のおそば近くに行けるチャンスなのよ」

「ここはクラウス様に近付くために、まんして挨拶しましょうよ」

「そうよ。もしかしたらクラウス様がダンスにさそってくださるかもしれないわよ」


 その言葉には他の令嬢がかんはつれず反論した。


「バカね。クラウス様がダンスに誘ってくださる訳がないじゃない。数多あまたのご令嬢が勇気を出してお誘いしても、みんな断られたという話よ」


 普通は女性からダンスに誘ったら、断る男性はめっにいない。だがクラウスだけは王子時代からどんな美女の誘いも断っていた。それがクラウスがおんなぎらいだと言われている一番の所以ゆえんでもあった。


「……」


 エリザベートは、ふと、いい事を思いついてにやりと笑った。


「いいわ。ご挨拶に行きましょう」


 急に態度を変えて、先頭に立って玉座に向かう。他の令嬢達は首を傾げながらも慌ててエリザベートの後を追いかけた。


「王妃様。エリザベート・スタンリーこうしゃく令嬢でございます。お初にお目にかかります」


 エリザベートはマルティナの前に立つと、ドレスを広げ見事な挨拶をした。

 広間の中でもひと際目立つゴージャスなドレスのエリザベートにマルティナは見入った。

 そしてなんて美しい人なのだろうと感心していた。


「スタンリー公爵のご令嬢ですね。お父上のかつやくは聞いています」


 貴族に知り合いのいないマルティナでも、重臣のスタンリー公爵の噂ぐらいは知っている。議会でも発言力の大きい派閥を持ち、要注意人物だと太上王妃にも聞かされていた。


「このようにお若い王妃様だとは存じませんでしたわ。お年も近いようですし、どうぞ仲良くしてくださいませ」


 さっきまでと全然違うエリザベートに、後ろの令嬢達が顔を見合わせている。

 だがマルティナはなおに喜んだ。


「ありがとうございます。嬉しいですわ」


 みんながよそよそしい中で、なんて気さくでやさしい人だろうと嬉しかった。

 だが喜んだのもつかだった。


「もっと王妃様とお近付きになりたいですわ。玉座を下りていっしょに踊りませんこと?」

「そ、それは……」


 エリザベートの申し出にマルティナは戸惑った。

 王妃は軽々しく玉座を下りてはならない。ただ一つの例外を除いては……。


「私は玉座を離れるわけにはいきません。残念ですが……」

「あら。王様とダンスを踊られるなら玉座を下りても構わないはずですわ」


 エリザベートはすぐに告げる。その通りだった。

 舞踏会で王妃が玉座を下りるのは、王とダンスを踊る時だけだ。


わたくし、王妃様と一緒にダンスの輪に入りたいわ。王妃様が王様をお誘いすればよろしいですわ。ダンスの輪に入ればもっと皆様とも打ち解け合えると思いますの」

「で、ですが……」


 マルティナはちらりとクラウスを見た。ひどくめいわくそうな顔に見える。


「ああ、お願いですわ、王妃様。わたくしもっと王妃様と仲良くなりたいのです」


 そんな風に言われると断りにくい。


「さあ、王妃様。王様をダンスに誘ってくださいませ」


 エリザベート達には、クラウスがどう答えるか分かっていた。

 今までどんな美女の誘いも断ってきたクラウスだ。

 広間中の貴族達が注目する中で、ダンスに誘う王妃と、それを冷たく断る王。

 これほど楽しい見世物はない。

 後ろの令嬢達もエリザベートの真意に気付いて更にあおる。


「私達からもお願いしますわ。王様をお誘いくださいませ、王妃様」


 令嬢達に取り囲まれてこんがんされ、マルティナは困り果てた。


「ああ、やはり王妃様は我々のようなものと仲良くしたくないのですわね」

「だからダンスを踊って下さらないのだわ。我々がこれほど親交を求めていますのに」


 もうクラウスをダンスに誘わなければしゅうしゅうがつかないふんだ。

 仕方なく、しぼすように告げる。


「陛下……私と……ダンスを踊って頂けませんか……?」


 クラウスは明らかにげんな顔になっていた。

 せっかく少し優しい表情をしてくれるようになっていたのに、また怒らせてしまったと思った。今度こそ本当に嫌われたのだと俯くマルティナに、クラウスのため息が聞こえた。


「マルティナ」

「は、はい!」


 名前を呼ばれ、怒られる覚悟で顔を上げる。しかし。


「ダンスは苦手なのだが、王妃の誘いとあれば断れまい」

「え?」


 驚くマルティナにクラウスが手を差し出す。


「一曲だけだぞ」

「は、はいっ!」


 困ったように微笑むクラウスの手にそっと手をのせる。

 そのままつかつかと玉座の階段を下り、ダンスホールに降り立った。


「え……うそ……」

「まさか……クラウス様が?」


 エリザベートをはじめ令嬢達が啞然と見守る中、ワルツが始まった。

 色とりどりのドレスの輪に、黒ずくめの衣装の二人が入っていく。

「わあ!」と歓声が響き、二人のために場所を空け中央にいざなわれていく。

 マルティナのドレスがまわるたびに黒いえがき、クラウスの黒マントがひるがえる。


「あ、あの……申し訳ございません、陛下」


 ダンスを踊りながら、マルティナは小声でびた。


「まったくだ。踊るつもりなんてなかったのに、どうしてくれようか」

「お、お許しください……」


 やっぱり怒っているのだときょうしゅくするマルティナに、くすりと笑う声が聞こえた。

 顔を上げて見ると、間近にあるクラウスのひとみおだやかに微笑んでいる。


「ダンスは苦手なのだ。だからいつも断っていた」

「で、ですがとてもお上手で苦手なようには思えませんが……」


 マルティナも養成院で一通りのダンスレッスンを受けてきたが、クラウスはリードがうまくとても踊りやすい。かなり上手な部類に入るのではないかと思った。


「苦手というのは踊りではない。王子という立場、王という立場できゃっこうを浴びせられる、このじょうきょうが苦手なのだ。周りを見てみるがいい」


 クラウスに言われ、踊りながら周囲を見回すと、誰もがマルティナとクラウスに注目していた。みんな踊ることをやめ、次々に観客となって二人から離れていく。

 気付けばダンスホールは二人だけの舞踏会になっていた。


「どうだ? 嫌だろう? 私が踊ると、こういうことになってしまう」


 マルティナが嫌だから不機嫌になったのではなかった。そのことにほっとする。

 そしてそれほど嫌なダンスを自分のために踊ってくれたクラウスの優しさが心に染みる。


(この方は……噂に聞くほど女性に冷たい方でも、恐ろしい方でもないのかもしれない)


 むしろ、これまで出会ったどんな男性貴族よりも温かい心根を持っている。

 どんな王であっても心からお仕えしようと思っていたけれど……。

 この人の職業王妃で良かったと、マルティナの心は感謝の気持ちで溢れていた。


 そうしてエリザベート達のにくしみに満ちた視線に気付くこともなく、マルティナの初仕事は夜半に無事しゅうりょうしたのだった。


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