3章

職業王妃お披露目の舞踏会①


 すぐにクラウス王から職業おう解任の命でもくだるのではないかと思っていたが、翌日になってもマルティナのもとには何の知らせもなかった。


「王様はどうされるおつもりなのでしょう?」


 メリーはマルティナのつややかな長いくろかみかしながら鏡ごしにたずねた。


「分からないわ。でも解任をわたされない限りは職務を全うしましょう」

「では予定通り職業王妃おとう会は開かれるのですね?」


 代々けっこんしきの翌日に、王宮の広間で職業王妃お披露目の舞踏会が開かれる。


「ええ。歴代の慣習にならって職業王妃しゅさいの舞踏会を開かねばならないわ」


 主催者は職業王妃本人だった。

 ギリスア国の貴族達を招待して、しゅくえんとどこおりなく行うことで新たな職業王妃のしゅわんためされる。このための準備は結婚式の前から着々と行ってきた。


だいじょう王妃様の助言を頂き、すでにすべての手配は済ませています」


 太上王妃とは先代の職業王妃のことだ。

 ギリスア国は王が五十歳になったら太上王となって国政を王子にぐことになっている。ただし数年の間は王の後見として残り、ゆるやかに引き継いでいく。

 これもシルヴィアが定めた法の一つだが、職業王妃もまた王のじょうに合わせて第一線から退く。そして太上王妃となって次の職業王妃の後見としてじょじょに公務を引き継ぐ。

 今回の舞踏会もずいぶん前から太上王妃の手ほどきを受けて準備してきた。


「毎回この舞踏会で新人の職業王妃は重臣達のいやみの洗礼を受けると聞いていますわ。重臣の中には職業王妃の存在を快く思わない方もいるという話ですし」


 平民以下の民衆が職業王妃をあがしんぽうするのと対照的に、貴族達はざわりに思っている者も多い。特に私腹を肥やしたい重臣達にとって、わいくっしない職業王妃はあつかづらく、できればはいじょしたい存在だった。王に並び立つ地位をあたえられているとはいえ、生まれの身分が低く貴族のばつを持たない職業王妃は、若いうちはかろんじられ、思うように仕事をさせてもらえないことも多い。だから太上王妃の後見は必要不可欠なものだった。

 それと、王のしょうにんえんがどのぐらいあるかも重要だ。


「王様までが味方になって下さらないなら、マルティナ様は舞踏会でだれも味方がいないことになりますわ。ああ……心配ですわ」


 メリーは不安げにマルティナのかみをまとめながらつぶやいた。

 職業王妃養成院で育ったマルティナは、他の貴族との交流をほとんど持ったことがない。

 もともと養成院に入ろうという貴族女性は、こんいんによって成り上がる可能性の少ない地方のびんぼう貴族がほとんどだった。王宮の舞踏会に招待されるような高位の貴族ではない。

 顔見知りと言えば、養成院の理事長もけんにんする太上王妃と、養成院に関わる業務をするわずかな役人貴族だけだ。


「しかもぼうのクラウス王のきさきの座をねらう重臣れいじょう達の中には、職業王妃不要論をこわだかさけんでいる方もいるとか」


 メリーが王宮のじょとなって集めた情報では、今回の職業王妃は今までの中で最も厳しい立場だと誰もが口をそろえて言っているそうだ。

「重臣達やご令嬢達がどのように思っていようとも、私のすべきことは同じだわ。シルヴィア様のお導きに従うだけです」


 マルティナは右手でぴしりと黒髪をでつけて、いつものくちぐせを唱えた。

 メリーはそんなぐなマルティナが心配だった。


(せめて……もっと髪を大きくげてはなやかなしょうができれば。きっとどんな令嬢にも負けないお美しさなのに……)


 クラウス王を射止めようと、重臣貴族の令嬢達がぜいくした勝負ドレスでやってくる舞踏会に、マルティナはシンプルな黒ドレスと後ろにまとめただけの地味なかみがたで参加する。

 それだけでゆうふくな令嬢達にどんな扱いを受けるのか想像がついてしまう。


(どうぞご無事でおもどりください)


 メリーはいのりながら、マルティナを舞踏会に送り出した。



*****



 王宮の広間は、結婚式の時よりもさらにきらびやかなよそおいの貴族達であふれていた。

 それぞれが個性を主張するように、しょうや髪形にばつしゅこうを取り入れている。

 特に今回は若い令嬢が多く、ふくらんだドレスで広間がまってしまうほどだった。

 それというのも、クラウス王が妃をめとっていないからだ。しかも舞踏会などというな集まりを好まないクラウスは、公式の行事以外ほとんど参加せず、令嬢達も自分をアピールする場がなかった。誰もがよいこそがチャンスと思っていたのだ。


「それにしてもみなさまお聞きになって? あのおうわさ


 ブロンドの髪を三段に盛り付けて、しんじゅと大輪の花でかざる令嬢が、他の令嬢達に尋ねた。


「ええ。もちろん聞いていますわよ、エリザベート様。なんでも陛下は神父のちかいの言葉にお答えにならなかったとか」

「今回の職業王妃様は、なんてみじめな方なのでしょう。とぎのない職業だけの王妃だというのに、それすらもきょぜつされてしまうだなんて」

「本当に。結婚式で誓いの言葉を無視されたら、私ならずかしくて死にたくなりますわ」


 かざった令嬢達が自分じゃなくて良かったとあいづちを打つ。


「でもほら、クラウス様の職業王妃様って、シルヴィア様以来の変人と噂の方でしょう?」

「そうそう。結婚式の後も気にした様子もなく、平然と歩いていらっしゃいましたわね」

「実はわたくし、お顔を見たことがありますのよ。ぜん活動に向かって歩く養成院の行列を馬車の中から見ましたの」


 三段頭をらしながらエリザベートが得意げに言う。


「まあ、それでどんな方でしたの?」


 他の令嬢達がきょうしんしんに尋ねる。結婚式には参列していても、はなよめがヴェールをつけていたため顔まで見た者は少なかった。


「なんだかみょうに姿勢が良くて、髪を固めたようにひっつめて、化粧っけのないかたくるしい感じの方でしたわ。女性らしさの欠片かけらもなく、なるほど職業王妃になる方はこういう人なのねとなっとくしましたの」


 高位の貴族令嬢達は、職業王妃養成院の院生を軽んじて見ている。

 生まれながらに豊かな生活とりょうえんを約束されている令嬢達にとって、自力で立身出世を目指すしかない貧乏貴族の令嬢は、それだけでいやしい者と思っていた。

 もちろん、職業王妃という立場になれば自分達より身分も高く、かしずかねばならない相手ではあるが、それにしても女性としては見下していた。


「あのような方では、陛下が誓いの言葉を答えたくなかった気持ちも分かりますわ。あんな堅苦しくて地味な女性を連れて歩きたくないですものね」


 エリザベートは王が気の毒だとかたをすくめた。


「まったくですわ。職業王妃などという制度が本当に必要なのかしら?」


 貴族の令嬢達の間では最近、職業王妃無用論が流行はやっている。


「クラウス様のようにそうめいでカリスマ性のある王様なら、つうの妃がいればじゅうぶんですわ」

「本当にね。私達だって幼いころからマナーや所作は教え込まれてきて、政治や経済だって多少は勉強していますわ。公務だって充分こなせますわよね」


 公式の場で王のとなりに立っている姿しか知らない貴族令嬢達は、その裏で職業王妃がどれほどの公務をこなしているかなど知るはずもなかった。


「しかも私達には華やかさと美しさという武器がありますわ」

「王子を産んだ妃が女性の頂点に立つのは、当然の権利ですわ」


 平和が長く続くことによって職業王妃の必要性が疑問視されるようになってきていた。

 しかもクラウスという有能な王のそくによって、令嬢達の夢は膨らむ。

 自分こそが美しい王にちょうあいされる妃となって王子を産み、頂点をきわめたい。

 それこそがシルヴィアの時代にそうらんの世を作ったのだが、そこまで考えがおよぶ者はこの中にはいなかった。



*****



 令嬢達がうわさばなしに興じている同じ時、マルティナはひかえの間で舞踏会を取り仕切る役人貴族としつ達の報告を聞いて、新たな指示を出していた。


「王妃様、主だった貴族方はすべて城の中に入られたようでございます」

「ですが思った以上にご令嬢の参加が多く、広間に入れない方もいるようです」


 執事達が報告する。

 真っ黒なドレスに黒真珠を飾り付けただけの黒髪。ほうしょくといえば左手の薬指の黒ダイアモンドだけのマルティナは、今日の主役というよりホスト役の意味合いの方が強い。

 招待された貴族たちがここよく舞踏会を楽しめるように心を配らねばならない。


「ではテラスをすべて開放してそちらにも入って頂きましょう。ダンスをおどられないごこうれいの重臣方は中二階のメザニン席と三階のバルコニー席にご案内してもいいでしょう」

「はい。かしこまりました」


 執事達は指示を受けて広間に戻っていった。

 マルティナはほっと息をつく。しかし残った役人貴族が、自分よりずいぶん若い新人王妃を試すように告げた。


「広間の方は予定通り準備が整いましたが、まだ王様の姿がございません。本当に参加下さるのでしょうね? 陛下にごかくにん頂けましたか?」


 どきりと言いよどむ。


「それは……今朝はおいそがしくてお会いすることがかなわず……」


 朝からクラウスを探しているのだが、どこにもいなかった。

 まさか舞踏会を忘れているはずはないと思うのだが、わざと知らないふりをするつもりなのかもしれない。出席の確認をしなかったマルティナの落ち度だ。

 昨日マルティナの部屋に来た時に確認しておくべきだったとやまれた。ただ、あの時はクラウスの思いがけない言葉と行動の数々にあわてて、頭が回らなかった。


(ダメね、私は。あれぐらいのことでどうようしてしまうなんて。まだまだシルヴィア様の足元にも及ばないわ)


 一晩反省して今日こそはかんぺきに公務をこなしたいと思っていたのに。


「まず一番に確認しておくことでございましょう。どうなさるのですか? 職業王妃お披露目の舞踏会に王様が不参加では、認めないと言われたようなものでございますよ」


 年配の役人貴族はせいだいにため息をついた。

 むすめほど若い職業王妃。しかも王が拒絶していると噂される相手など、たとえ王妃の地位を持っていたとしてもおそれることはない。この職業王妃は、太上王のしんらい厚い前王妃よりも扱いやすそうだと、すでに心の中で最弱ランクに分類しつつある。


(しかも歴代最年少の十八歳だったか。本当にこのむすめさいゆうしゅうの院生だったのか)


 これまでの職業王妃はたいてい王よりも年上か同年代が多かった。ほどゆうしゅうでなければ、この年で選ばれない。前王妃も三十手前で王妃となった。だからか就任当初からかんろくのようなものが備わっていたと聞く。

 だが新たな職業王妃は、変人の噂は聞いていたが、会ってみると真面目過ぎるだけの普通の少女にしか見えない。


(これまでの王は職業王妃のしりかれがちだと言われてきたが、今回ばかりは逆転しそうだな。なにせ相手は歴代ずいいちの切れ者王と言われるクラウス様だ)


 クラウス王もまだ若く二十五歳だが、すでにの時には頭角をあらわし、太上王に意見したりしていた。人脈もけんつちかってきて、まったくすきがない。

 その隙のなさは女性関係でも表れていて、しゅうぶんどころかいた話一つ聞かなかった。

 そんなカリスマ王に、果たして公務を補佐する職業王妃が必要なのか。

 それは男性貴族の間でも最近よく話題になっていた。

 娘をクラウス王の妃にしたい重臣達の間では、このチャンスにいよいよ職業王妃をはいして、『王妃』の父という権力をにぎりたい……というのが本音だった。


「さて、どうなさいますか? そろそろ王妃様のお出ましの時間ですが、お一人で登場して王様がお見えにならなかったと説明なさいますか? 陛下目当てのご令嬢方はずいぶんらくたんして、王妃様への不信感につながるかもしれませんが」


 役人貴族はしんらつに尋ねた。

 この職業王妃にこびを売る必要はないと判断したのだ。


「……」


 痛いところばかりかれ、マルティナはだまり込んだ。

 これが舞踏会に参加している貴族たち大半の本音にちがいない。

 味方のいないどくがひしひしとみてくるような気がした。

 だがうつむいたまま一つ深呼吸をすると、自分を奮い立たせるように指をぴしりとばした右手で髪を撫でつけ、真っ直ぐに顔を上げて告げた。


「仕方がありません。事実を正しく知らせるのが私の成すべきことです。シルヴィア様がきっとお導き下さることでしょう」


 ぜんと言い放つマルティナに、貴族役人はたうすら笑いを浮かべた。


「はは。左様でございますか。さすがは公明正大な職業王妃様ですな。ただし私は言われた通りにきちんと仕事は果たしましたからね。陛下が現れなかったのは私の落ち度ではありませんから。そこのところは後ではっきりと説明して下さいね」


 すでに役人貴族は自己保身しか考えていない。


「分かっています。あなたは私の指示した通りすべての手配をしてくれました。あなたに決して責任が及ばないようにします。安心して下さい」


 マルティナは告げると、戸口に向かって歩き出した。しかしその時。


「待て!」


 ふいに部屋の中に声がひびいた。


「!?」


 控え室にはマルティナと役人貴族の二人しかいないと思っていたのでおどろいた。


「誰が来ていないだと?」


 声は部屋の角に置かれたついたての向こうから聞こえてくる。

 えなどが必要になった時のため衝立が置かれているのだと思っていたが、マルティナはたのんでいない。誰か気のく人が用意してくれたのだろうと思い込んでいた。


「早く来過ぎてんでしまっていたようだ」


 そう言ってあくびをしながら現れたのは、クラウスだった。

 衝立の向こうに置いたソファで寝ていたらしい。


「陛下っ!」

「へ、陛下!? ずっとそこに……!? まさか今までの会話をすべて……」


 役人貴族が青ざめた。


「さて、会話? 今まで寝ていたので知らないな」


 役人貴族はその言葉を聞いてほっと胸を撫で下ろした。しかしクラウスはさらに続けた。


「何か聞かれて困るような話でもしていたか? まさか私の職業王妃をおとしめるような無礼な物言いはしていないだろうな?」

「!!」

 役人貴族はいよいよ真っ青になった。


 その役人貴族にクラウスはぐいっと顔を近付ける。


「王妃へのじょくは私への侮辱と同じだ。万が一そのようなりを見つけたら、不敬罪を問うことになるだろう。そのこと、ゆめゆめ忘れるな。分かったな?」


 冷ややかにられ、役人貴族はこくこくとうなずいた。


「は、はいっ! 心してお仕えいたしますっ!!」


 マルティナはその様子をぜんと見つめていた。


(まさか私を助けてくださったの?)


 どう見てもそうとしか思えないが、それが信じられなかった。


(私の解任を言い渡すつもりではなかったの?)


 昨日から、どう考えてもきらわれているとしか思えなかったのに。


「何をしている? 行くぞ」


 クラウスは戸口に立ってマルティナにかえった。


「は、はいっ!!」


 マルティナは慌ててクラウスの横に並んだ。


「……」

「?」


 無言で立ち止まったままのクラウスに、マルティナは顔を上げて首をかしげた。


うでを持つがいい。並んで歩くなら、その方が歩きやすい」


 はっと見ると、クラウスがマルティナにひじを差し出していた。


「あっ! はい。では失礼致します」


 マルティナはその肘にぺこりと頭を下げて、恐る恐るつかんだ。

 結婚式ではバージンロードをどんどん歩くクラウスの後をついていくだけで、腕を組むこともなかった。そういう人なのだと思っていたのだが。


「ふ。私の肘に頭を下げてどうする」


 可笑おかしそうにほほむクラウスが意外だった。

 思ったよりも冷たい人ではないのかもしれないと、マルティナは少しだけあんした。


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