冷たい王②


 一人きりになったマルティナは、部屋を見回した。

 華やかな建築様式の王宮は、外観からエントランス、階段の手すりひとつまで細かなモチーフでそうしょくされ、明るいブルーと白を基調とした色あざやかなきゅう殿でんだった。

 しかしマルティナに与えられた職業王妃の部屋は全然ちがう。

 大きな窓とじゅうこうな柱やとびらは高級感に溢れているものの、黒やちゃ色を基調としてぎょうぎょうしくかたくるしい。そして大きなしつ机と、来客と面談するためのソファセットが置かれている。職務の合間に食事をとるための丸テーブルもあるが一人用のものだ。他には大きなしょだなとメリーがかざってくれたびんの花、それに真っ黒なドレスが並ぶクローゼットがある。

 王妃の部屋というよりは、まるで宰相の執務室のような部屋だった。

 となりしんしつはあるものの、そこに王が足をみ入れることはない。

 職業王妃は決して王にこいごころいだいてはならない。れんあいは職務を乱すじゃあくなものだと、幼い頃からこんこんと言い聞かされてきた。王が職業王妃に心うばわれるようなことがあれば、それは隙を見せてしまった王妃の過失だ。そして一番許されないきんだ。

 職業王妃の黒ドレスは、初代シルヴィアをとうしゅうしていると言われているが、王に隙を見せないためでもある。かざることを覚えてしまえば、どこかに隙が出来てしまう。

 すべて覚悟の上で養成院に入る道を選んだ。メリーと違って自分の意志だった。

 勉強が大好きだった。女というだけで勉強を禁じられることが悲しかった。もっともっと世界のことが知りたかった。そして……姉達のように金持ちというだけの親ほど年のはなれた貴族にとついで、たまに帰ってきてはばかり言う未来がいやだった。

 両親は金持ちに嫁いだ方が手っ取り早くゆいのう金が入るのだと反対した。 いつも資金不足になやんでいた実家には、給金をもらえるようになればすべて仕送りするからとこんがんした。

 だが「そんなに勉強してもお前が王妃になどなれるはずがないだろう」とバカにされ、ほとんどかんどう同然に養成院に入った。まさか王妃になる日がくるとは思いもせず、親不孝なむすめなのだとずっと罪悪感を胸に生きてきた。そんな自分が普通の幸せなど望めないことは、最初から覚悟している。


(でも……これだけはお許し下さい)


マルティナは執務机の引き出しの奥にこっそりしまっている寄木細工の小箱を取り出した。色目の違う木々を組み合わせたからくり箱になっている。

 手の中で何度か細工を動かすと、ふたの部分がスライドして開いた。その箱の中をマルティナはうっとりと見つめる。


わいい……」


 そこには豆形に固めた色とりどりのゼリービーンズが入っていた。

 養成院のおやつに時々出されるゼリービーンズを食べずにめ込んでいる。


 食べたいのではなく、華やかな色をながめているのが好きなのだ。もう一つ別の理由もあって侍女のメリーにもないしょで常にじゅうしている。職業王妃の給金が出たら、ゼリービーンズだけは自分のために買おうと思っている。


「このピンクは新色ね。なんて可愛い色なのかしら」


 マルティナは、本当はファンシーな色が大好きだった。許されるなら部屋中をピンクやオレンジやイエローでめつくしたい。だがもちろん職業王妃を目指すと決めた時から、それはかなわぬ夢だと分かっている。だからせめてこの小箱の色とりどりのゼリービーンズ

を眺めていやされたい。ほんのささやかなマルティナの秘密の楽しみだ。


「ずいぶん嬉しそうだな」

「!?」


 マルティナは部屋の中にとつぜんひびいた声におどろいて顔を上げた。


「そんなに職業王妃になれたことが嬉しいか?」

「クラウス様……」


 いつの間にいたのか、部屋の戸口にクラウス王が立っていた。

 マルティナはあわててからくり小箱を引き出しの奥にしまう。そして部屋の中央に進み出て、深くひざを折ってあいさつをした。


「おいでになっていることに気付かず失礼を致しました。本日より陛下の職業王妃として誠心誠意お仕え致します。どうぞよろしくお願い致します」


 かんぺきな振る舞いで堅苦しく挨拶するマルティナに、クラウスはげんな表情をかべた。


「ずいぶん仰々しい挨拶だな。王妃というより臣下に接しているようだ」

「臣下でございます。陛下の手となり足となり、ギリスア国のためにくす覚悟でございます。なんでもお申し付け下さいませ」


 精一杯の誠意で答えたつもりのマルティナだったが、クラウスはますます不機嫌な様子でけんにしわを寄せた。


「臣下だと? 私はそなたを臣下にしたつもりはない」

「!! お、おこがましいことを申しました。申し訳ございません、陛下」


 勝手に臣下を名乗ったことが無礼であったのだと、マルティナは慌てて謝った。

 しかしクラウスのいかりはさらに増してしまったようだ。


「そういうのが気に入らないと言っているのだ!」

「陛下……」


 まどうマルティナのうでをクラウスがぐいっと摑んだ。


「答えるがいい。本当に生涯私と愛をわさない自信はあるのか!?」

「もちろんでございます。職務を乱すような愛におぼれることは決してございません! ご安心下さ……きゃっ!?」


 マルティナが自信満々に言い終わるより早く、クラウスのもう一方の腕がマルティナのこしにまわって抱え込まれた。

 反り返るような体勢のマルティナは、クラウスが手を離せば後ろにひっくり返るだろう。

 あせって起き上がろうとするが、抱え込まれて身動きがとれなかった。


「へ、陛下……」


 急に目の前の王がおそろしくなった。

 がっしりとマルティナの腰をいて、平然と受け止めるわんりょくを持った男性。

 目の前にいるのは、まぎれもない男性。そう気付いたたんこわくなった。

 男子禁制の職業王妃養成院で育ち、これほど至近きょに男性を近付けたことなどない。

 気付けば、マルティナの手はガタガタとふるえていた。


「……」


 クラウスは震えるマルティナに気付いたのか、急にばつの悪い顔になった。


「私は歴代の職業王妃と同じようにそなたを扱うつもりはない。それを覚えておくことだ」


 捨てゼリフのように言うと、マルティナの反り返った体をやけにていねいに、そっともどして行ってしまった。

 マルティナはただぼうぜんとその姿を見送ることしか出来なかった。



*****



「マルティナ様! 何をなさっているのですか?」


 侍女のメリーは、軽食を持って部屋に入るなりさけんだ。

 メリーの目の前には、黒のドレス姿で熱心にうでせをするマルティナの姿があった。


「見て分からない? 腕の力をきたえているの」


 慣れない筋肉運動で、マルティナは息を切らしながら答えた。


「な、なにゆえ突然腕の力を?」


 マルティナは腕立て伏せを終え、ぴしっと伸ばした右手で髪を撫でつけて立ち上がった。


「クラウス様と共に並び立つ王妃になる者として、引けをとらない腕力が必要かもしれないと思ったの」

「……。あまり王妃様に腕力は求められないと思いますが……」


 完璧な常識人のはずのマルティナだったが、真面目過ぎるゆえか時々ずれている。

 そういう所が可愛いと思ってしまうメリーだが、今日はまた変な方向にずれたものだと首をかしげる。


「メリー、何かこう……腕を鍛える鉄アレイのようなものが手に入らないかしら?」

「て、鉄アレイでございますか? そんな物で鍛えて、いったい何者になるつもりでいらっしゃるのですか?」

「そうね。例えば急に腕を摑まれたら、その腕をこう摑んで投げ飛ばすような……ああ、違うわね。投げ飛ばしてはいけないわ。をしたら大変だもの。例えば急に腰に腕をまわされたら、その腕をかわして後ろに回り込んで押さえ込むような……ああ、ダメだわ。押さえ込んだりして息の根を止めてしまったりしたら取り返しがつかないものね」


 マルティナは一人でぶつぶつ言いながら考え込んでいる。


「……。いったい何者と戦うおつもりなのか分かりませんが、ともかく軽食を召し上がって一休みしてくださいませ。お茶をれますわ」

「ありがとう、メリー」


 マルティナは見事な姿勢でに座り、出された紅茶を一口飲んで言った。


「やはり陛下は私のことがお気に召さないようなの、メリー」

「えっ? どういうことでございますか?」

「さっきお部屋に来られて、私の言い方が気に入らないとか、今までの職業王妃と同じように扱うつもりはないとか……おっしゃったの」

「ええっ!?  王様がそこまでひどいことを!?」


 メリーは青ざめた。


「自分でも分かっているのよ。私は、勉強は出来たかもしれないけれど、物言いが堅苦しくて、笑ったことのない変人だって噂されていることも知っているわ」

「そ、それは……」


 確かにマルティナは養成院始まって以来のしゅうさいと言われ、かたぶつで変人と言われていた

 シルヴィアの生まれ変わりだと、良い意味だけでなく噂されているのはメリーも知っている。だが笑ったことがないというのはデマだ。メリーはマルティナのがおを知っている。


「少し話してみて、やっぱり嫌いだと思われたのかもしれないわ。私の解任を考えていらっしゃるのかもしれないわね」

「で、でも……。結婚式だって終わったのに……」


 マルティナは立ち上がり、大きな窓からだんふんすいがどこまでも続く広い庭園を眺めた。

 この庭園を所有し、ギリスア国を治める強大な王がマルティナの夫なのだ。


「やはり……私に王妃など……出過ぎた夢だったのかしら……」


 メリーにだけは本音がこぼれてしまう。


「そ、そんな……。いいえ! マルティナ様ほど王妃に相応ふさわしい方はいませんわ! 王様が何をおっしゃろうと、私は信じています!」


 強く言い切るメリーに、マルティナは微笑んだ。


「ええ、そうね。たとえ陛下が私をお嫌いであっても私は王妃です。せめて公務に関しては陛下を失望させないように尽力しなければね。ありがとう、メリー」

「マルティナ様……」


 これほどまでに王に忠誠をちかっているのに……とメリーはくやしかった。


「ただ、万が一私が解任されたとしても、あなたのしょぐうだけはきちんと整えるから安心してね、メリー」

「マルティナ様……。私は生涯マルティナ様にお仕え致します。側に置いて下さい」


 メリーは涙を浮かべながら懇願した。


「バカね、メリー。私は職業王妃でなければ、ただの田舎いなかの貧乏貴族なのよ。あなたならもっといい未来を摑むことが出来るわ」


 勘当同然に家をでたマルティナだったが、職業王妃に選ばれたことで両親は手の平を返したように大喜びしてくれた。おそらく仕送りする給金も、充分な額になるだろうと思う。

 少しは親孝行ができたと思っていたが、これがもし就任早々解任などということになれば、どれほどらくたんさせるか分からない。今度こそ完全に勘当されるだろう。

 マルティナに帰る場所などなかった。

 養成院に残って働くしかないのだが、交代させられた職業王妃にそんな道が残されているのかも分からない。

 メリーには強気で言ってみたものの、先のことを考えるとほうに暮れるしかなかった。


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