2章

冷たい王①


 この国にはいっぱん的な『きさき』とは別に『職業おう』という役職がある。

 その成り立ちは今から百年以上前にさかのぼる。

 当時のギリスア国は妃達の激しいこうけい争いがぼっぱつしていた。しん死が相次ぎ、権勢を我が物にしたい重臣達によるないふんで政治が機能しない状態にまでなっていた。

 やがてそのすきねらった他国によるしんりゃくで、国家存亡の危機におちいる。

 その危機を救ったのが妃の一人であったシルヴィアというそうめいな女性だった。

 王より年上でいつも黒ドレスを着ている変わり者のシルヴィアは、色好みの王を心配した父王が、くなる前にゆいごんのようにむすの妃の一人にと指名した女性だった。

 彼女は男性であれば良きさいしょうになったであろうとだれもがうわさするほど聡明で、貴族達がこぞってさずかりにいくようなさいえんだったが、妃として王の訪問を受けることは一度もなかった。読書をしゅにしてたんたんと過ごしていたと言われている。

 そんなシルヴィアだったが、ほろびゆこうとするギリスア国を目前にして立ち上がった。

 自分に王に並び立つことも許される女性さいこうほうの地位と権力をおあたえください。さすればこの困難を見事えてみせましょう、と。

 こうしてシルヴィアは『職業王妃』就任と同時に妃達の後継争いをおさめ、見事な外交しゅわんで他国の軍隊さえもはらって、国の安定をもたらした。

 これによりシルヴィアは救国の王妃としてあがめられ神格化され、王が治世を終えるまで国家安定のしょうちょうとして君臨した。

 ここからギリスア国の王は、一般的な『妃』とは別に国家安定の象徴となる『職業王妃』という特別な妃を任命するのが習わしとなったのだ。『妃』がどれほどちょうあいを受けようとも『王妃』を名乗れるのは職業王妃、ただ一人だった。

 そくまでに妃を一人もむかれていなかったクラウス王であっても、職業王妃とのけっこんはこれまでの慣習にならって受け入れねばならない。


「はああ。無事にお式が済んで安心いたしました。ちゅうどうなることかと思いましたけど」


 王妃の部屋に入ったマルティナに、じょのメリーが言った。

 マルティナが黒いウエディングドレスをいでシンプルな黒ドレスにえるのを手伝ってくれている。侍女のメリーはグレーのドレス姿だ。

 別に地味な色が好きだからではない。そういう決まりだった。


「王様は近くで拝見すると一層お美しい方でございましたが、おんなぎらいという噂はやはり本当だったのでしょうか?」


 少しほつれたかみをぴしりとまとげるマルティナに、メリーがたずねた。


「そうね。女性という存在そのものがおきらいなのかもしれないわね」


 マルティナは他人ひとごとのように淡々と答える。

 だがじょうっているものの、本当はショックだった。

 つうしんろう新婦のように愛のあふれる結婚ではなかったとしても、しょうがいを王にささげるかくの職業王妃という存在は、受け入れてもらえるものと思っていた。


「職業王妃まできょなさるおつもりでしょうか?」

「陛下は職業王妃という役職にもい感情を持たれてないのかもしれないわ」


 マルティナは身だしなみを整えながら、相変わらず淡々と答えた。

 職業王妃はどんな時も冷静ちんちゃくに。それがシルヴィアの教えだった。


「そんな気はしていましたが、やっぱり……。歴代の王様なら結婚式の前に職業王妃と決まった女性をお訪ね下さったと聞いていましたが、それもございませんでしたもの」


 メリーは長いヴェールをたたみながら不安そうにうなずいた。

 マルティナが職業王妃に選ばれたのは、クラウス王の指名でも重臣達のすいせんでもない。

 学業にゆうしゅうなことと、勤勉で誠実な個人の才覚によってのみ選ばれたのだ。

 初代シルヴィア王妃は、女性が才覚によって立身出世できる制度を作ることに熱意を持っていた。女性であるというだけで、優秀な人材が能力を発揮できないままにちていくことが無念だったのだろう。彼女は晩年、王宮の中に『職業王妃養成院』という組織を作り、優秀な貴族の少女を集め育てることにじんりょくしたと言われている。

王に並び立つ者としての最低限のマナーや所作の他、政治経済はもちろんのこと、王を守るための護身術や、芸術への深いぞうけいに至るまで、ありとあらゆる知識を身につけつつ、ぜん活動を日常の業務として多くの国民のしんらいを得られる組織に成長させた。

 実際にシルヴィアに育てられた女性は次代の職業王妃となり王を立派に補佐し、その後もそんしょくなくがれてきた。

 王の即位の時期にタイミングの合うたった一人の女性が、職業王妃の幸運をつかむことができるのだが、選ばれなかった者も一部は王妃直属の臣下となりじゅうぶんな給金を与えられ、一部は養成院の役職を得て働き続けることができた。

 貴族女性が自分の才覚で立派に自立できる道を作ったのだ。

 マルティナは数十年に一人しか選ばれない王妃という幸運を摑んだ数少ない一人だった。

 だが今回の職業王妃は就任当初から大きな問題をかかえていた。

 それがクラウス王の女嫌いの噂だった。

 多くの歴代の王達は、即位の前に妃を数人めとり、子どももすでに数人授かっているのが常だったのだが、クラウス王はいまだに一人の妃も子も持っていなかった。

 歴代ずいいちのカリスマ性を持つと言われるクラウス王は、貴族れいじょう達のゆうわくも多く、誰もがぼうの王にめられることを夢見ているというのに、だ。


「陛下は私に今日初めて会ってみて、やはりお気にさなかったのね……」


 大役に任じられたといってもマルティナはまだ十八になったばかり。平気なふりをしても、メリーの前ではついほろりと弱音が出てしまう。


「そんな……。でももう結婚式は終わりましたわ。いまさら交代なんてあり得ませんから!」


 メリーは鼻息あらつのる。いつも自分のことのようにマルティナを心配してくれる。

 侍女のメリーもまた『職業王妃養成院』で共に学んだ院生だった。

 仲の良かったメリーを、マルティナが一番の側近侍女に指名したのだ。

 『職業王妃養成院』には常時百名ほどの院生がいるが、『職業王妃』の座をのがした者の中には、メリーのように王妃の侍女として働く者もいる。

 メリー以外にも十名ほど侍女としてマルティナに付き従ってきたが、側近侍女は職業王妃に一番近く、メリーはとてつもないめいだと大喜びで引き受けてくれた。


「陛下が認めて下さらないつもりなら、メリーにもめいわくをかけてしまうかもしれないわね。側近侍女に選んでしまって申し訳なかったわ」

「何をおっしゃるのですか! 私はマルティナ様に選んで頂いて最高にうれしいですわ。はなやかな王宮で大好きなマルティナ様のおそばで働けるだけで幸せです」


 それはメリーの本音だった。

 茶色のくせ毛にこうしんおうせいな茶色のひとみを持つメリーは、実は勉強はあまり得意ではなかった。びんぼう貴族の口減らしで養成院に放り込まれてしまったのだ。いつもダメな自分を助けてくれたマルティナは、何をやっても優秀でずっとあこがれの存在だった。

 養成院では落ちこぼれのメリーだったが、マルティナだけは人付き合いがうまく機転がくところがらしいとめてくれた。マルティナだけが自分を評価してくれたのだ。

 それに……、とメリーはマルティナを見つめながら心の中でつぶやいた。

(華やかによそおえばどれほどお美しいことか……)

 つやのあるくろかみりょぶかさを感じるしっこくの大きな瞳も、上品にほほむ口元も、ごうなドレスとしょうをすればどれほどえることか。

 メリーは出会った最初から、誰よりも美しいマルティナにしんすいしていた。

 だが残念ながら艶やかな髪は、職業王妃の規則に従ってぴっちりと後ろでひっつめて、おくれ毛一本なく、化粧はむしろほおのバラ色をかくし、目元をひかえめに見せている。


(きちんと化粧をすればマルティナ様ほど美しい方などいないと思うのに)


 職業王妃に就任したことで、一生そんなマルティナを見ることはできないのだ。

 それだけが残念だった。


「私はメリーが側にいてくれるだけで心強いわ。侍女になってくれてありがとう」


 マルティナは改めてメリーに頭を下げた。


「マルティナ様……。もったいないお言葉ですわ。私の方こそ選んで下さってありがとうございます。何があっても私はマルティナ様についていきますわ」


 感情豊かなメリーは、すでになみだぐんでいる。

 そんな涙もろいところもマルティナは気に入っている。なおに感情を表現できるメリーが、自分にはない大きな美徳を備えているようで、うらやましくもあり尊敬してもいた。


「そうね。たとえ陛下が私をお認めにならなくとも、私は職業王妃として王がえんかつに国を治められるようにせいいっぱい尽力するだけだわ。私に迷いはないわ」


 マルティナは言い切ると、背筋をばし、指をぴしりと伸ばした右手で髪をでつけ「だいなるシルヴィア様がお導き下さるでしょう」と告げた。 

 誰よりも初代シルヴィアをしんぽうするマルティナの幼いころからのくちぐせだった。

 あまりにに教えを守り過ぎて変人あつかいをされることも多々あったが、そんな不器用さもふくめてメリーはマルティナが大好きだった。


「私がマルティナ様を全力でお支え致しますわ。さあ、少しおつかれになったでしょう。ちゅうぼうで軽食でももらって参りましょう。少し休んで下さいませ」


 メリーは、真っ黒なウエディングドレスを抱えて部屋を出て行った。


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