4.王太子殿下の黒歴史①


 だれにでも黒歴史というものはある。

 たとえば──おのれ従兄いとこで側近の一人であるガイウス・グリムなどは、幼少時、国内で流行しているえいゆう活劇に大ハマりした挙げ句、従者やとりまき連中に自分のことをその主人公の名前で呼ばせてえつったり、社交界きっての人気をほこる貴族れいじょうなにがしぐうぜん声をかけられたのを告白されたとかんちがいして、自分達はこいびと同士だと周囲にふいちょうしたところ、令嬢本人からせいだいとうと平手打ちをらったりしたのが、それにがいとうするはずだ。

 軽い気持ちでこれらの話題を持ち出そうものなら、従兄はいまだに真っ青な顔をして胸のあたりを押さえ、果ては「殿でんはじさらすくらいなら……」などと目の前でガチめの自害を試みたりするので、必要にせまられない限りれないようにはしている。じょをめぐる立場の問題で反目することも多い従兄だが、そんな理由で死なれては困る。ついでに、古傷とはいえ触れられると痛いのは、彼に限らずきっとばんにん共通のことだろう。

 ……大いに話がそれた。

 何が言いたいかといえば。果たして、──「完全無欠の貴公子」「レヴェナントの誇るしょうの天使」などとちまたでもてはやされる西の大国レヴェナントの王太子こと、アレン・アスカロス・レヴェナントにとっても、明確に黒歴史と呼べる事象は存在しているものである、ということだ。


(なんというか……ほんっと。我ながらかわいげのない悪ガキだったんだよな、……昔は)


 王宮主殿しゅでんにある自らのしつ室で、不必要なほど大きな書き物机にほおづえをつき、きんわくかざりにいろどられたビロード張りのこしけながら。

 不意によみがえった苦い思い出に、未決裁の書類をめくる手を止め、アレンはため息をついた。もうすぐ終わりそうなところで集中力が切れた。どうでもいいことを思い出してしまうのがいいしょうだ。


(とっとと終わらせて、研究所の方に行きたいのに)


 これでも次期国王にそくするのが確定している身なので、もちろん仕事は研究所関連よりもこの室で済ませるべき別件の方がよほど多い。

 だというのに、ついつい研究所にばかり入りびたってしまうのは、そこにいる魔女やどうといった部下たちが、割とアレンのことを「気にせず、構わずにいてくれるから」だ。

 そしてこのところ、通うひんがさらに増しているのは、他でもない。

 お目当ての人物がいるからだった。


(それにしてもラケシス嬢のやくじゅつ、よく効いた)


 つい先日、昼食をいっしょりがてら、己の得意とする魔術をかけてくれた少女の顔を思い出し、アレンはふっと口元をゆるめた。

 糸を使ったとくしゅな魔術は、モイライ一族の専売特許のようなものだ。彼女が生まれつき持っている無害化ほうとはまたちがうが、やさしく甘い香りと共に、身体からだちくせきされたろうかされる感覚は、みつきになりそうなほどここかった。

 もっとも──病みつきになりそうなものは、もっと別にあるのだが。


(ラケシス嬢のがお、初めて見たけど……わいかったな。また見たい)


 ラケシス・モイライ──いにしえの魔女の血筋に連なる少女は、めっに笑わない。少なくとも、アレンの前では。

 それどころか、基本的には口数少なくうつむきがちで、アレンの顔を真正面から見てくれること自体が少ない。それはそれで、小動物がおびえているようで、いたずら半分につついてみたくなる──のは、さておき。

 レヴェナント王宮に、半ばかどわかすようにして連れてきた当初は、まともに話すのも難しかったけれど。舌先三寸で丸め込んで魔術研究所にやとい入れてからというもの、なかなか、それなりに打ち解けてきてくれている。……と、思う。思いたい。たぶん。


(もう彼女自身は覚えてはいないだろうけど。……会うのが、あの下町で助けてくれた時が初めてじゃないって言ったら、きっとおどろくだろうな)


 改めて、彼女のあわむらさきいろひとみおもかべつつ。

 いとまいしていった集中力がもどるまでだ。そう自らに言い訳してから、アレンはしょう混じりに、より深く回想のふちもぐっていった。



*****



 七年前のアレンは、──かえしになるが──正真しょうめいにもつかない悪ガキだった。

 レヴェナント国王の第一子にして、ゆいいつの正統なるこうけいであるがゆえ、将来は担保されていると言っていい。しかしそれは、国への責任や血のしがらみと背中合わせの保証だ。あんたいだが、重い。本来であれば。その点アレンの性質は、王族としてはおそらく適格だった。

 ──彼は幸か不幸か、物心ついたころから、何事にも非常に関心のうすいたちだったのだ。

 人当たりはいい。常時誰にでもおだやかで、何事もつつがなくこなす。客観的で冷静ちんちゃく、「きっとあなたは希代のけんくんになる」と、王宮に出入りする教育者たちはアレンをめそやした。

 しかしそれは、ひるがえせば、何に対しても「特に楽しみを覚えない」ということだと、他でもないアレン自身が一番はじめに気づいていた。

 人間に興味がない。

 国にも、血筋による責任感はあるが、愛着はない。

 そもそも、自分自身に対してこそ、全くこだわりがない。

 将来、国をらすことなく、たみの営みを正常に保てれば、それでいい。むろんそれこそが最大の難事ではあるのだろうが、結果としておおやけに私があっぱくされ、すりつぶされても、特段苦にならないだろうという確信があった。

 ──〝お前は王族として全くゆうしゅうだが、人間としての何かが少しばかり欠落しているな〟

 現国王にして父であるゼラム・アスカロス・レヴェナントは、アレンと顔を合わせるたびにそう言ってきた。都度、「事実、王族なので、王族として優秀であれば構いませんでしょう。陛下」と、けろりとアレンは返してきた。

 別に父親に対してうっくつかかえているわけではない。情がないだけだ。それも別に問題になるほどでもない、それこそ「少しばかり」「つうより」足りないだけ。だというのに親子らしからぬ『陛下』呼びに、父は「そういうところだ……」といつもため息をついていた。

 ついでに、こちらは幸いにして、と言っていいのだろうが、──その父王ゼラムは、国民と同じ目線で、魔術や魔女をとらえることができる人物だった。

 父のまつりごとかじりは、おおむね好評で、民には長らく敬愛され続けている。アレンの母である、グリムこうしゃく家出身のおうとも仲が良かったらしいが、彼女はアレンを産んですぐにはかなくなってしまった。

 そして少なくとも、グリム侯爵家に追従するおべっか使いの貴族たちや、へんけんや特権意識でがんじがらめにされた母方のしんせきたちに囲まれて育つのは、アレンにとってわずらわしいことでしかなかった。ばんぶつに等しく愛着はなくても、めんどうなことや不快なことはわかるというのも困り物だが。

 そういうわけで、幼いころのアレンは、王宮をひそかにしゅっぽんする機会が自然と増えていった。

 外に出たら、多少興が乗るものが見つかるかもしれない。勉学やぎょう作法、武術げいなどのひっこうを真面目にやっておけば、父も文句は言わなかった。つまり彼がますます品行方正で優秀に育ったのは、いわば必要にかられてのことである。

 親しく付き合うのは、決まってアレンの将来にとって特に利益にならない下級貴族の子息や、アレンの出自を知らない平民の子どもたち。時には、商学を実地で学ぶ際に顔見知りになった大人たちをたよって、遊び半分に情報もうく。場合によってはひんみんくつに出入りすることもある。

 そんなことを繰り返していたら、ガラやことづかいは悪くなるし、ますますしゃに構えて世間を見るようにもなる。素のいちにんしょうがお行儀のい「僕」から、おうこう貴族らしからぬ「俺」になったのもこの辺りだ。当時得た知見や人脈は、今でも役に立ってくれているものもあるので、きっとではない時間だった。

 とりあえず、五年前にやっと『王族として知見を広めるのは悪くはないが、素行はいい加減にしろ』と、行状を見かねた父の命令で王立魔術研究所に所長として放り込まれるまで、アレンはそんな感じだったのだ。

 ばんに対するしゅうちゃくの薄さと人間への無関心も加速するばかりで、七年前なんて、口も性格もべらぼうに悪かった。自分で言うのだからちがいない。

 さて──


 ──近々、モイライの魔女が参加する、秘密の夜会があるらしい。

 当時付き合いのあった下級貴族の次男ぼうからさそいを受けたのは、そんな七年前のことだ。アレンは十二歳だった。


(モイライか。話には聞くけど、見たことはないな。そういえば)


 二百年前、レヴェナントの王族にそんにすぎるのろいをかけた魔女一族の名前は、この国で知らぬものはない。当事者である王室の男子であるならなおのことだ。

 糸魔法をくし、特に力が強ければ人の運命をあやつるとまで言われる、なる大魔女の血統、モイライ。

 魔女という種族はちょう寿じゅではあるが純血をつなぐことが難しく、樹海にひきこもって暮らすようなへんくつな性格のものが多いなか、モイライ一族はこい多き女が多いことでも有名だ。

 そして現在、レヴェナント国内にたいざいしている、モイライに連なる魔女は三人。うち姉二人は純血で、三人目はまいの、半人はん

 姉たちはそうほうとも「かみどころか鼻毛までつややか」「むしろ毛穴までりょく的」とうわさされるモイライらしく、いかにもはなやかでけんれい。その容色を最大限にかし、男遊びが大好きで、貴族でも平民でも、見境なしにあれこれ恋のわり定食を決め込んでいるらしい。が、まだとしもいかない末っ子の三女だけは、滅多に人前に現れることはない──


『その、全然出てこない秘密の三人目が、めずらしく今度の夜会には来るらしいぜ!』


 悪友たちは、そんなふうに口をそろえてアレンを誘った。

 なんでもその夜会とやらは、月に一度、とあるすいきょうな貴族が身分をかくしてかいさいするもので。モイライの魔女の姉二人が、〝愛の〟にしている一つ、らしいのだ。


(……はあ)


 冷めた目を向けるアレンの前で、同い年の悪友たちは、大いに想像をたくましくして盛り上がっていた。


『へーっ! それって確かな情報なのかよ? モイライの魔女は、いきまでの香りがするらしいじゃんか。どいつもこいつもすげえ美人なんだろ』

『姉ちゃんの方なら、長女か次女かどっちか知らないけど、オレ見たことあるぜ! こしを過ぎるくらいのグルングルンごうな黒い巻きがみで、くちびるなんて血みたいに赤くてさあ。黒いドレスの太ももまでスリットが、こう……たましいかれるくらいれいだった! けどなんか、実ねんれいはやばいババアらしいって。どう見ても二十歳そこそこだったけど……』

『三女は半魔だし、そんな年増じゃないんだろ。モイライって言えば例外なくたんくろかみあんの瞳、だっけ? しかもアレンなんて王族だから、一目見たら恋に落ちるとか伝説あったじゃん? ちょっとためしてみようぜ』


 品のないやりとりは、思わぬところで飛び火してきた。


(ええ……?)


 まだ見ぬモイライのおとをめいめいに夢想しては興奮しつつ、おもしろはんぶんに誘って来る悪友たちの口ぶりに、アレンはへきえきした。


『正直、興味ないんだけど……』


 断ろうとしたが、彼らはすっかりアレンが参加する前提で話を進めているらしく。付き合いきれないと放置していたら、そのうちに一人がそこそこ値の張る招待状まで手に入れてきたので、行かないとは言い出せないふんになってしまった。


(しょうがない。ちょっと顔を出すだけだ)


 そういうわけで。

 しぶしぶながらいざ参加してみると、夕暮れ時から開催されたその夜会は、いちおうは仮面とう会のていさいとはいえ、真面目に顔を隠しているものの方が少ないような雑なありさまだった。

 立場上、あまり表立ってこういうところに出入りしているのも外聞が悪い自覚があるアレンは、平気でがおを晒す招待客たちに交じり、しっかりと仮面をかぶり直す。飾りもほとんどついていない黒い布製のそれは、目元から鼻の上までをおおい隠してくれた。これならそうそう誰だかわかるまい。

 会場である、王都のとある貴族のしきの庭は、すっかり日が暮れた後も、ひもで頭上にわたらせた赤いせきのランプで明るく照らされ、昼間のように視界がめいりょうだ。

 しゅつが多めのドレスで華やかにかざった貴婦人や、明らかに高級しょうおぼしきな若い女が笑いさざめく間をい、きゅうたちが酒のグラスを配って回る。どことなくいんむらさきのクロスがかけられたテーブルには、立食形式の軽食が並ぶ。

 酒と、料理と、男女それぞれのこうすいにおい。混じり合ってこうげきしてくる、むせ返りそうなそれらに、アレンは早々に参加したことをこうかいした。

(目的のモイライをどれか一人でも見て、それですぐに帰ろう)

 やれあの女が美人だの、あっちの暗がりでいちゃつく男女がいただの、下世話な話題で盛り上がる悪友たちの話を右から左に聞き流す。──正直、王宮にいる連中よりマシなだけで、彼らとしんけんに交流してきたわけではない。ついでに彼らもアレンとはいっときの付き合いだと割り切っているはずで、誘われた席を中座したくらいで気を悪くされる仲でもなかった。


『お、いたいた。あれだよモイライの魔女。オレが前見たやつ』


 ──と。

 悪友の一人がアレンのかたたたいた。人差し指の示す先に視線をやると、確かに少しはなれた場所に、紅色の酒を満たしたゴブレットを片手に、数名の男をはべらせだんしょうする女の姿がある。


(へえ……)


 触れ込み通り、ごうしゃな長い巻き髪の女は、はだろうのように白く。唇はピジョン・ブラッドのあざやかさ、れたアメジストの目にかげを落とすまつと、何もかもたいそう美しい。

 顔を隠す気はやはりないらしく、片手に持った棒先に付けられた仮面は、すっかり定位置から離れていた。

 ついでに肌も隠れておらず、スイカのような大きさの白い乳がやみ色のドレスに押し上げられ、デコルテから深い谷間をのぞかせている。アレンのとなりで、悪友たちがいっせいに口笛をいて鼻の下をばしていた。


(なんというか。確かに美人だけど、……ものすごくアクの強そうな……?)


 彼女の周囲だけ、空気が違う。

 言うなれば──紫の瞳には魔が宿っている、と。

 それも、ひといのものが。そっちょくな感想を述べれば、いだいた印象はそんな感じだ。

 あたう限り近寄りたくない類であるのは間違いない。油断すると本当に頭から食われそうだな、と思っていたら、やはりというか、そばで顔を赤らめて彼女に熱いまなしを注いでいた若い男の一人が、ゆうとうかれた虫のごとくフラフラと彼女に近づいていく。

 名も知らぬ美しいモイライは、あかつめでそのあごを捉えて何事か耳にささやき、……やがて二人はどこかへ消えていった。


(──うわ)


 思わずアレンは苦々しくまゆを寄せ、悪友たちはかんせいをあげている。

 口々に、モイライの色気やぼうについて言い立てる悪友たちをしりに、彼女の去った後に何気なく視線を投げた後。アレンはふと、そこにポツンと取り残された少女がいることに気づいた。

 ろうそくの周りを飛び回る蛾のような男たちは、一人が選ばれたことですっかり散ってしまっており。まるでそこだけ祭りの後になったようなかんさんとした中で、簡素な黒いドレスを身につけた少女の姿は、なんとも浮いていた。


(なんか、ちがいな子だな。けど、こんな〝いかにもな〟パーティーに、どうしてまたあんな子どもが?)


 遠巻きに見た印象だが、まだ十歳にもなっていないのではないか。

 アレンも十二歳なので別に大して変わらぬ年齢なのだが、それにしたって肉付きの薄い細い肩といい針金のような手足といい、悪目立ちするあどけなさだ。肩まで伸ばした黒髪に赤いリボンを結び、くろねこを胸にしっかりいた少女は、保護者とはぐれたのか、しょんぼりと肩を落としている。

 言っては悪いが、さっきモイライの魔女を見たせいか、地味をとおしてみすぼらしくすら映る。とはいえあんな子ども相手に、品定めのようなまなしを向けること自体あり得ない話で。自分もたいがい、この場の空気にてられたらしい。


(……あれ?)


 不意に。


『え』


 顔を上げた少女の瞳が淡い紫色をしていることに気づき、アレンは声を上げていた。


うそだろ、あれが?)


 黒髪と紫の目は、モイライの魔女のあかしだ。

 ──ということは、あの少女は、なんとモイライ一族に連なるものらしい。年齢から察するに、今日だけ特別参加という例の三女だろう。

 思わずぎょうする。

 見れば見るほど……少女は、「地味」以外の感想が出ないようぼうをしている。


(いやでも、顔の造作とかの話じゃなく……あまりに無害すぎるというか……? がない。さっきの派手な女みたいに、目があったしゅんかんにとって食われるようなしょうでは全く、これっぽっちも……)


 おそらくは、男を連れてどこかに消えてしまった姉をさがしているのだろう。

 少女は使い魔らしき小さな黒猫を胸に押し付けるようにして、不安そうな表情で辺りをきょときょとと見回している。

 先ほどの姉の瞳よりもいくぶんか薄い色合いをした大きな紫は、アメジストとでも評するのがとうなのだろうが、なぜか真っ先に連想するのは城下の市場で売っているぶどうあめだ。飴玉が二つまった幼い顔立ちは、色気とはえんの甘さがある。

 あの様子だと、姉はしばらく帰らないだろう。少女の顔がくしゃっとゆがむ。唇をみしめ、泣きそうで泣かない。……見ていると、だんだんかわいそうになってきた。


(……声、かけてみるべきか?)


 そんなふうに思ったのは、単純に、あわれみからだった。

 姉に誘われて訳もわからぬままついてきたのだろうが。そのろうばいぶりが、あまりに場違いで、心細そうで。一言「あんたの姉ならしばらく帰らないと思うぞ」とでも言ってやった方がいい。こんなところで放っておくのも、……という、常識的な親切心や年上の義務感から、──だったのだが。

 そういうわけで、アレンが何気なく彼女に向けて一歩をそうとしたところ。黒いしょうの胸に抱かれていた同じ色のねこが不意に伸び上がり、主人をなぐさめるように、白いほおをぺろりとめた。

 その瞬間。


『ロロ』


 彼女は使い魔の名前らしきものを呼ぶと、うでの中の子猫に向けて、ふんわりと口元をゆるませた。


(──あ)


 その淡い紫のなごみ、やわらかさを増す。瞬間に。


(魔、が)


 ぞく、と背筋があわつ感覚を覚え、アレンはどうもくする。

 ──先ほど、姉の瞳にもおぼえた、魔性の気配。

 の飴玉なんてものにたとえたばかりだというのに。人を惹きつけ、しんえんへと引きずり込む、美しいしきさいを。確かに、やせっぽちの少女の持つ一ついの奥に見つけ、思わずごくりとのどが鳴った。


(すごいな。なんていうのか……あの子もいっぱしにモイライなのか)


 とはいえその時、心におぼえたのは単なる感心の延長で。伝承通り、見るだけでたちまちとりこになるなどということはなく、ついでに断じてひとれでもなかったのだが。


『なになにー、どうしたアレン? ……お、あの子もモイライじゃね!?』

『うわほんとだ。あれが例の三女ってやつか。なんかさぁ、地味だな』


 悪友たちがアレンの様子に気づき、たちまち集まってきた。


『え、なんだよアレンああいうのが好みなの? 全然まだガキンチョじゃん』

『ほらそこはあれだろ。例のできあいの呪いだろ。ヨッ、一目惚れ!』

『ごちょうあい待ったなしかぁ? ほら、そうと決まれば告白して男見せてこいよ! あの子滅多に出てこないんだからさぁ』


 どん、と悪友の一人に背を押され、『うわ!』とアレンはよろめいた。

 そうして、きんこうくずして数歩を踏み出してしまい。

 ──気づけば、すぐ目の前に、くだんの少女が立っていたというわけだ。

 覚えてろお前ら、と背後をにらみつけると、彼らは口に手を当てて、『溺愛だ溺愛だ』と大声ではやててくる。

 それだけなら自分一人が流せばしまいだが、悪ノリが過ぎる彼らは、挙げ句にアレンと少女の周りをぐるっと取り囲んだ。


『なぁなぁモイライのお嬢さん、そいつ、あんたのこと好きなんだってさ!』

『これからひま? 姉ちゃんどっか行ったんだろ? なあ?』

『よく見たら結構可愛いじゃんか。先物買いってやつ? この会場抜けてさぁ、オレらとちょっと遊んでかない?』

(おいおい……)


 友人たちのおふざけに、アレンはさすがにじゅうめんになった。

 絵にいたようなタチの悪いからみ方だ。それもこんな年端もいかない少女に。

 あまり他人に興味のわかない自分でも、このじょうきょう不味まずいとわかる。現にモイライの子は、胸の黒猫にすがるようにし、見るからに怯えた様子を見せた。


(どうする? ここでこの子をかばえば、また溺愛だのなんだのやいやい言われて面倒になりそうだし)


 かといって少女を見捨てるというせんたくこそない。呪いのいつがついた王族の自分さえいなければ、彼女はここまで巻き込まれることもなかっただろうから。

 その時、共に夜会に来ていた友人たちとは、もう誰一人としてえんが続いていないし、そこで彼らのからかいにくっする必要性など、万に一つもなかったのだが。アレンはとにかく、やっかいなことにならずにこの場を収める方策はないかと思案をめぐらせた。


(はあ。……しょうがない)


 ──決して許されることではないのだが。それでも、選んだやり方について言い訳をさせてもらうなら。当時のアレンは冷静ぶっていても十二歳で、まだまだ判断の甘いりで、ついでにあえてしつこく繰り返すが、斜に構えた悪童だった。


『……そのへんでやめとけよ』


 ねこを抱いた少女ときょめる友人たちに向け、アレンは頭の中で軽く台詞せりふを練ると、手近な一人の肩に手をかける。なるべく冷めきった表情と声になるように調整して。


『ん? だってお前、この子モイライだし、ってか一番興味があんのお前じゃね?』


 案の定、相手が不満そうに口をとがらせるのを、アレンはこれ見よがしに『は』と鼻で笑っておいた。


『興味? あるわけがない。その子のことを、地味なガキだって言ったのはお前らだろ? どうせねらうなら姉の戻りを待てばいいのに。ずいぶん節操がないんだな』


 ──悪いけど、俺は先に抜けさせてもらう。あとは好きにすればいい。

 そう言い残して手をると、心底どうでもよさそうに、さっさと背を向けてしまう。ついでにこの息苦しいパーティー会場からも立ち去る口実になるなら、願ったりかなったりだ。


『……んだとぉ! 別にオレも興味ねーよ、こんなガキ!』


 後ろで友人たちがふんがいする声と、こちらを追いかけてくる気配があったので、ちらりと振り返る。……たんに、後悔した。

 彼らの後ろで、少女はひどく青ざめた顔色をしていた。どう見ても「助かった」という感じではなく。


(あ)


 そしてその時点で、アレンは自分の言葉選びが『行き過ぎた』ことをさとったのだ。


 ──興味? あるわけがない。……地味なガキだって言ったのはお前らだろ?


(しくった)


 あの言い草では、悪友たちの台詞をこうていしたも同然だ。

 友人たちの興味をぐため、……なんてことは言い訳にすぎず。台詞はただの方便、決して本心から外見を罵倒するつもりはなかったとも、彼女本人には伝わりようのない話で。


(そうだ、戻って謝れば)


 しかし、アレンがしゅんじゅんしているうちに、少女はきびすを返し、人ごみの中にげ込んでしまう。無事に悪友たちを振り切れたことはちょうじょうだが、謝罪もできなくなってしまった。

 終わったことだ。わざわざ引き留めてし返したほうがいやな思いをさせていたかもしれない、などと、どうにか踏ん切りをつけようとはしたが。


(やっぱり最低すぎる……)


 その後、王宮に帰ってから、少女のそうはくな顔を思い出しては、アレンは頭を抱え、かつてないほど反省した。自分のとった行動は、友人たちの手前で格好をつけたかっただけで、最良でもなんでもなかったと自覚があったからだ。


(からかわれようとずかしかろうと、正面切って「やめろ」と庇えばよかった)


 その程度、自分にはなんのにもなりはしないのに。結果として容姿を馬鹿にした形になり、彼女の心には傷をつけてしまった。あれはない。ほんとごめん。

 どうにか謝りたかったが、モイライのまつまいが例のパーティーに来ることはそれ以降なく。アレンは、謝る機会もいっしてしまったのだ。

 そう。七年前のアレンは、言い訳のしようがないほど、まぎれもなく悪ガキだった。

 ──そのことに関しては、やがて王族としての後継者教育が本格的になり、ついでに王立魔術研究所の仕事にのめり込むようになってから、アレンは意図的に黒歴史としておくの奥底にふういんしていた。

 最近になって、研究所の人員しゅうの関係で、そのモイライの末妹が、どうやら王都のはずれで薬屋をやっているらしいという噂を聞きつけるまでは。

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