4.王太子殿下の黒歴史②
*****
黒歴史の回想を打ち切り、アレンは椅子に深く背を
(いまだに覚えているくらい、ラケシス嬢には申し訳なかった……とは思ってたんだ)
この件は近年になって、研究所の部下のルピナに思いつきで話したこともあるが、「所長、それは年齢関係なくクソヤローすぎるんで一回死んだ方がいいですよ」と一刀両断されて終わった。事実その通りだと思うのでぐうの音も出なかった。
──珍しい薬糸魔術を売りにする魔女が、王都のはずれの樹海に住んでいる、と聞いた時。糸属性の魔術ということで、おそらく例のモイライの子だ、と察しをつけた。
ガイウスを
そういうわけで、ラケシスを半ば
(と言っても、七年も前の話だし、彼女は覚えてないかもしれないから、あえて理由は話さなかったけど──)
(……これはお詫びになっていないどころか、逆効果では?)
すぐにアレンは次の手を打つことにした。もとより、その魔術の腕に興味は持っていたのである。「タダ飯食らいは嫌なんです」と必死に
結果的に、彼女は以前よりアレンに打ち解けるようになってくれた、のだが。ただ一つ、誤算があるとすれば──
(いつの間に、こんなに好きになってたんだ?)
確かに始まりは罪悪感だったはずなのに。
(……昼食の後、薬糸魔術で
市街地で、凶暴化した
今となっては、きっかけはもう、どうでもいい。
自分が疲れているのを的確に
(とどめはあれだ。あの笑った顔は、……ちょっと反則)
無表情で、いつもおどおどして、どこか怯えた小動物のような眼差しを向けてくるラケシスが、不意うちで笑った瞬間。
目にしたが最後、
どこまでも優しくて穏やかなのに、そのアメジストの奥には、七年前に
最初目にしたあの時は、さほど心を動かされなかったのに。
今は
(けど、……なんでだろう。助けてくれたこと……は、おそらく理由の
ふと己の感情を
生まれてこの方、形のあるなし問わずどんなものに対しても関心が薄かったし、それが自分の本質なのだと思っていたから。これだけ何かに、誰かに惹かれ
なんにせよ結論として。自分でも気づかないうちに、アレンは相当ラケシスのことが好きになってしまったらしい。
のらりくらりと彼女が自宅へ
(──モイライの呪い、ね)
生まれて初めてだった。誰かの一挙手一投足で、気持ちが浮き立ち、食事が
こんなに楽しい呪いなら
ひとたび
けれど
*****
一国の王族としては、
レヴェナント王室の
『父上、ご相談があるのですが』
『どうした
『さようで』
色合いも
『モイライの三女ラケシス嬢との交際に許可をいただきたい。ゆくゆくは結婚を前提に』
『許す』
『……えらく返答が早いですね?』
まじまじと顔を見つめると、父は
『不満か?』
『いえ。まさか』
あれこれ入念に準備してきた、
『レヴェナントには今のところ、対外的に
モイライの魔女は基本的に素行と性格に問題アリでとても王妃になど望みようもないが、その点あの三女なら
『アレン。お前の取り組むべき目下の課題は、グリムの率いる魔導学院派を均しておくことだ。聞けばあの
『……父上は、よく私に〝お前のそういうところだぞ〟とおっしゃいますが。今、そっくりそのままお返ししますね。そういうところです』
『まあ、お前の半分は私だからな。血は争えんということだろう』
表情も変えずにしれっと
『そう嫌そうにするな息子よ。昔から妙に達観して、なんにでも関心の薄かったお前が、こうして私に許可を求めるくらい心
『はい。承知の上です』
『結構。……ああ、もう一つ。モイライの姉二人を敵に回すと面倒だからな。
『今踏んでいるところです』
『そうか、ではこの父からは何も言うことはない。相変わらず手回しだけは一丁前だ。無事に実ればいいな。
話はすんだと言わんばかりに手を振り、アレンを室内から追い出しがてら。
『そうそう。
『…………はい』
(なんで知っているんだ、それを)
自分が悪ガキだったのは、この人がクソ
アレンはちょっと呆れたが、別に今言うことでもないので
こうして、立場的には、アレンは晴れてラケシスと交際の許可を得たわけである。
──本人の知らないところでだ。
然るべき手順は踏んでいるところだと言った舌の根も
*****
このところの、現状に至るまでの
切らしていた集中力はだいぶ在庫が復活しており、あと
(さて。そろそろかな……)
ここで待っていたらおそらく訪ねてきてくれるだろう人物のことを思い、アレンは目を細めた。
「アレン王太子殿下。失礼いたします」
やがて、コンコンと軽いノックの音とともに、重い扉を開けて入ってきた相手に、アレンは明るく声をかけた。
「お疲れ様、ガイウス」
「いえ、疲れるなどと。殿下に比べれば、この身に任された職務など軽いものです」
四角四面な返答とともに室内にするりと入ってきた
「待っていたよ。私に話があるとか?」
「はい。例の動植物の凶暴化病の案件で、改めての
ガイウスはアレンの座る執務机まで一直線に歩いてくる。そして、広い
(予想にたがわぬ展開だな、というか)
待ちかねた好機とばかり灰青の瞳が
「これは?」
本心を隠し、素知らぬふりで首を
「今のところ、民には死者、重傷者とも出ておりません。ですが、このままでは時間の問題でしょう。何より注目すべきは
意気込んで言い切ると、ガイウスは広げた書類の中から、表らしきものを選んでアレンに
「へえ……。うちの研究所の面々の、得意とする魔術と出身地の一覧か。たしかに隠してはいない情報だけど……これだけ入念に、よく調べたね」
「国の一大事ですので」
勝手なことを、という言外の非難は、さらっと受け流される。
「たとえばこのルピナ・ヒギンズという魔女ですが、七十
「……」
視線だけでアレンが続きを
「アレン殿下。この際、はっきり申し上げます。宮廷では、この無差別な凶暴化事件は、悪質な魔女の仕業であるという見解が広まっております。そして残念ながら、王立魔術研究所では目立った
(ほら来た。よくもまあ。見解が広まっているとか、見方をする者がいるとか。他人の立場や言葉を借りているけれど、要するに君の希望だよね)
一見してニコニコと
満を持して示された、魔術研究所を
いずれも証拠としては薄い。もう一声、といったところ。
「その件について、君にいくつか
興味を持って質問をするふりをしながら、アレンは密かに考える。
(……やっぱり、話すだけじゃなかなか
──そう。
王都周辺の動植物の凶暴化病は、他でもない。この従兄が中心となった自作自演である可能性が高いのである。
先日彼と共に城下に下りていたのは、その調査のためだった。
基本的に臣下としてガイウスは優秀だし、彼なりにレヴェナントと王室を愛している。けれど、彼の愛情は一方的で、思い込みも激しい。そして何より、一度頭に血が上ると、見境がなくなる
(たしかに俺はグリム侯爵家の血を引いている。けど、それだけで妙な期待をされても困るんだよね……)
王立魔術研究所とは、ガイウスにとって、家業の誇りや代々の利権を害する一族
(理解はしよう。だが、民を巻き込んで事件を起こすとは、さすがに舐めすぎだ)
いかに小器用でも、あるじを裏切って
執務机についたまま、正面に立つ従兄の、メガネの奥にある、己よりもいささか灰色の強い青の両目を覗き込むようにして。その、
先王や父王と同じ意向で、国益のためには時代
(こちらの誘いに乗ってこないということは、ガイウスはおそらく、俺が彼の目論見に気づいていることを、気づいている)
動植物の凶暴化病を使って世情を乱し、そのうえで魔女や王立研究所の権威を守れるならやってみろと、無言の
ここから先は、どちらが相手の
(ガイウスもなんだかんだと理性的な面は残っているはず。国を巻き込んでいる時点で論外とはいえ、場所を
化かし合い自体は
魔女
(……ラケシス嬢のことを俺が構い
ラケシスを王宮に招いた時も、その後も。形ばかりの
その静けさが不気味である。何か
(それもたぶん、ラケシス嬢にしかけてくる)
王都で凶暴化病を流行させ、それを魔術研究所から流出したものだと噂を流し、解決は魔導学院があたる。そして、研究所の名を地に落とし、同時に学院の栄光を取り戻す。ガイウスの計画ではそうだったはずだ。
だというのに、あの時──
さらに彼女がアレンの手引きで研究所に所属などすれば、対抗策を編み出して何もかも台無しにしかねない。というか現状、そうなりつつある。
身辺によりいっそう気を配って
(少し前ならまだしも。今彼女に手を出されると、何をするかわからない)
──ガイウスがというか、自分が。
「……報告は以上かな。ご苦労だったね。君の調査結果と懸念については、私の方でもよく考えておこう」
「お時間を
決して表には出せない腹の内などおくびにも出さず、アレンは「ところで」とにっこりと従兄に笑いかけた。
「ガイウス、私は君のことを
「はっ。光栄にございます」
「……君とは今まで通り良好な関係を築いたままでいたいな」
「ありがたき幸せ。
(は。どの口が。まあ、それは俺もか)
きびきびと何食わぬ顔で答える臣下に、アレンは薄く笑った。
笑顔というのは不思議なもので、眼に
「どうしましたか殿下?」
メガネを押し上げて、わざと
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