3.近づく距離と戸惑いと①



 ──そうして、ラスが王宮に上がってから、あっという間に三日が経過した。


(なんで!?)

 いくらなんでも「あっという間」がすぎる。

 あたえられたごうせいな自室で、想像したこともないほど広いふかふかのベッドで目を覚ました後、絹のきのまま金色の鏡台の前にこしけ、今日もミシェーラの手で「今日は何をおしになりますか?」とワクワクしたぜいかみをとかされながら。


(いやほんと、なんで?)


 ここに来てからというもの、ラスは無数に自問をかえしたものだ。


(このたいぐうは身に余るから、せめてもうちょっとりゃくな感じのたいざいにさせてほしいって言ったのに……)


 あれよあれよといううちに口車に乗せられ、いまだに十分になっとくできないまま。毎日れいなドレスを着せてもらい、ミシェーラや他の使つかいたちの手を借りてはいい香りのするお湯にかり、王宮の庭園を散策したり、図書室を見学させてもらったり……。


(おかしい、絶対おかしい……私、一体どういうあつかいで、ここにいさせていただけているんだろう……)


 考えるたびに、垂直に折れるほど首をかしげてしまうラスだ。

 確かにアレンを一度助けはしたけれど、断じてここまでされるほどではない。そして、やくじゅつについて聞きたいなら、相応の立場の者としてしょうへいされるべきだと思うのだが。ラスの扱いは明らかにひんかくのそれだ。

 おまけに、さすがにいそがしいようで回数こそ多くなかったものの、アレンは毎日時間を見つけては必ずラスのもとをおとずれた。

 いっしょに食事をったり、お茶をしたり、部屋で軽くだんしょうしていったり──そう、アレンはよく笑う人だ。そして、とても「聞き上手」な人だった。えんもゆかりもないラスの話を聞きたがるだけでなく、魔術談義になるとことさら興味深そうになり、内容について深くんだ質問をしてもくる。

 彼の話術はたくみで、他人と話し慣れないラスも不思議と不快感を覚えることがない。もっとも「談笑」といっても、笑うのが大の苦手なラスの方は、じょうきょうの不自然さもあって、いつもの無表情をくずすことができなかったが。


(どう考えても、これって私がモイライのじょだからでは……)


 思い当たる節があるとすればそれしかない。

 というか、そうでなければこのこうぐうの説明がつかない。


(目に見えて変化があるようには感じられなかったけど、やっぱりあの晩、できあいのろいが発動してしまったんだ。それで、ご自分でもよくわからないまま、無意識のうちに私のことをそばに引き留めようとしているのよね……?)


 その結論は、ストンとに落ちた。

 同時に感じるのは、ひたすらにアレンへの申し訳なさだ。


(きっと不本意なはずだわ。……本来の意志と関係なく、おもいをあやつられているってことだもの)


 その昔、血筋ごと呪われてしまったがために、縁やゆかりはおろか興味すらない魔女などに親切にせざるをえないなら、彼にとっては不幸な事故に他ならない。


(魔術ほうの原則としては、呪いのたぐいをとくために一番効果的な方法は、げんきょうになっているものから遠ざけること)


 今、アレンは何かと理由をつけてラスの顔を見に日参している状態だ。──それは非常によろしくないのではないだろうか?


(あなたには呪いがかかっているので私には会わない方がいいです! って本人にお伝えするのが一番手っ取り早いけど、どうしよう)


 しかし、さすがに勇気が出ない。

 彼自身の意志でないにせよ「あなたは魔法のせいで、私を溺愛してらっしゃるんですよね? おかしいでしょう?」と直接問いかけるなんて。


(四苦八苦して理由を他に見つくろっても言いくるめられるし、時間が合わないふりをしても予定を合わせてくださるし。……むしろ余計なご負担を増やしているような)


 この三日間の状況をかえりみ、うーん、とラスは考え込んだ。

 お茶や食事のさそいも、どうにか毎回断ろうとしてはいるのだが。

 なにせ、片や無自覚に人をきつけてはふところに入り込む天性の才覚を持つアレン、片や樹海の自宅に一人でひきこもってろくすっぽ人と接してこなかったいんうつひきこもり魔女のラス。社交力にうんでいがある。

 真正面からお断りし続けるのは難しい気がした。というか、現にできていない。


(そして、結局お誘いを断り切れずにお会いするたびに、どんどん呪いは悪化していく、と……まずいわ。とってもまずい。どうしよう)


 改めてラスは青ざめた。

 主人の顔色が悪くなったのを的確に察したらしく、さっきまで窓の外をひらひらうアゲハちょうを目で追っていたロロが、こちらを心配そうに見上げている。しょうしてその黒い頭をでつつ、ラスはひっそりと決意した。


(こうなったら最終手段しかない)


 正面からこうしょうは無理だ。とすれば、残る方法など限られている。お世話になっている手前、あまりに失礼なので、なかなか決心がつかなかったけれど……。


「あの、ミシェーラさん……じゃなくて、えっと、ミシェー……ラ。一つお願いがあるんです」


 三日っても呼び捨てには慣れず、逆に自分への「おじょうさま」呼びも落ち着かない。


「はい、なんでしょうラケシスお嬢様?」


 鼻歌混じりで「ツヤツヤの長いくろかみって、さわるのちょう楽しいんですよねっ」などと言いながらラスの髪を編んでくれていたミシェーラが、ラスの呼びかけに手を止めた。

 鏡しにその明るいはしばみ色のひとみを見つめつつ、ラスはおっかなびっくり、思いつきを口にする。


「えっと……よければ、私がここに来た時に着ていたしょう、ちょっとだけ返してほしいんです」

「え?」

「今日は、お庭の散歩を少しだけ長くしたくて、……そのためには軽くて動きやすい、慣れた服装がいいなと……」

「? それでしたら、特別動きやすいドレスを選ばせていただきますよ?」

「えーっと! 地面にかがんで薬草を見たりもするので……! よごすのが気になって、思うように動けないんです! ごめんなさい、す、すぐ済みますから……!」


 必死になってたのみ込むと、最初は「そんなぁ……。今日は何をお召しいただこうかって楽しみにしてたのにぃ」としぶっていたミシェーラも、どうにか折れてくれた。


「けど、お散歩が終わったらお召しえお願いしますね! ラケシスお嬢様の髪と瞳によく合う、すみれ色の絹地に黒いレースを重ねたドレスがあるんです。あと、それに合うホワイトオパールのくびかざりと、髪留めには銀細工のお花にルビーとメレダイヤをあしらったピンをつけさせてください。目をつけてたので!」

「…………はい……」

「約束ですよ!」


 しかし、最後にしっかりくぎされてしまい、ラスは視線を泳がせながらうなずいたのだった。はたから見れば、どちらに主導権があるかわかったものではない。



*****



 王宮で与えられた美しいドレスではなく、久しぶりに身につけた自前の私服は、やっぱりすんなりと身にんだ。

 一点物であろうつやつやかがやく絹ではなく、あらく作られた量産品の綿のはだざわりに、ひどく安心する。かざりといえばえりもとをとめるかわひもくらいで、裁断も縫製もざっくりなふかむらさきいろひざたけのワンピースを着たラスは、「それでは散歩に行ってきますので、ゆっくりしていてくださいね」とミシェーラに手を合わせた。


「ええ!? お一人で、ですか!? 絶対おじゃしないように気を付けますから、いさせてくださいって!」


 ミシェーラはまゆじりを下げてそう何度も申し出てくれたが、「じ、時間を気にしたくないので……?」とどうにかお願いした。


「しょうがないですね。朝食までにはもどってくださいよう!」


 くちびるとがらせて念を押しつつ退出していったミシェーラにあいまいに頷いた後、やっと部屋に一人になったラスは、備え付けの高級料紙を手にとる。「ちょっとした書き物用に」と、机の抽斗ひきだしに用意されたごくうすのそれは、どう考えても「ちょっとした」ようで使っていいしろものではなく。本音を言えば気が引けたが、この際背に腹は代えられない。

はいけいアレン殿でんもろもろの身に余るおづかいをいただき、まことにありがとうございました、ごあいさつもできず退出するご無礼をお許しください……』

 うんうんうなりつつ、そのような内容の文面を羽根ペンでどうにか書き付けると、今度はミシェーラたち使つかての手紙として、お世話になったお礼や、朝食が食べられないおびなどを連ねた一通をしたためる。

 どちらをも目立つようにテーブルの中央に置き、ラスはそっと部屋を出た。


(これでよし)


 ──王宮を出る。

 それも、アレンには何も言わずにそっと。

 色々考えた結果、「一番丸く収まるのでは」とラスが下した判断がそれだった。


(最初にばんさんをご一緒した時もだし、その後もだし……。きっと、あらかじめ『出ていかせて』って断れば、なんだかんだとみちの前に回り込まれちゃう気がする! こんなこと、失礼だし、大変申し訳ないけど、……先に帰らせていただいて、事後しょうだくしてもらう方が確実……かな、と……)


 強行とっに出ることにした背景として、実はアレンの側近であるガイウスのことも気にかかっている。

 じんきらわれている彼と、うっかりはちわせると気分が悪いだとか、そういう感情的な話ではなく。彼がアレンの近しい部下なのだとしたら、ラスが王宮内で受けている分不相応なしょぐうのことも承知だろう。

 話したのは初対面時の一度きりだが、「不敬だぞ」「けがらわしいモイライが殿下に近づくな」という要旨のことをガイウスは苛立たしげに主張していた。


(……それはそうよね)


 ガイウスが、アレンのことをたいそう敬愛していそうだ、──とは、なんとなくその言動から予想できることで。

 モイライの魔女が王宮内にいるだけでもさぞかし気苦労だろうに。なんとも申し訳ないなと思ったのだ。


(だから、これで正解のはず)


 元々、着の身着のまま招かれたので、自分の私物といえば衣装以外にないのが幸いした。みすぼらしい服とはいえ、捨てられていなくて本当によかった……。


(こっそりすにしても、名目として散歩に行くとは言ったから、ドアから出てもだいじょうよね……? 城門まで、正しく行けるかしら。乗り合い馬車は、……よく考えたら手持ちがないから使えないわ。王都を縦断して自宅まで歩いて帰るのはきっと一日がかりになるけれど、がんればどうにか)


 手順をあれこれ思案して整えつつ、ラスは足元に従うくろねこに声をかけた。


「行こっか、ロロ」


 このところ上等な魚のえさをもらえてごまんえつだったロロには申し訳ないが、ぜいたく暮らしはここまでだ。わいい使いは不思議そうに見上げてきたが、特に反発するでもなく、大人しくかたに飛び乗ってくれた。



*****



 果たして、王宮のしゅ殿でんからは、複雑に折れ曲がるかいろうを何度か迷いながらめぐったのち、どうにか出ることがかなった。

 問題は、そこから城門までの道筋だ。


「どっちに行くのが正解なのかな……?」


 なにせレヴェナントの王宮は非常に広い。全体では、ちょっとした町ほどの大きさがあるはず。ここに来る時、主殿の正面まで馬車で乗り付けたのはおくに新しい。居室のそばにある中庭や図書室くらいまでならこの三日間で覚えられたが、その先は未知の領域だ。

 主殿からはいくつもの副殿が続いており、さらには召し使いの生活するとうや兵舎、各種の研究設備に、小規模な果樹園や菜園まで備わっていると聞く。

 ラスが入ったことがあるのはごく一部、それもここに来た時のいっしゅんだけ。建物の中に迷い込むと出られる気がしなかったので、ラスは努めて屋外を選ぶように心がけた。


(たしか、王立魔術研究所も、王宮のしき内にあるんだっけ……?)


 ふと頭のかたすみで考えかけ、「いけないいけない」と首をる。今はとにかく、外に出るのが先決だ。

 丸やえんすいり込まれた庭園のトピアリーをながめつついしだたみの小道を急ぎ、紅白の花をつけるのアーチをくぐり、かものつがいが気持ちよさそうにかぶ人工湖のそばを歩く。

 めいのような常緑樹の通路を抜け、大小のふんすいを通り過ぎ。

 なんのせつかわからないけれど、いくつかの建物の横を通って──部屋を出たのは朝早くだが、そろそろ太陽も中天に差しかり、歩きつかれて足が棒になったころ


「! ここって……」


 白大理石の太い柱に支えられたきょだいな建物に通り掛かり、ラスは目を見張った。


「王立魔術研究所……!」


 かかげられた看板には、金字でたしかにそうつづられている。


(わあ、初めて見た。これがあこがれの……!)


 まさか人生で、この場所を訪れることができるなんて。じーんと胸を打つ感動に、ラスは研究所の入り口を見上げたまま、しばし足を止めた。

 視線を巡らせると、城門はすぐそばにせまっている。

 今のラスは王子に与えられたドレスではなく、自宅から着てきたふかむらさきだん姿。この格好をしていたら、城門近くの下働きや日用品をおろす商人にしか見えないだろうから、通用門からであれば、さしてあやしまれもせずに出ることができるだろう。


(本当なら、すぐにでも出ていかないといけないんだけど……)


 ちらりと視線を戻した王立魔術研究所のもんは大きく開かれ、前庭からげんかん口まで続く、広々とした通路がうかがい見える。


(私、ここに来て、アレンさまからお聞きして初めて知ったけど……実は王立魔術研究所って、そんなに長い歴史をほこる施設ではないらしいのよね。せいでは有名だから、もっと古いのかと思ってたけど……)


 なんでも創立自体は先王の代だそうで、規模が大きくなって王宮内に場所が移されたのは現王ゼラム政権になってから。さらに研究内容がやくしんして有名になったのはアレンが関わるようになったため、とか。

 だが、何千年も前からそこにあったかのように、門のそばにがんが配され、玄関前に噴水広場のあるたたずまいはそうごんだ。想像していたより、ずっと。


(ああ。……本当にてき。研究所には、私も知っているだいな魔女やどうの方々がたくさんざいせきしている。きっと今このしゅんかんも、働いているんだわ。……いいなあ、ここで、私もいつか、お仕事をしてみたかったなあ。雑用でも、なんでも構わないから……)


 海中せきを模しているのか、巨大な柱を並べたどこか古風なはくのたたずまいは、王宮の他の建物とは異なり、一風変わった印象を与える。それは明るい陽光をうけ、まるでさんぜんと輝いているようにラスの目には映った。

 緑のしげかえでの並木が飾る道を、奥にうかがえる石階段の上にあるあめいろおおとびらを。せんぼうしょうけいとをまなしにめ、ラスは思わずぎょうした。

 ──と。


「ラケシスじょう……?」


 完全に気を抜いていたところで、後ろから聞き覚えのある声で名を呼ばれ、ラスは思わず背筋をびくつかせた。


「はい!?」

「ああ、やっぱり。よかった、見つかって」


 あわてて振り向くと、──目の前にいるのは、やはりというかアレンだ。すぐそばに護衛のたちと、他にも部下とおぼしき数名を引き連れている。

 ぜんとするラスに、アレンはかたをすくめてみせた。


「ラケシス嬢が書き置きを残していなくなったと、血相を変えたミシェーラから報告を受けたから、貴女あなたさがしていたんだ。この王宮は広いし、迷子になっていやしないかと」


 その言葉に、ラスはざあっと青ざめる。さっそく書き置きは見られていたらしい。


「も、申し訳ございません、アレンさまにとんだお手数を……」

「気にしないで。私もちょうどこちらに用事があったし……むしろ、ここでの生活に何か不満を感じさせてしまったんじゃないかと、そっちの方が気になってね。貴女は急にいなくなるような人には見えないから」

「うっ」


 じゃなく輝くがおが目に痛い。ついでに罪悪感で心臓も痛い。


「理由、教えてもらっても?」


 思わず視線をらすが、アレンはきっとそれを聞かない限り解放してはくれないだろう。


「ふ、不満なんてあるわけがないです……! とてもよくしていただいて、お部屋もお食事もドレスも何もかもむしろ私なんかにはもったいない、申し訳ないくらいで」

「うん」

「だからその……申し訳ないゆえに、……と申しますか……」


 意を決して、ラスはきっと顔を上げると、両こぶしを固めた。


(ええい! 言わなきゃ!)

「私やっぱり、……何もしないで贅沢をさせていただくなんて無理です!」


 なんの対価もなく、おひめ様にでもなったかのような生活をさせていただいて、あまりにいたたまれなかった──そう声を大にしてうったえると、やはりというか、アレンはキョトンとしたように目をしばたたいている。


(実は、メーディア大おばあさまの溺愛の呪いを早くうすれさせるために、できるだけアレンさまから遠ざかりたかったのだけど……それはちょっと言いづらいふん!)


 ちらっとよぎった本音を頭からはらい、ラスはとにかく言葉を連ねた。単なる建て前ではない、こちらもまぎれもない本心だからだ。


「い、一着だけでも私にはもったいないドレスを、毎日取っ替え引っ替え着せていただいて、美味おいしいお食事だけでなくおやつまで毎日食べさせていただいて、それに身の回りをお世話してくださるミシェーラたちまで……ぜ、ぜ、絶対おかしいと思うんです。私は、アレンさまからごこうを受け取るほどのことを、何もしておりません」


 つっかえつっかえどうにか述べて、チラリとうわづかいに相手を見やると、アレンは「ふむ」とあごに手をやって頷いた。


「何もしていないわけじゃないよ。貴女は私の命の恩人だし」

「その恩でしたら、もう十分すぎて逆に私の借りになるくらい返していただきましたので! 何より、あの時は勝手に体が動いただけで、別にアレンさまだから助けたわけでも、見返りがしかったわけでもありません。だというのに今の私は本当に、タダめしらいもいいところで……そんなので贅沢をさせていただくのは、正直心苦しいんです!」


 言い切った。こんなに一気にしゃべったのは人生初ではないだろうか。


「そういうわけで、さっきゅうにおいとまをいただけたら、と……!」


 勢いのまま食い気味に願い出ると、アレンはなぜか楽しそうに唇のはしげた。


「君の気持ちは分かった。……じゃ、仕事があったら問題ないんじゃないかな?」

「え?」

「ラケシス嬢、ここで働かない?」


 そう言ってアレンが指差したのは、たった今まで、ラスがもの欲しそうに指をくわえて眺めていた王立魔術研究所だ。


「中の様子に興味深そうにしていたから、ひょっとして、気になっていたんじゃないかと思って。俺はいちおうここの所長だから、君をようするのになんの問題もないよ」

(そ、それは存じ上げておりますけど……!)


 よくよく見れば、彼の後ろにひかえている男女は、格好からしてきっとここの職員たちだ。

 金のふさかざりのとくちょう的な黒いローブは国家資格を持つ魔女や魔導士の正装だし、せきのついたつえたずさえている人もいる。おそらく名前を聞けば、ラスが市街の図書院で常時お世話になっている研究書や魔術書の筆者であろうことも察しがつく。


(ここで……働く? 私が?)

「……い、……いいんですか!?」


 この提案に、ラスはしばしぼうぜんとした。

 アレンは王立魔術研究所の最高責任者だ、それはもちろん知っている。彼が「働かせてくれる」といえば、真実そうなるのだろう。しかし。


(たしかにここで働けたらとは思っていたけど、でもそんな簡単に!?)


 今までのかっとうが、目まぐるしく脳内をめぐる。……そもそも、どうしてこんなになやんでいたんだっけ、というほどに。しゅうようこうに毎日のように熱視線を送っていたラスだ。アレンの提案はわたりに船だが、果たしてそんな美味しい話があっていいのだろうか……?


「実は、君の魔法を見せてもらった時に、ゆくゆくは研究所で働いてもらえないかな、とは考えていたんだ。……今、王都が最も悩まされわずらわされているのは、原因不明の動植物のきょうぼう化病だというのは、先日俺を助けてくれた君なら知っていることと思う。おそらくラケシス嬢の協力があれば、とても強いたいこう策が編み出せるんじゃないかと、ね」


 ラスの無害化魔法の話をあらかじめ聞かされていたのか、背後にいた魔女や魔導士たちが「ああ、こちらのお嬢さんが例の」「なるほど」とわしている。

 彼らのラスに向けるまなしには、興味はあるが敵意悪意はいっさいなく。ラスはコクンとつばを飲み込んだ。


「私、本当に……働かせていただいて、いいんですか?」

「君さえよければ」


 ラスに向けられた、き通るようなあおい瞳が、まるでねらいを定めるようにきらりと輝く。けれどラスには、そんなことまるで気づけなかった。


「──ぜ、ぜひ!」


 ほおを紅潮させ、思わず飛びつくように頷くと、得たりとアレンはほほんだ。

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