2.これって呪いのせいですか?


 さて。


(もし、本当に二百年前ののろいが残っていたなら)


 ……大変にまずいことになったぞ、と。

 やけにごうしゃなしつらえの馬車にられながら、ラスは顔をナスビ並みにそうはくにさせていた。きっと今なら雪山のとうたいと青み勝負ができる。

 それにしてもこの馬車、慣例表現的に「揺られる」といいつつ実際は全然揺れない。車輪のしんどうが無に近い。そして広い。座面はビロード張りだし、中にテーブルがあってお茶なんか飲めてしまう。すみにはじょひかえているし。王族ようたしの馬車様すごい。脳が現実とうに走る。


(なんでこうなっちゃったの……)


 ――いや結構ですだいじょうですお断りします気にしてないので、お礼とかいいんで、本当にいいんで!

 と、ラスとしては熱心につのったはずなのに。口下手で流され体質で、人付き合いがアナグマ並みに苦手な自分にしては、割とがんったはずなのに。

 努力むなしく、なぜか今、アレンにすすめられるまま馬車に収まっている我が身をかえりみ、ラスはややぼうぜんとしていた。

 ――そうおっしゃらず。貴女あなたが大丈夫でも私が大丈夫じゃなくてね。命を救われるという大恩を受けたなら相応に礼をしなければ、レヴェナント王室に連なるものとしてめんぼくが立たない。どうか私のためだと思って招待を受けていただけないかな? そういうわけなので。本当に、そうなので。

 いっしょうけんめい言葉を選んでしぼした「ごめんなさいお礼はりませんお引き取りくださ

い」に、アレンは適切に受け答えをして、ついでにわざとなのかはわからないがその選んだ言葉を一つ一つ拾っては、やんわりと、だが実にていねいに退路をぶち断ってくれた。おかげで現状がある。この馬車、王宮に向かうの? 本当の本当に? 夢だったりしない?


(落ち着くのよ私。本当に、つうにお礼をしてくださるだけっていう可能性も捨てきれないわ。まだ)


 名乗ってもいない、顔も見えづらい夜の市街地で出会っただけのラスの名前と住所を一晩で洗ってくることや、「無理を言って申し訳ないけど」などとしゅしょうな口上を述べながらを言わせず連行するようにエスコートするのが、果たして『普通』なのかはさておき、そこはしょみんおうこう貴族のにんしきの差かもしれないし……。

 顔色が悪いまま窓の外をながめるふりをしていたラスは、正面に座るアレンをチラリと見やる。


「ラケシスじょう、どうかした?」


 二度目のかいこうでも変わらずうるわしいアレンは、へきがんを細めてラスに問いかけた。


「いえ……」


 家族や数少ない商売相手以外、ろくに人に接してこなかったので、ただそれだけの質問にもラスはうろたえる。しかし、思えば彼は、自身にろくに向き合いもせず、ひたすら窓をぎょうするラスを、ここまでそっとしておいてくれていた。


(さすがにこのままじゃ失礼……よね。かといって、何を話せばいいんだろう。というか私の方から声をかけるのも〝不敬〞なのでは?)


 そもそも相手の意図がわからないのに。


(ききき、気まずい)


 再び青くなってうつむくラスは、アレンがクスッとき出した音で、やわらかな空気の揺れを感じ、おずおずと顔を上げてみた。


「どうかきんちょうしないで、……って言っても難しいか。おどろかせてごめん、ラケシス嬢」

「い、いいえ……」

「ところでその黒いねこは、貴女の使い?」


 座りごこのいいにかけたラスのひざには、人間同士のややこしい身分差のなどお構いなしに、ロロが丸まっていきを立てている。


「……はい。ロロと申します。言葉は話せないけど、とってもかしこいです」

「そんな感じがするね。すごくわいい」

「お、お、王太子殿でんは、ね、ねこがお好きなんです……?」

「うん。自由気ままなところが特に」


 どうにか会話の糸口が探せたことに少しホッとする。実は、子猫のなりはロロの真の姿ではないのだが、それはさておき。今は、愛くるしい使い魔に感謝だ。

 そうすると現金なもので、ラスはだんだんかくにんしたいことが出てきた。


「王太子殿下、あの……大丈夫でしょうか。私、こんなだんでお目にかかるどころか、馬車に同乗させていただく失礼を……」


 家にじょうしただけで、着の身着のままであれよあれよといううちに馬車に乗せられていたから、ラスは今、ふかむらさきいろだん使いの質素なワンピース姿のままなのだ。えは下着すら持っていない。


(どうやら王宮に向かっているらしいけれど、それは、こんなみっともない格好で参上してもいい場所かしらと……)


 おまけにラスの家は、所在が王都というのもおこがましい辺境なのだ。帰りは乗り合い馬車のお世話になるとして、王宮までなんて日帰りできるものなのか……とか。


「もちろん大丈夫だよ。同乗したのは私のわがままだし、王宮に行っても服装のことは気にする必要はいっさいないから、心配しないで」


 決死の思いのラスの問いに、王子はにっこりほほんで返した。

 どこがどう「心配しないで」なのかは、一切わからないままだ。そして「するな」と言われてもやはり心配はする。うすうす感じていたが、このお方、ひょっとして割と言葉が足りないのでは……。


(……けど)


 かんぺきな美しい微笑みをおそるおそる見やりつつ、ああやっぱり、とラスは思う。

 アレンは、昨日「知り合った」なんて言葉を使うのも厚かましいと感じるほどの、別世界に住まう存在だけれど。

(顔立ちももちろんれいだけど、……なんて自然に笑うんだろう、このかたは)

 ――こんなふうに、やさしくほがらかに、私も笑えたらいいのにな。

 見返すまなしにかすかにせんぼうを混ぜたことに、多分彼は気づくことはないのだろう。



*****



 生まれて初めておとずれたレヴェナントの王宮は、想像以上に広かった。

 じょうへきで円形に囲まれた王都市街地に、ゆきだるまの頭部とどうたいよろしく、もうひと回り小さな円をくっつけるように造営されており、――つまりはちょっとした都市並みの広さがある。

 ラスたちの乗った馬車は、にびいろこうかがやくけんろうな城門をけ、みちはばのある大通りをぐに進む。王宮と一口にいっても、王族たちが実際に出入りするのは、最も奥まった場所だという。少しお邪魔するだけのつもりでも、そんな場所ではますます今日中に帰ってこられるものかと、ラスは不安が増した。

 やがて到着した王宮しゅ殿でんは、はくの城壁が陽光を照り返すたたずまいが、息をむほどそうれいだ。おわんをかぶせたようなエメラルド色の屋根の建物には、と黄金でそうしょくほどこされ、周囲に天をつらぬくようなせんとうがいくつも連なる。


(……すっごい)


 半分たましいを抜かれたようになって目の前の景色を見上げるラスを、アレンは流れるように導いて馬車から降ろした。

 とにかくぎもを抜かれてばかりのラスだが、ここにきてさらに驚くことになる。


「ラケシスおじょうさま、お待ちしておりました!」


 馬車の前には、黒いお仕着せと清潔な白のエプロンを身につけた召U使つかいたちが、ずらりと整列していたのだ。

 彼女らが丁寧な仕草でいっせいに自分に向かって頭を下げる様子は、いっそ現実味を欠いてすらいて、ラスはただ呆然とするしかない。そして名前、やっぱりどうしてみなさまご存じなんですか……。

 おまけに着替えについては「大丈夫だよ」「心配しないで」とは確かに聞かされていたけれど。


(これは聞いてない!)


 ――お礼と言っても、ちょっとご飯をごちそうになったり、ほうしな的な物をわたされるだけかと思っていたのに。

 召し使いたちに囲まれ、アレンからはなされて、これまたぜいくした内装のきゅう殿でん内に入り、最初に案内されたのはだった。

 風呂、といっても大理石のよくそうだけでラスの自宅のしんしつより広い。聞けば王族専用の大浴場だという。「私、王族ではないので……」とつつしんで利用を固辞しようとしたら、「わたくしどもが王太子殿下のお𠮟しかりを受けます」と周りを囲む召し使いたちに口をそろえられてしまい、結局おだやかに、しかし情けようしゃなく私服をひんかれた。

 そこで、「いいです自分でやります!」という悲鳴を無視されて数名がかりで全身ピカピカにみがげられ、なんならはだかみに百花混成のこうり込まれたラスは、目を白黒させているうちに、今度は豪奢なドレスを着せつけられていた、というだいだ。


(本当に、どうなってるのー!)


 後ろで結ぶサテンのリボンでキュッとこしを絞ったうすべに色のドレスは、花びらのようにいくにも重なるスカート部を持ち、すそにかけて月見草を連想させるあわいグラデーションがかかっており、動きに合わせてかろやかに揺れる。

 ごこのよさもシルエットの美しさも、なんともお値段を想像したくないいっぴんだ。仕上げに、念入りにくしけずってコテをあて、わきだけ編み込んだくろかみに、たんこうおおつぶしんじゅのピンをかざられ、デコルテを強調した首元に同じく真珠のネックレスをからめられると、もう値段の話自体をしたくなくなってきた。 こわい。

 ついでに、ここまでの流れで十分に「怖い」のだが、「怖い」のはそれだけでは終わらなかった。

 帰りがけにちゃんと自分の服を返してもらえるのかどうか――返す目処めどもたたないのに、この月見草のドレスを借りたまま家に帰るのは断固きょしたい――確認してははぐらかされ、をかえすうちに案内されたのは、なんともわいらしい部屋だった。


(――広い! けどこれ、だれのお部屋? 調度もひとそろいあるし、どう考えてもどなたかの居室に見えるけれど……? 例えば、食事をごそうになるなら、食堂に案内されるのかとばかり……)


 部屋は、ラスが樹海のせきに構えるいっけんの居間どころか、家そのものと同じくらいの広さがありそうで、奥に白いレースのカーテンのついたてんがいつきベッドが見える。ねこあしのソファ、雪花石膏アラバスターのティーテーブルや大きな書き物机などまで揃っており、たんしょくを基調に整えられた家具類は、おそらく若い女性向けのもの。


(どう考えても食堂じゃないよね……? ということは、アレン殿下のごきょうだいのお部屋なのでは。でも、レヴェナントの王室に、ひめぎみなんていらっしゃったかしら?)


「あの、ここは?」


 とりあえず、どなたかの居室に勝手におじゃしているのでは申し訳ない、という意図をねた質問だったが、召し使いの筆頭らしき年かさの女性がおごそかに告げたのは、全く予想外の内容だった。


「こちら、ラケシスお嬢様のお部屋でございます」

「はい?」


(私の部屋……?)


 一ぱくおいて、言われた内容を脳内はんすうし。「いやいやいやいや」とラスは首をった。


「きゃ、……客間のこと、ですよね?」


 食事までの待ち時間を過ごすための場所という意味で「ラスの部屋」あつかいしただけで……というおくそくめて確認するラスに、彼女はわずかに気難しげな細いまゆを寄せると、しゃちこばった仕草で、「いいえ?」と首を振った。


「言葉通りの意味でございます。ラケシスお嬢様の、お部屋です」

「!?そ、それはあり得ません! だって、私は平民のじょですし。王宮にさんじたのは今日が初めてなのに、私の部屋があるわけがないですよね!?」

「ですから、アレン殿下のご指示で、お嬢様のためにきゅうきょご用意したお部屋です。なにぶん昨日今日でのきゅうごしらえですので、足りないものがございましたら、何なりと申し」

「申し付けませんよ!?」

(ですから、以降の接続がおかしい!)


 昨日今日の急拵えでこの完成度の部屋が出てくるのもおかしいし、それがラスのためのものだという流れはもっとおかしい。あと、名前を知られていることのおかしさにかまけてずっとっこまずにいたけれど、しょうの後ろに『お嬢様』と付けられるのも絶対におかしい!

 混乱のあまり、りくげされた魚のように口を開け閉めするだけで言葉が出ないラスに向けて、ゆったりと腰を折って礼をると。召し使い筆頭の彼女は、後ろに控える他の召し使いたちに、ちらりと視線を向けた。


「ところで、ラケシスお嬢様。しつけながら私見で選んだドレスをおしいただきましたが、クローゼットの中にも他の品がございます。わたくしどもはこれにて下がらせていただきますが、お召しかえのご希望がございましたら、専属の侍女が一人おそばに付きますので、えんりょなくご命令ください。ミシェーラ、こちらへ」

「ハイッ」


 元気な返事と共に前に進み出てきたのは、くるくると細かく縮れたようなわら色の髪を綿のキャップに押し込んだ少女だった。

 子鹿を思わせるがらな細い体を黒のエプロンドレスに包み、そばかすの散ったほおの上にある薄茶のひとみを輝かせて、こちらをワクワクしたぜいで見つめている。ラスよりも少し年上に見えるが、なんだかひとなつっこそうな空気がありありと見てとれた。


「今日からお嬢様つきになります、ミシェーラと申します! どうぞよろしくお願いいたしますね、ラケシスお嬢様!」

「……? えっと……」


 展開が速すぎて頭がついていかないが、ミシェーラなる召し使いの少女の台詞せりふで、聞き流せない言い回しが一つ。


「あの、ミシェーラ、さん」

「ハイ! どうぞ呼び捨てで結構です!」

「……善処します。ええと、私もお嬢様なんてつけて呼んでいただくほどの立場ではないので、できたら同じく呼び捨てか、それがダメならせめて〝さん〞付けとか……」

「ラケシスお嬢様はラケシスお嬢様ですね!!」

「…………はい」


 押しが強い。

 ほとんど人と接してこなかったひきこもり魔女に、初対面の同年代を呼び捨てはなかなか難題である。それはさておき本題だ。


「……今日から、、、……ってどういうことでしょうか?」

「? ハイッ、今日からは今日からですっ!」


元気いっぱいの返事をうけ、ラスはくらりと眩暈めまいがした。


(だから、その今日〝から〞って始点表現はなんなの!? 終点も今日でいいの……!?)


 訳がわからない。が、わからないなりに、とんでもないことになっていることだけはラスにも理解できる。


「ラケシスお嬢様は、アレン殿下の大切なお方、、、、、とお聞きしてます。せいいっぱいお仕えさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたしますね!」


 おまけに、ミシェーラはキラキラ輝く瞳で、なんともおんな言い回しをする。それは『大切なお客人』の言いちがいというかいしゃくでよろしいか。


(……)


 どうやら、うっかり流されるまま馬車に乗せられてしまったところから間違っていたらしい。

 王宮に招待された時点で固くお断りすればよかったのだ。こうかいとは、あくまで後からいるから後悔なのである。


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