1.はじまりは突然に②


*****



「はあ、はあ……」


 やがて、慣れ親しんだ町はずれの城門まで辿たどいた時、ラスの息はすっかり上がりきっていた。ロロも肩で目を白黒させている。


(もっと普段から運動しておくんだった)


 あせぬぐいつつ、少しさびれた印象を与える無骨な石造りの門の下をくぐり、ばしを渡る。

 途端に門限を知らせるかねが鳴り、魔石けで定刻通りに橋の鎖

くさりが巻き上がっていくのを

 見守りつつ、「間に合ってよかった」とラスは胸にまった息を長くき出した。

 そして。

(やっちゃった―― ……!!)

 

 地べたにしゃがみ込み、頭を抱える。

 なんであんなところにいるんだ。そりゃあ悪質な伝説のモイライの魔女が、ごく普通に市街地をうろついているのも問題なのかもしれないけれど。でもまさか、あんな下町にいらっしゃると思わないじゃないか。


(噓でしょ!? 本物のアレン殿下とか……!)


アレン王子の、あの輝きに目もくらむばかりに美しい顔立ちを思い出すだけで、ラスはドキドキと心臓が騒ぐ。残念ながら方向性は甘いときめきではない。恐怖とせんりつだ。かの人の名前と身分と血筋を思えば、汗の引いた背中に今度は冷や汗がにじんだ。


(メーディア大おばあさまの『溺愛の呪い』! レヴェナント王室の男性にだけは、私は絶対絶対会っちゃいけなかったのに……!)


しかも、運の悪いことに相手は王太子殿下ときた。時の権力者として輝かしい未来が約束されている、雲上人の天上人のそのまた上の尊きお方である。


(発動条件の『一目見たら』って、ど、どこまでが平気なの!? 顔、一目どころかめっちゃくちゃ至近距離で向かい合って話しちゃったけど、呪い発動した!? しちゃった!? けど……アレン殿下、私の顔を見ても、特に変わったご様子があるようには見えなかったような……? でもなんか、あのガイウスっていう怖いお付きの男の人から、すごくかばってくださったし、名前もかれたし……。いえ、それは私が魔法で助けたからかもだし、むしろ義理人情とか行きがかりで……? ええと。ええと!)


 もんもんと答えの出ない悩みにしずむラスの頭を、肩から身を乗り出した子猫がてしてしと黒いまえあしたたいた。落ち着けということだろう。


「ロロ……ありがと。そうよね、過ぎてしまったものは仕方ない、かな」


 おかげで、情けない表情でほうに暮れていたラスは、ようやく気をとりなおし、すっくと立ち上がった。

 ここは、王都への正門ではない。市街地をぐるりと取り囲むじょうへきに設けられた、樹海との境目といった方がいい小さな通用門だ。夜に門を出るものは滅多にいない。 仕事のためや好みで樹海に住む人間というのはごくまれな例外であり、ラスもその一人だった。

 大陸には、東西どちらとも内海はあるが外海がなく、代わりに周囲をうっそうとした暗黒の樹海に取り巻かれている。おおに樹海と言っても、その内実は、海としょうされるほどに、ただただ底知れぬほど深い森だ。

 だが古来、植生も生態系もなぞに満ちたままの樹海には、一つ確実に恐ろしい種が生息していた。樹海魚と呼ばれる、土中を泳ぎ、なんでもらうどうもうな巨大生物だ。

 樹海は、奥――ぞくに沖と呼ばれる││に進むほど木々は密になり、危険は増し、薄暗く、謎めいていく。おかげで、魔石さいくつ人や樹海魚打ちのぼうけん者以外には、滅多にみ込むものはおらず、代わりに人目をけて暮らすにはうってつけの場所となる。

 供つきとはいえ、王子様ともあろうかたが、どうして下町なんかにいたのかはわからない。が、さすがに樹海まで分け入ってさがしにはくるまい。アレン相手に、メーディアの呪いが発動していても。しばらく家にひきこもっていたら、きっと諦めてくれるだろう……。


(会ってしまった時間を巻き戻せたらいいのに……。こうなったらメーディア大おばあさまの魔法、時間がちすぎて、効き目が弱くなっていることを願おう)


 内容や術者の力量によるが、魔法にも効果に期限というものはある。二百年前にかけられたという溺愛の呪いが、いかほど力が持続するものかわからないけれど。きっとそうだ。

 そういうことにしておこう。


(そうと決まれば帰って寝よう!)


 幸いにして、ぼっち生活が長いラスだ。薬草採りをしたり、魔術書を読んで研究をしていれば、彼のほとぼりが冷めるまで待つなんてあっという間だろう。

 いささか楽観的な気分を取り戻しつつ、だいだいいろに輝く魔石のランタンをかざしながら、やわらかなようを踏み、慣れ親しんだ暗い森に入る。


(なんだか今日はほんとにつかれちゃった……。帰ったらすぐ、ゆっくりおに入ろう。

 お湯には香草油を奮発しよう。それで、寝るときにはとっておきの、初みラベンダーのオイルをランプに使おう……)

 落ち着いてくると、今度はだんだんこうようが胸にいてくる。

 

 ――お礼を言うべきはこちらだ。さっき助けてくれたのは君だね。


 不意に、アレン王子の声が、耳奥によみがえる。

 そうだ、王都で今問題になっている原因不明の動植物の凶暴化。形はどうあれ、場を収められたのはラスの力が大きいはず。

(……私の魔法で、人の役に立てた。それはじゅんすいうれしい)

 誰かを助けられた。誰かの役に立てた。それはなんだかとても、てきな響きだ。

 言葉のいんひたり、ラスは緩む頰を押さえた。不気味と言われる笑顔だけど、今は周りに誰もいないから許してもらおう。

 そのうち、今晩のドッキリなんて「いっしゅん焦ったけど、魔法が人の役に立ったし、有名な麗しの王子様に一瞬だけうっかりお目通りできて幸運だった」くらいの思い出になる。

 そして明日からは、当たり前の、穏やかでどくな日常が再開するのだ。

 とりあえず、この時のラスはそう信じてやまなかった、――のだが。



*****



「んん……いい朝!」


 樹海ではすずめは鳴かないので、キイキイと甲高く鳴く得体の知れない樹海生物の声で目覚めることになる。

 しかし、かげから届く朝の光のまばゆさはどこも同じだ。白い日差しが降り注ぐ窓辺に置いたベッドの上で、上半身を起こしたラスはうーんと伸びをした。


「おはよロロ」


 となりで丸くなっている黒猫の使い魔はまだねむいのか、うすを開けて主人を見た後、さっさと体勢を直して二度寝を決め込んでしまう。


(あらら)


 むらさきいろの目をぱちぱち瞬いた後、キルトの掛け布をとりのけ、ラスはまあいいかとベッドを出ることにした。


(今日は何をしようかな)


 ここは、樹海にあるラスの家だ。

 このあたりには海中せきと呼ばれる樹海特有の奇妙な古代文明の名残が点在しており、ラスは魔力が強い姉たちの手を借りて、その一つの遺構を使い、丸太で組んだ質素な小屋をこしらえていた。

 ベッドやテーブルなどの調度品は、基本的には周りに生えていた木からコツコツとラスが手作りしたものだが、「もっとかざりなさいな。しょうダンスが小さすぎですのよ」「地下にさかぐらしいわね酒蔵」と勝手に姉たちが持ち込んだり増改築した部分もある。

 カーテンやテーブルクロスは安物でも、ちゃんといろがらにこだわってそろえ、小物類も下町で一つ一つお気にいりを選んだのだ。

 薬を作るという商売がら、窓辺やてんじょうからはたくさんのドライフラワーがるしてあり、赤や黄色のガラス製のくすりびんや、一族お得意の糸魔術に使う糸車がある。

 平家建ての小家の前には、ステンドグラス製のアロマランプや色とりどりの蝋燭が飾られてあるのが目ににぎやかで、ひそかにラスのごまんだ。……友達がいないから、姉たちを除いて誰も見に来やしないけれど。


(うーん。しばらく町に行くのは避けないとだから。今日は何をしようかな。本当なら王都の図書院で新しい魔術書を借り足してきたかったけど、あそこは中心地に近いから都合が悪いし……)


 顔を洗って、木製のくしで長い黒髪をくしけずり、街に出かける時よりも質素なふかむらさきの綿のドレスにえる。仕上げに、いつもの赤いはばひろのリボンをカチューシャがわりに頭にくるりと結んだら完成だ。

 そんなふうにさっとたくを整えてから、気つけにミントとローズマリーのお茶でも飲もうかと湯をかしつつ、あれこれとラスは思案した。


(薬糸魔術で使うまじない糸とアロマオイルを作り足してもいいし、庭の畑でタイムをしゅうかくして干すのもいい。ちょっとまだ摘むには早いから、そっちは明日以降かな)

 口元に手を当てて楽しいひきこもり計画を練っていると、急に周囲の樹海生物たちがギャオギャオと騒ぐ声が大きくなった。


(何だろう? 近くに大きな樹海魚でも出たのかな)


 しかし、そこにガヤガヤと大勢の声や足音、馬のいななきやひづめの音が交じるにつれ、ラスは「え」と顔から血の気が引いた。


「人が……たくさん……?」


 しかもだんだん近づいてきている。

 さらにいうならラスには、その原因に、それはそれは心当たりがあった。


(まさか。ここ、樹海なのに!?)


 大変にいやな予感に突き動かされるように、ラスは木製のとびらに駆け寄り、そっと引き開けた。……そう。開けてしまった。


「えええ……!?」


目の前に広がっていた光景に、ラスは思わず口をあんぐり開けるしかなかった。


(何この行列……!)


 そこにいたのは、王立騎士団の制服に身を包んだ二十名ほどの兵士たちだ。

 いずれも近衛の徽章をつけた彼らは整然と隊列を組み、少しひらけた場所にあるラスの家を囲むようにずらりと並び立っているのだった。もちろんこうげき的なふんはないし、式典用と思しき格好だからおそらくじょうへいなのだろうが、それにしたって場所がおかしい。

 ここは樹海。繰り返しになるが、自分のようなもの好きか、安全度外視の冒険者くらいしか立ち入る人間がいないはずだ。間違っても、きちんと正装した騎士団が、こんな大所帯で来るところではない。


(いきなりドア開けるんじゃなくて、窓のカーテンのすきからちょっと確かめるだけにしとけばよかった)


 今さらこうかいしてもおそい。

 我ながら、昨日から血の気が顔から引き通しだ……などと思いつつ、サーッと青ざめるラスの前には、一台、優美な馬車がまっている。月毛の馬に引かせ、金のそうしょくをつけた、まるでおとぎ話に出てくるようなものだ。それこそ王子様が乗っている系の。場違いここにきわまれりである。

 ぼうぜんとするラスの前で、台から降りたぎょしゃがガチャリと馬車の扉を開く。中から現れた人物に周囲がいっせいにこうべをたれて礼を示すので、ラスはただただくすしかない。

 中から現れたのは、やはりというべきか、あっとうてきに美しい銀髪の青年だった。今日は外套もなく、顔もしっかりさらしているので間違いようがない。仕立てのいい白い衣装といい、キラキラした馬車にこれほど似つかわしい人物もいなかろう。


(あ、アレン殿下……!?)


 彼はにっこり微笑むと、ぐラスの方に歩いてきた。


「あ、……」


 逃げないと、と思った時にはもう一歩先の距離だ。

 彼は背が高く、がらなラスは見下ろされる格好になる。だが、不意に相手がかたひざをついたので、さらにこんわくした。

 アレンは、それこそ魔法にでもかけられたように動けないラスの手をひょいと持ち上げ、そこに唇を落とすふりをするしゅくじょへの礼をると、当然のようにみを深めた。


「昨日はありがとう。モイライのラケシスじょう貴女あなたむかえにきたよ」


 いや待って。

 彼の台詞せりふは、「ありがとう」で終わらなかった。 名前、なんで知っていらっしゃるんですか。それより後、なんて?


「む、迎えに……?」


「そう。命を救われた礼がしたいから、王宮までご同行いただけないかと」

「オウキュウに……ドウコウ……」


 なんだそれ。

 どうなってるの。

 情報量が脳の許容量をえ、くらっと立ちくらみを起こしかけたラスを、「ラケシス嬢!?」と驚いたアレンが抱き止めてくれた。

「ヒッ」


 背中に触れる手のひらの温度に、赤面するより血の気が引く。「ごご無礼を!」とさけんで飛びすさりつつ、予想外に至近距離にあったネオンブルーアパタイトに、また心臓が変な音を立てる。今日のお付きにはガイウスはいないらしい。

 おそるおそる、改めてその顔をうかがうと、彼には「どうかした?」と首を傾げられた。形のいい唇に淡くかれたしょうの奥は読めず、ごく、と喉が鳴る。


(……昨日お話しした時も、私みたいな初対面で平民の魔女相手にも、丁寧な方だったもの。本当にお礼を言いに来られただけかも……と、思いたい……けど……)


 でも、いくら命を救われたからって、いきなり叫んで逃げ出すという無礼とたいを働いたのに、そんな自分をわざわざ捜すだろうか?

 ――よもやメーディア大おばあさまの呪い、ゴリッゴリに効いてるんじゃあるまいか。

 二百年しでもげんえきなのでは。

 という可能性について、ラスは否が応でも考えざるを得ない。

 このタイミングで「そういえば兵隊さんたちにならって礼を執らなきゃだった」と思い至ったが、これもまた後の祭りである。



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