1.はじまりは突然に①
モイライ一族の
その声は
(……って根も葉もないことを最初に言い出したのは、一体どこのどちら様なの)
この言葉を聞くにつけ、曲がりなりにもその一族に名を連ねる魔女の
たしかに一族には美しい人が多い。けれどそれは、純血の魔女に関してだけだ。
『エッ、あんたもモイライの魔女なのか? ほんとに?
『姉二人とは似ても似つかないってか。こりゃまたえらく
『薔薇より野いばら、いやいや、……うーん。シロツメクサの
そしてラスは今や、ただの事実として
(うん。……私、とてもとても地味なんだわ)
*****
魔女。
姿かたちこそ人間の女だが、その実態は樹海から来た
生まれながらにその身に
確かに魔女は、かつて
が、何百年も前に、前王朝の〝
もちろんほうきで空を飛ぶものも、大鍋で薬を煮る魔女もいるが、それでも疫病をむやみやたらにばら撒いているような話は、あいにくとんと聞かれない。西大陸の大半の
く重宝されているほどだ。
――例えばそれは、こんな
『レヴェナント王立
「はぁ……」
レヴェナント王国、花の王都セメレの外れ。その中でもうんと下町、赤レンガ積みの家々の並ぶ地区にある、
(王立魔術研究所で働く、かあ。……そんなこと、できたらいいなあ。夢だわ。……はぁ)
大きな
「ラス、あんたうちに薬を
宮仕えなら大層な高給取りになれるだろうしね、と続いた言葉に、
「む、無理よおかみさん。私なんかが王立魔術研究所にだなんて」
「ええ? 無理なもんかね。あんたの作る薬香はそりゃあよく効くし、処方だって適切だろ。おまけに今の王立魔術研究所の総責任者は、かのアレン
「薬を
(アレン王太子殿下、……かぁ)
このレヴェナント王国の王太子アレン・アスカロス・レヴェナントといえば、西大陸で知らぬものはない有名人だ。そもそも三百年前の建国以来、安定した治世を
その名声は、おん年十九となられた今でもますます高まるばかりで、臣下の人望
何より有名なのは、
早くも
「殿下は魔術研究所の事業に特に力を入れていらっしゃるんだろ。ラスにゃ
おかみさんは、もうすっかりラスが研究所に入りたい前提になっているようだ。
(そういう問題じゃないのに! 憧れは憧れだけど、私が王宮の近くに行けないのはまた別問題で……!)
思わずこと細かに心情を
「実技はさておき面接を切り抜けられる気がしないし……。王宮から
あくまで後ろ向きなラスに、おかみさんは鼻を鳴らした。
「そんなもん
赤いリボンをカチューシャのように
売り物のりんごを「客が来ないから」とかじるおかみさんに歌うように褒められ、ラスはいたく
「え、え……」
「さあさ、あたしを王宮から来た面接官だと思ってさ、ちょっと笑ってごらんよ」
調子に乗ったおかみさんから、「ほら早く」と
―― ニタァッ。
あまりに邪悪なその人相に、おかみさんの手からポロッとりんごが落ちた。
「……あんた、やっぱり面接は無理かもね」
「でしょ……」
地べたに落っこちる前にりんごを受け止めたおかみさんが、恐る恐るといったように評定を下したので、ラスはいつもの
******
魔女には百年単位で若々しいまま命を保つものも多いが、ラスは見た目通りの十七歳だ。
理由は簡単で、ただの人間の血が半分入っているから。魔力はさほど強くないし、
(どうして私ってこんななの!)
固まったままのおかみさんに見送られ、しょんぼり
(笑うのが絶望的に下手くそなのは、どうにかできないものかしら。せめて『笑顔だけは一丁前に
なにせラスときたら、性格は絵に
おまけに口下手で無愛想で引っ込み
加えて笑顔がこの調子なので、生まれてこの方いっかな親しい人付き合いができないのだった。おしゃべりの相手は、さっきのおかみさんのように薬を卸している商店の関係者以外は、一緒に暮らしている使い魔だけだ。
(あーあ。王立研究所で働きたいなんて
磁器めいた白い肌、
加えて、笑おうとするとどうしても変に顔に力が入って邪悪な
(私もお姉さまたちみたいに、華やかで自然に、にっこりと笑えたらいいのに。なんでこう、
加えてラスは、王宮の
(だって私は――モイライの魔女なんだもの!)
モイライ一族。
水や大地や風といったさまざまな魔法属性の中でも、とりわけ「糸」にまつわる魔法を
そして、魔術や魔女
(メーディア大おばあさまがやらかした『王子様のお祝いの席乗り込み事件』については、この国で小さな子どもでも知っているお話だもの……)
ラスの
生まれたばかりの王子様の誕生お
その名も、〝
レヴェナント王統の男子は、モイライ一族に連なる女を一目見た
それは、たとえ王子が生まれたての赤ん坊であっても、逆に、見られたモイライの魔女が枯れ木に等しい老女であっても、結果は同じらしい。つまり、
あまりにも有名なお話なので、子どもの
結局その呪いが今どうなったのか、そしてメーディアに何かお
しかし、その件でとばっちりを受けたのは、モイライの血筋に連なる後代の魔女だ。
いや、モイライの魔女は押し
(黒髪と
結局ラスにできるのは、今まで通りの暮らしを続けることだけ。
ラスは
「帰ろっか、ロロ」
黒猫と並んで歩きつつ、ラスの思考はどんどん負の
(ほんと、考えれば考えるほどに私ってばダメだわ。ダメダメだわ。
ラスの性格は、さほど長くもない十七年という
自信
褒められると、「なんか気を
まさに
こうなってしまったそもそものきっかけは、もう思い出せない。……それこそ思い出せないくらいには、人前に出るたびに、何度も何度も「地味」「目立たない」「ぱっとしない」「野原の雑草」と言われ続けてきた。
比してラスの姉二人は、誰もが
親しくもない他人からの評価なんて気にすることでもないはずなのに、一つ一つを
「ねえロロ。私ずっとこんな調子なのかしら。目立たないのはいいの。友達どころか知り合いもほとんどいないまま、あんまり人の役にも立てず、……」
ラスの言葉にロロは首を
(ここみたいな町外れならまだしも、ただでさえモイライの魔女というだけで、なんとなく王都じゃ
本当は、自分の魔術知識をたくさんの人のために活かしたい。
(特に、このところ王都で急激に
なんの
今のところ、王立
(まだ
魔石を使っての魔術しか行使できない
特に、ラスの魔法はちょっと変わったもので、あまり
(陰気で引っ込み思案な落ちこぼれ魔女の自分にも、できることがあるかもしれない)
――モイライという血筋でなければ。
王都といっても辺境の下町近くで暮らしているおかげで、「魔女」はもちろん「モイライ一族」についても、あまり差別の対象になったことはない。魔女が
朝時代より
けれどそれは、当事者でなければ、の話だ。
ラス自身は、どうしたって気が引ける。研究のために魔女や魔導士を大量に
(私もお姉さまたちみたいに、一族の魔女らしく自信満々で堂々と、思うように振る
生まれながらの血筋というしがらみに必要以上にとらわれず、ダメ元でも
「あれ?」
昼間に吸ってため込んだ日光を使って夜間に輝く、魔石街灯をふと見上げた時。普段通りの下町のざわめきに混じって、何か聞き慣れない声が耳に届いた気がして。ラスはふと足を止めた。
(今の、悲鳴……?)
「ロロ、あなたにも聞こえた?」
「にぃ」
細く鳴いたロロも、金色の目を音の方に
そうこうするうち、今度こそ
「大通りに行かせるな!」
「民間人の
「くそ、数が多い……!」
(あっち、おかみさんの店のあたり……!)
何かあったのか。さっと顔から血の気が引く。
ラスは慌てて音の方に
――果たして。
表通りに着いてみると、そこには見たこともない光景が広がっていた。
パッと目についたのは、道を
シュルシュルと音を立てて気味の悪い
(え!? あれ、まさか薔薇の花!?)
普段見かける園芸種の美しい薔薇とは似ても似つかないおぞましい姿に、ラスは両手で口元を押さえる。
そのたび、それらは軽々と土台から
見れば、王立騎士団の制服を着た男たちがざっと十人近く、化け物薔薇の周りを取り囲んで、武具を持って
(もしかしてこれが噂の〝動植物の凶暴化〞病!?)
立ちすくんで化け物を見上げるラスの腕を、不意に誰かが
「お前、ここで何をしている!」
「は、はいっ!?」
「民間人の避難は済んだはずなのに……早く逃げなさい!」
視線の先にいたのは、身なりのいい青年だ。短く切った
(だ、誰……?)
人見知りゆえに見知らぬ相手に接近されて大いにびくつくラスだが、ギョッとしたのは青年も同じなようだった。
「黒髪に
「え、あ、っ、えっと」
ぐっと
「
「痛っ! は、
「常人の
やめてくれるよう
早くここから逃げなければ、この人こそが危ない。そう思うのに声が出ない。
「ガイウス、何をしているんだ? 痛がっているだろう」
「みだりに民を傷つけるんじゃない。第一、
次いで、誰かがスッとメガネの青年――ガイウスと呼ばれていた――の手に己のそれを
解放されたばかりの腕はまだ
(指が長くて、きれいな手。……いや、じゃなくて!)
ちょっとした仕草だったのに洗練されていて、そんな場合じゃないのについ見入ってしまった。
「俺の部下がごめんね」
謝罪の声も
慌てて雑念を払って、助けてくれたその人にペコリと頭を下げる。背の高さから見ても、男で間違いがなさそうだ。色の
「殿下! こちらにきてはいけません。この女は……」
「それよりもこの薔薇の
「……はっ。火矢を射かけますか?」
「そうするのが手っ取り早いけど、こんな建物の
「……同意いたします」
「君のことだ。魔導学院の
「
(あら? でも、ここにいるのは王立騎士団の人たちで……?)
ラスがふと何かに思い至るのと同時に、薔薇の化け物のほうも、外套の青年こそが
ある程度の
「危ない!!」
考える
反射的にラスは彼らの前に飛び出すと、両手を組んで、人差し指と親指で三角を作る。
魔女が魔法を行使する際には、一定の動作を前置く通例である。
三角を薔薇の中心部に突き付け、魔力を放つ。
(無害化魔法!)
手のひらが熱を持ち、指先がカッと輝いたかと思うと、薔薇の化け物がぴたりと動きを止める。――そして。
ぽん、と何かが
「え――」
これにはガイウスとかいう男も、外套の青年も、周囲の王立騎士団兵たちまで
「今、何が……」
メガネを押し上げてガイウスがつぶやくと同時に、ラスの足からかくんと力が抜けた。
(あ、一気にたくさん魔力使いすぎた……くらっとする)
ラスの生まれ持った魔女の力である無害化魔法は、「自分に害を与えるものを、どんな対象でも強制的に無力な別物に変えてしまう」というものだ。
強力な術だが、実は、無害化した後何が出てくるのかは術者である本人にもわからない。
おまけに半分しか魔女の血を引かないはずの身が使うには過ぎた
よろめいたラスが
(無情!)
いや、よほど重そうに見えたのかもしれないけれど!
あわやそのまま地べたにキス――というすんでのところで、石畳に倒れかけたラスを
「
穏やかな声質は、先ほどガイウスを
「あ、ハイ……ありがとうございま……」
よろめきつつも、なんとかその
「わ」
余計なところに意識がそれたせいか。同時に、バランスを崩して指を引っ
「ご、ご、ごめんなさい……!」
ただでさえ初対面の人と接するのが苦手なうえ、あがり
「気にしないで。それより、お礼を言うべきはこちらだ。さっき助けてくれたのは君だね?
降ってきた声が変わらず
――途端に、すぐそばにある青年の顔に、目を見開くはめになる。
「え―― 」
まず視界に入ったのは、澄んだ淡い青を
ラスは昔、姉にネオンブルーアパタイトという宝石を見せてもらったことがある。
そして、月光から
(なんてきれいな人……)
すぐそこにいるはずなのに、その人が本当に存在しているのか不安になる。それほど、目の前の顔はずば抜けて
(ど、ど、どうしよう)
声も出せずに、ただ
「黒髪と紫の瞳……君、もしかしなくてもモイライ一族の魔女?」
「ハイぃ!?」
こと、とわずかに首を傾げる様までなんとも優美な――などとぼんやり考えていたところで、出自についての図星な質問が飛んできて、ラスは慌てた。完全に
しかし、別に否定するほどのものでもないので、
「ねえ君、ひょっとしてなんだけど――」
「だからさっきからそう申し上げているではありませんか! ただでさえ不気味な魔女どものうじゃうじゃ居着く研究所に出入りしておいでなのに、その上、おぞましいモイライの魔女などと言葉をお交わしになるべきではありません。こんな女、本来ならば間違ってもあなた様に近づけてはならないモノです。早く離れてください」
青年が続けて何か
しかし、
「不気味な魔女ども、ねえ……。再三言っているけれど。ガイウス、君の
「……申し訳ございません、アレン殿下」
口調は穏やかなままだし、口元は笑っているけれど。彼の声は強く、さっきまでの優しい感じが噓のようにまとう空気は冷ややかだった。
さっきから邪悪な妖婦だおぞましいモイライだと騒ぎ通しのガイウスも、これには気勢を
(ん?)
そこで、何か聞き
(今、このかたのお名前、なんて……?)
気のせいだったらいいな、などとラスがあたふたしているうちに、
「改めまして、危ないところをご助力ありがとう。俺――じゃなく、私はアレン・アスカ
ロス・レヴェナント。ぜひお礼をさせていただきたいから、お
胸に軽く手を当てる略礼を
……が、ラスの方は、もう見とれている場合ではなかった。
(ア、アレン王太子殿下……!?)
ざあっと顔から血の気が総員
(噓でしょう、待って。いえ、さぞかし高貴な身分の御方だろうなとは、予想していたけれど……。よりによって、なんで、まさか)
王太子ということは、当然ながらレヴェナント王室に連なるお方で。
そして自分はといえば、モイライの魔女。
まずい。何がまずいって、とにかく非常にまずい。
いつの間にか、被害状況や化け物の無力化を
大いに
「な、な……」
「な?」
あわあわと唇を
ラスは勢いよく頭を下げて一礼する。
「――名乗るほどのものではありませんので失礼します!!」
「え」
我ながらびっくりするくらいの声量が出た。驚きつつ、くるりと
「待って、君!」
アレンの呼び止める声が追ってきたが、ラスは振り向きもせず全速力を保った。
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