1.はじまりは突然に①


 モイライ一族のじょは、いきまでの香りがする。

 その声はんだてんらい、そのくろかみはつややかなたん、両のにはアメジストのかがやき――


(……って根も葉もないことを最初に言い出したのは、一体どこのどちら様なの)


 この言葉を聞くにつけ、曲がりなりにもその一族に名を連ねる魔女のはしくれとして、ラケシス・モイライ――ラスはため息をつきたくなる。

 たしかに一族には美しい人が多い。けれどそれは、純血の魔女に関してだけだ。


『エッ、あんたもモイライの魔女なのか? ほんとに? うそだろ?』

『姉二人とは似ても似つかないってか。こりゃまたえらくひかえめなのもいたもんだ』

『薔薇より野いばら、いやいや、……うーん。シロツメクサのれたやつくらいかね』


 はなが足りない目立たない、いるかいないかわからない。空気のほうがまだ存在感がある。

 うんぬんうんぬん。言われに言われ続け、十七年。いい加減に慣れっこになった評価の群れだ。

 そしてラスは今や、ただの事実としてなっとくしている。


(うん。……私、とてもとても地味なんだわ)



*****



 魔女。

 姿かたちこそ人間の女だが、その実態は樹海から来たおそろしい化け物。

 生まれながらにその身にりょくを宿し、じゃあくほうの力を得て、ほうきで空を飛んではあかぼうをさらう。きょうぼうな樹海魚を使い魔として従え、おおなべあやしげな毒薬からえきびょうを作ってばらき、世に不幸とわざわいをもたらす存在――……などというけんとうちがいの風説がしていたのは、遠い遠い昔の話だ。

 確かに魔女は、かつてや差別の対象であった。はくがいを恐れ、大陸をぐるりと囲むこうばくな樹海にげ込んで、息をひそめていたころもあった、らしい。

 が、何百年も前に、前王朝の〝きょうおう〞ハインリヒが大規模な魔女りをおこなったのを最後に、だんあつされることも、逆に人間にあだなすこともなく、すっかり社会にけ込んで暮らしている。いっぱんじんでも使えるせきを動力源に、さまざまな技術が開発されている昨今においては、特に。

 もちろんほうきで空を飛ぶものも、大鍋で薬を煮る魔女もいるが、それでも疫病をむやみやたらにばら撒いているような話は、あいにくとんと聞かれない。西大陸の大半のけんが現レヴェナント王朝に移ってからは、魔石なしに魔法を使える便利な人材として、いた

く重宝されているほどだ。

 ――例えばそれは、こんなきが、街中に堂々とけいされているところからも明らかなのである。


『レヴェナント王立じゅつ研究所では、おかかえ研究員をきゅうしています! あなたも王国のためにその力と知識をかしませんか』

「はぁ……」


 レヴェナント王国、花の王都セメレの外れ。その中でもうんと下町、赤レンガ積みの家々の並ぶ地区にある、しい材の古びた掲示板。そこにいなほど分厚く上等な紙に刷られた文言をとっくりとながめやり、ラスは深々とため息をついた。

 がみの下部には、らいそうおおかみかたどった王家の印章がしっかりされている。まごうかたなき王室発布、本物のお触れ書きだ。


(王立魔術研究所で働く、かあ。……そんなこと、できたらいいなあ。夢だわ。……はぁ)


 大きなとうのカゴをうでげたままいしだたみの道の半ばで立ち止まり、ついついため息を量産する。名残なごりしげに紙をにらんでいると、すぐ後ろで品物の運び込みをしつつ様子を見ていたなじみの商店のおかみさんに、大きな声で笑われてしまった。


「ラス、あんたうちに薬をおろしにくるたび、そのしゅうチラシを見つめてるね。いいかげん穴が開いちまうよ。そんなに研究職が気になるなら、おうしてみりゃいいじゃないか」


 宮仕えなら大層な高給取りになれるだろうしね、と続いた言葉に、うすむらさきひとみをぱちぱちとしばたたかせてから、ラスは白いほおにかあっとしゅをのぼらせる。


「む、無理よおかみさん。私なんかが王立魔術研究所にだなんて」

「ええ? 無理なもんかね。あんたの作る薬香はそりゃあよく効くし、処方だって適切だろ。おまけに今の王立魔術研究所の総責任者は、かのアレン殿でんだ。もし不採用だったとしても、我が国の女性という女性がこぞってあこがれる、うるわしの王太子様にちょっとでもお目通り願えるだけでも、あんたみたいなとしごろの女の子にはおんじゃないか」

「薬をめてくれてありがとう、けど……そういうのじゃないです……」


 かっぷくのいい体をらしてごうにケラケラ笑うおかみさんに、ラスはくちもってうつむく。


(アレン王太子殿下、……かぁ)


 このレヴェナント王国の王太子アレン・アスカロス・レヴェナントといえば、西大陸で知らぬものはない有名人だ。そもそも三百年前の建国以来、安定した治世をほこるレヴェナント王室であるが、とりわけアレンは幼少時より頭脳めいせき、文武両道とのほまれ高い。

 その名声は、おん年十九となられた今でもますます高まるばかりで、臣下の人望あつく、彼の関わった政策はのきみ評判がいいときた。つまり、ゆうしゅうだれにでも親切、私欲なく公明正大で人望があり、たみにもしたわれている、いわゆる『かんぺきな王子様』である。

 何より有名なのは、もくしゅうれいうたわれるその容姿だ。しろがね色に輝くかみそうきゅうを写し取ったそうぼうは、美形の多い王室にあってもきんているとか。

 早くもたいかんが楽しみだと将来をしょくぼうされる、天は二物どころか「ばんぶつあたえたんですか?」とうわさされる人物――それが、今の王立魔術研究所を率いている、アレン王太子なのである。


「殿下は魔術研究所の事業に特に力を入れていらっしゃるんだろ。ラスにゃわたりに船だ。この町にもじきに募集の面接官が回ってくる予定だし、一丁がんばんなよ」

 おかみさんは、もうすっかりラスが研究所に入りたい前提になっているようだ。


(そういう問題じゃないのに! 憧れは憧れだけど、私が王宮の近くに行けないのはまた別問題で……!)


 思わずこと細かに心情をしそうになったものの、グッとこらえる。そういう話は、このおかみさんだって〝知らないわけがない〞のだ。代わりに、くだらない別の理由をモゴモゴと話す。


「実技はさておき面接を切り抜けられる気がしないし……。王宮からけんされて来るだろう面接官の方々は、きっととても目が肥えているにちがいないわ。そんな人たちに、いっしょに働いてほしいと思ってもらえる自信がないもの」


あくまで後ろ向きなラスに、おかみさんは鼻を鳴らした。


「そんなもんがおで切り抜けりゃいいのさ! 悪たれどもにはくさされても、あんた見てくれの元はいいんだ。めっぶっちょうづらくずさないけど、ちょっとにこっと笑えば、きっとわいいはずさ」


 赤いリボンをカチューシャのようにかざった、ゆたかに波打つ黒髪はこしをすぎるほどの長さで、瞳はとおあわいバイオレット。少しきつめの印象をあたえるものの小作りな顔立ちは整っていて、くちびるは紅はだはミルクに似たなめらかな白。

 売り物のりんごを「客が来ないから」とかじるおかみさんに歌うように褒められ、ラスはいたくどうようした。


「え、え……」

「さあさ、あたしを王宮から来た面接官だと思ってさ、ちょっと笑ってごらんよ」


 調子に乗ったおかみさんから、「ほら早く」とうながされて、あわててラスは頰に力を入れて〝笑顔〞を作る。

 たん。 

 ―― ニタァッ。

 あまりに邪悪なその人相に、おかみさんの手からポロッとりんごが落ちた。


「……あんた、やっぱり面接は無理かもね」

「でしょ……」


 地べたに落っこちる前にりんごを受け止めたおかみさんが、恐る恐るといったように評定を下したので、ラスはいつものしんみょうな表情にもどってあごを引いたのだった。



******



 魔女には百年単位で若々しいまま命を保つものも多いが、ラスは見た目通りの十七歳だ。

 理由は簡単で、ただの人間の血が半分入っているから。魔力はさほど強くないし、寿じゅみょうつうの人間と同じくらい。そこについて特に異存はない。でも。


(どうして私ってこんななの!)


 固まったままのおかみさんに見送られ、しょんぼりかたを落として王都下町の路地を歩きながら、ラスはムニムニと自らの頰を引っ張った。


(笑うのが絶望的に下手くそなのは、どうにかできないものかしら。せめて『笑顔だけは一丁前にきょうあくな、古代の魔女の先祖返り』なんて、人さまから後ろ指さされないくらいになりたいな……)


 なにせラスときたら、性格は絵にいたような人見知り。

 おまけに口下手で無愛想で引っ込みあん

 加えて笑顔がこの調子なので、生まれてこの方いっかな親しい人付き合いができないのだった。おしゃべりの相手は、さっきのおかみさんのように薬を卸している商店の関係者以外は、一緒に暮らしている使い魔だけだ。


(あーあ。王立研究所で働きたいなんてぜいたく言わないから、普通にお友達がしいなあ)


 磁器めいた白い肌、ゆるやかなウェーブがかかった長い黒髪に薄紫の瞳を、姉たちは可愛い可愛いと褒めてくれるけれど、それを真に受けて調子に乗っていられたのはせいぜい七歳かそこらまで。純血の魔女にして絶世の美女である姉たちに比べて、自分の見た目が地味なのはいやがうえにも思い知らされる。

 加えて、笑おうとするとどうしても変に顔に力が入って邪悪なきょうそうになるので、薬を売りに町に出てくるたびに「死者の肌、やみの髪、毒の瞳の魔女がきた」と通りすがりの子どもたちにはこわがられたり馬鹿にされたり。せめてちょっと親しみやすく見えるようにと赤いリボンのかみかざりを巻いているが、それすら「せんけつ色の髪飾り」呼ばわりされる始末。


(私もお姉さまたちみたいに、華やかで自然に、にっこりと笑えたらいいのに。なんでこう、ためそうとすると〝にちゃっ〞とか〝でゅへっ〞みたいな感じになるのかしら、この不良品の表情筋は)


 加えてラスは、王宮のせつに出入りできない、絶対的な理由がある。


(だって私は――モイライの魔女なんだもの!)


 モイライ一族。

 水や大地や風といったさまざまな魔法属性の中でも、とりわけ「糸」にまつわる魔法をあやつることにけた、いにしえより続く魔女の血筋だ。

 そして、魔術や魔女ぜんぱんが基本的にゆうぐうされるレヴェナント西王国において、ゆいいつその名前にまゆをひそめられる家系でもある。


(メーディア大おばあさまがやらかした『王子様のお祝いの席乗り込み事件』については、この国で小さな子どもでも知っているお話だもの……)


 ラスのそうである大魔女メーディアは、代々性格が個性的――かなりえんきょく表現だ――なモイライ一族の中でも、なかなかきわってくせが強かったらしい。その分、魔力や魔法のうでまえもピカイチだった。

 生まれたばかりの王子様の誕生おパーティーに、自分だけ招待されなかったことに腹を立てたメーディアは、あろうことか晴れやかなお祝いの場に乗り込むと、王族にのろいをかけたのだ。

 その名も、〝できあいの呪い〞。

 レヴェナント王統の男子は、モイライ一族に連なる女を一目見たしゅんかん、運命の糸をしばけられる。早い話が、的に身をがすようなこいに落ちてしまう。

 それは、たとえ王子が生まれたての赤ん坊であっても、逆に、見られたモイライの魔女が枯れ木に等しい老女であっても、結果は同じらしい。つまり、としもいかないおさかんおけに片足をっ込んだおばあさんを熱心に口説くことも普通にありうるという、世にも恐ろしい呪いである。

 あまりにも有名なお話なので、子どものかんむしふうじにも「早くないとモイライの魔女が来て、ちく小屋のブタを激しく愛してしまう呪いをかけられるよ!」という言い回しが使われるほどだ。

 結局その呪いが今どうなったのか、そしてメーディアに何かおとがめはあったのか――などについては、せつの中ではあいまいなまま。ただ、当時はモイライ一族関係者というだけで使い魔まで出禁になったとは、いまだまことしやかにかたがれている。

 しかし、その件でとばっちりを受けたのは、モイライの血筋に連なる後代の魔女だ。

 いや、モイライの魔女は押しべてかなり性格が大ざっぱで個性的なので――大事なことなので言うのは二度目である――実際のところ「なにそれウケる」「ちょっと今から王族会ってく?」とおもしろがるラスの姉たちのような人が多いのだろうが、ラスは残念ながら、この一族の女にしてはいささか常識的で、何より全くもってきもの太さが足りなかった。


(黒髪とむらさきの瞳は私たち一族のあかしだもの。王立研究所の採用試験なんて、姿を見せただけでもんぜんばらいに違いないわ。むしろ『何しにきたんだバーカ』って面接官に石を投げられるかも。こればっかりは、モイライに生まれたんだからしょうがない……)


 結局ラスにできるのは、今まで通りの暮らしを続けることだけ。

 ラスはだん、レヴェナント西王国の王都の果て、樹海のほとりにある小さな家で、うらないをしたり薬効のあるこうランプやろうそくを売ってつつましやかに一人いんとん生活している。


「帰ろっか、ロロ」


 おのれかげに向かって使い魔の名前を呼ぶと、「にゃあん」と小さく返事があり、そこからすべり出た黒いねこが足にってくる。言葉は話せないが気配にさといロロは、今の所、ラスにとってほぼ唯一と言っていい「お友達」なのだった。

 黒猫と並んで歩きつつ、ラスの思考はどんどん負のせんおちいっていた。


(ほんと、考えれば考えるほどに私ってばダメだわ。ダメダメだわ。ちゅうはんな血筋の魔女だから、自分の魔力だけで使える魔法はたった一種類だけだし。まじないをかけた糸を使った系のやく魔術は得意だけど、そんなの勉強さえすれば私じゃなくてもできるし……これじゃダメダメじゃなくて、ダメダメダメダメ……何回ダメって言ったかしら。ああもう、そういうところもダメダメなんだから……)


 ラスの性格は、さほど長くもない十七年というさいげつの中で、すっかり後ろ向きになってしまっていた。

 自信そうしつ気味でしんあんで自己不信。一歩歩けば三歩下がる。できるだけ目立たず、ひっそり生きたい。それはもう、みちばたに転がる石のようにというか、その下にかくれ住むダンゴムシのように。

 褒められると、「なんか気をつかわせてすみません……」、好意的な言葉をかけてもらうと、「ものすごくい人なんだな……」、親切にされると「何かお返しせねばよね……」になる。

 まさにあくじゅんかん。これではますます敬遠されるばかりだ。

 こうなってしまったそもそものきっかけは、もう思い出せない。……それこそ思い出せないくらいには、人前に出るたびに、何度も何度も「地味」「目立たない」「ぱっとしない」「野原の雑草」と言われ続けてきた。

 比してラスの姉二人は、誰もがくほどの美女で、性格もふるまいも派手で華やかである。そんな彼女たちは、身内のひいき目に気づかず、なにくれと末妹に構っては「うちの妹可愛いでしょ」と、恋の相手をつくろう夜会だのとう会だのに精力的に連れ出したものだから、ラスはますます輪をかけてしゅくしてしまった。

 親しくもない他人からの評価なんて気にすることでもないはずなのに、一つ一つをりちに受け取るうち、しだいに転がりおちるようにくついんな性格になってしまった。これは自分でも「どうにかしないと……」と危機感を覚えるところだった。

 うつうつと考えごとにふけりながら、肩に飛び乗ってきた黒猫の、自分と同じ赤い色のリボンを巻いた首をでると、ゴロゴロと可愛くのどを鳴らしてくれる。その様子に少し心をなご|ませつつ、ラスは返事のこない問いを使い魔に投げかけた。


「ねえロロ。私ずっとこんな調子なのかしら。目立たないのはいいの。友達どころか知り合いもほとんどいないまま、あんまり人の役にも立てず、……」


 ラスの言葉にロロは首をかしげると、長いしっで頰をくすぐってくれる。


(ここみたいな町外れならまだしも、ただでさえモイライの魔女というだけで、なんとなく王都じゃかたせまいもの。このまま人の多いところにできるだけ近づかず、樹海のそばでこそっと暮らしていくつもり。でも――)


 本当は、自分の魔術知識をたくさんの人のために活かしたい。


(特に、このところ王都で急激にはや行っている〝動植物の凶暴化〞病……私の魔法や知識が役に立てられたらいいんだけどな)


 なんのへんてつもない草花や、家畜きんはじめ犬やねこなどのあいがん動物に至るまで、無害なはずの生き物が急にきょだい化して人々をおそう――そんな事件が、このところ王都をさわがせているのである。

 今のところ、王立団が対応と民の警護にあたっているおかげか、幸いにして重傷者や死者は出ていない。しかし、きんりんの農村部にまで発生のはんが広がるにつれ手が足りなくなっており、その解決が王立魔術研究所のきっきんの課題となっている、らしい。人員の急募もそのためだとか。


(まだしょうれいに出くわしたことはないけど……〝私の魔法〞が役立つことがあるなら……)


 魔石を使っての魔術しか行使できないどうと違い、魔女は生まれながらに、少なくとも一つ、自分だけの特別な魔法が使える。

 特に、ラスの魔法はちょっと変わったもので、あまりじっせんしたことはない。しかし、この〝動植物の凶暴化〞病の話を耳にした時、最初にラスの頭にかんだのは「私の魔法とあいしょうが良さそう」ということだった。


(陰気で引っ込み思案な落ちこぼれ魔女の自分にも、できることがあるかもしれない)


 ――モイライという血筋でなければ。

 王都といっても辺境の下町近くで暮らしているおかげで、「魔女」はもちろん「モイライ一族」についても、あまり差別の対象になったことはない。魔女がしいたげられていた前王

朝時代よりいくぶんか歴史は新しいけれど、それでもメーディアのしょうは二百年前だ。十分におとぎ話の範囲内である。

 けれどそれは、当事者でなければ、の話だ。

 ラス自身は、どうしたって気が引ける。研究のために魔女や魔導士を大量にやとうという、王立魔術研究所の募集にりょくを感じていないといえば噓になる。けれど、「モイライだから」であきらめる――そのかえしなのだった。


(私もお姉さまたちみたいに、一族の魔女らしく自信満々で堂々と、思うように振るえればいいのに)


 生まれながらの血筋というしがらみに必要以上にとらわれず、ダメ元でもぜんとぶつかっていけるような。姉たちに「ラスの遠慮深さは、もはやあたくしたちモイライのとつぜんへんね」とされる性格が、せめてあともう少しどうにかなれば――どうどうめぐりの思考になやまされつつ。樹海にある自宅に向かって、日がかたむいてうすぐらくなりかけた市街地の石畳を、黒い子猫を肩に乗せたまま、ラスがとぼとぼ歩いていたときだ。


「あれ?」


 昼間に吸ってため込んだ日光を使って夜間に輝く、魔石街灯をふと見上げた時。普段通りの下町のざわめきに混じって、何か聞き慣れない声が耳に届いた気がして。ラスはふと足を止めた。


(今の、悲鳴……?)


 かんだかするどいそれは、せんたく物を干すためのひもが家々の間に渡された、赤レンガ造りののどかな下町風景に、あまりにそぐわないものだったので。ラスは思わず、肩でくつろぐ子猫に話しかけた。


「ロロ、あなたにも聞こえた?」

「にぃ」


 細く鳴いたロロも、金色の目を音の方にえて、耳をピンと立てている。

 そうこうするうち、今度こそちがえようのないほどの音量で、激しいごうのようなものがひびいてきた。


「大通りに行かせるな!」

「民間人のなんを急げ!」

「くそ、数が多い……!」


 わす言葉の内容まで聞き取れるようになると同時に、通りに面した家の方からつちけむりが上がる。女性や子どもとおぼしき悲鳴も追いかけてきた。


(あっち、おかみさんの店のあたり……!)


 何かあったのか。さっと顔から血の気が引く。

 ラスは慌てて音の方にけた。肩の黒猫が、振り落とされまいと必死につめを立ててしがみついてくる。

 ――果たして。

 表通りに着いてみると、そこには見たこともない光景が広がっていた。

 パッと目についたのは、道をふさぐようにして石畳にじんる、巨大な緑色のかたまりだ。

 シュルシュルと音を立てて気味の悪いしょくしゅを四方にばし、じょじょふくらみ続けているそれは、よく見ればあかい花がたくさんくっついている。


(え!? あれ、まさか薔薇の花!?)


 普段見かける園芸種の美しい薔薇とは似ても似つかないおぞましい姿に、ラスは両手で口元を押さえる。

 みょうな紅薔薇の化け物は、とげのついたツルを無数に備えていた。大の男の腕ほども太さがあるそれをじゅうおうじんに伸ばしては、周囲の建物や魔石街灯をはらっていくのだ。

 そのたび、それらは軽々と土台からがされてはばされる。

 見れば、王立騎士団の制服を着た男たちがざっと十人近く、化け物薔薇の周りを取り囲んで、武具を持ってかくしている。しかし、あまりに強大な力の前に誰もがおよごしとなっており、その間もようしゃないかいは続いていた。


(もしかしてこれが噂の〝動植物の凶暴化〞病!?)


 立ちすくんで化け物を見上げるラスの腕を、不意に誰かがつかんだ。


「お前、ここで何をしている!」

「は、はいっ!?」

「民間人の避難は済んだはずなのに……早く逃げなさい!」


 視線の先にいたのは、身なりのいい青年だ。短く切ったくりいろの髪はれいになでつけてあり、メガネをかけた顔立ちも相まって、どことなく知的な印象を与える。


(だ、誰……?)


 人見知りゆえに見知らぬ相手に接近されて大いにびくつくラスだが、ギョッとしたのは青年も同じなようだった。


「黒髪にがん……お前、モイライの魔女か!?」

「え、あ、っ、えっと」

 

 ぐっとけんにシワを寄せて険しくなった青年の顔に、「ハイ」とも「そうです」とも答えられずまごついていると、青年はとつじょ顔をゆがめてラスの腕を摑む手に力をめた。


けがれた邪悪な妖婦がなぜ王都にいる!」

「痛っ! は、はなして……」

「常人のはやめろ。なんのたくらみがあって私の前に現れた」


 やめてくれるよううったえようとしたが、話を聞いてもらえる気配がない。おまけに、薔薇の化け物がまだすぐそばにいるのだ。れきや引っこ抜かれた木々がどんどん飛んでくる。

 早くここから逃げなければ、この人こそが危ない。そう思うのに声が出ない。

 あっぱくされたしょがミシミシときしみ、ラスがいよいよ痛みにぎゅっと目を閉じた時だ。


「ガイウス、何をしているんだ? 痛がっているだろう」


 とうとつに、誰かの声がくりの青年と自分との間に割って入った。


「みだりに民を傷つけるんじゃない。第一、じょうきょうも状況なのに。わかるね?」


 次いで、誰かがスッとメガネの青年――ガイウスと呼ばれていた――の手に己のそれをえ、ラスの腕から外してくれる。

 解放されたばかりの腕はまだしびれが残っていたが、ラスはそれよりも助けてくれた人の手に目がくぎけになった。


(指が長くて、きれいな手。……いや、じゃなくて!)


 ちょっとした仕草だったのに洗練されていて、そんな場合じゃないのについ見入ってしまった。


「俺の部下がごめんね」


 謝罪の声もおだやかで耳にここいい。またぼうっとれそうになって、ラスはブンブンと首を振る。

 慌てて雑念を払って、助けてくれたその人にペコリと頭を下げる。背の高さから見ても、男で間違いがなさそうだ。色のがいとうを頭からかぶっていて顔は見えない。


「殿下! こちらにきてはいけません。この女は……」

「それよりもこの薔薇のかいぶつに集中しようか。彼女以外の避難はかんりょうしているんだろう?」

「……はっ。火矢を射かけますか?」

「そうするのが手っ取り早いけど、こんな建物のせまった市街地の真ん中ではね。巻き込みがいが大きすぎる」

「……同意いたします」

「君のことだ。魔導学院のおうえん部隊を控えさせてあるんだろう。とうちゃくを待つ。どのみち武器だけじゃ押さえこむのは難しい。目下、兵への損害軽減を最優先に。可能な範囲で、これ以上市街地の方に出ないよう、きょをとってあつしつつかんかせぎを」

ぎょに」


 み付くように声をあららげていたはずのガイウスを片手で制し、外套の青年は薔薇の化け物を長い指で示した。なめらかな指示に、ラスは目をみはる。どうやら、この場を仕切っているのは彼らしい。


(あら? でも、ここにいるのは王立騎士団の人たちで……?)


 ラスがふと何かに思い至るのと同時に、薔薇の化け物のほうも、外套の青年こそがじゃな集団のとうそつ者だと気づいたようだ。

 ある程度のはあるのかもしれない。シュッと鋭く空をいて、大人の腕ほどもある太い棘がびっしりとついたつるを振り上げると、ガイウスと青年の方に打ち下ろしてきた。


「危ない!!」


 考えるひまもなかった。

 反射的にラスは彼らの前に飛び出すと、両手を組んで、人差し指と親指で三角を作る。

 魔女が魔法を行使する際には、一定の動作を前置く通例である。つえなどの道具を使うものもいるが、こうしてばんぶつを構成する三要素を指の形で示すのが、ラスお決まりのやり方だ。

 三角を薔薇の中心部に突き付け、魔力を放つ。


(無害化魔法!)


 手のひらが熱を持ち、指先がカッと輝いたかと思うと、薔薇の化け物がぴたりと動きを止める。――そして。

 ぽん、と何かがはじけるような軽快な音を立て、先ほどまで化け物がいたはずの場所には、こいびと同士でおくり合うような紅い薔薇の花束が転がっていた。……ていねいにピンクのリボンまでかけてある。


「え――」


 これにはガイウスとかいう男も、外套の青年も、周囲の王立騎士団兵たちまでおどろいたようだ。ぜんとした様子で、石畳が剝がれて瓦礫の散乱する地面に、ポツンと置かれた薔薇の花束をぎょうしている。


「今、何が……」


 メガネを押し上げてガイウスがつぶやくと同時に、ラスの足からかくんと力が抜けた。


(あ、一気にたくさん魔力使いすぎた……くらっとする)


 いまさらながら、巨大な化け物と向き合っていたきょうおくれてやってくる。普段滅多に使わない魔法ではあるけれど、かんじんな時に成功してよかった。

 ラスの生まれ持った魔女の力である無害化魔法は、「自分に害を与えるものを、どんな対象でも強制的に無力な別物に変えてしまう」というものだ。

 強力な術だが、実は、無害化した後何が出てくるのかは術者である本人にもわからない。

 おまけに半分しか魔女の血を引かないはずの身が使うには過ぎたりょくの魔法であるらしく、ひとたび使うとこうして立ちくらみに襲われるのだった。

 よろめいたラスがたおれ込もうとするそばにはガイウスが立っていたが、彼は助けるどころか、きたないものでも見るように顔をしかめて、さっと身を引いてしまった。


(無情!)


 いや、よほど重そうに見えたのかもしれないけれど!

 あわやそのまま地べたにキス――というすんでのところで、石畳に倒れかけたラスをき止めてくれる腕がある。


だいじょう?」


 穏やかな声質は、先ほどガイウスをたしなめてくれた青年のものだ。


「あ、ハイ……ありがとうございま……」


 よろめきつつも、なんとかそのそですがって体勢を整えたところで、ラスは、己が摑んでいる白い布地が、ひどく上等なものであることに気づいた。こうたくがあって、細かな織り出しのもんがある。……これ、絹では。


「わ」


 余計なところに意識がそれたせいか。同時に、バランスを崩して指を引っけ、彼の外套のフードを剝がしてしまう。途端にガイウスが「貴様、不敬だぞ!」とせいを浴びせてきて、びくついたラスは飛び退くように彼から離れる。


「ご、ご、ごめんなさい……!」


 ただでさえ初対面の人と接するのが苦手なうえ、あがりしょうなラスだ。完全に顔に血がのぼってしまって、ますます俯ききょうしゅくした。……だが。


「気にしないで。それより、お礼を言うべきはこちらだ。さっき助けてくれたのは君だね? めずらしい魔法だった……俺には見たことがない種類の」


 降ってきた声が変わらずやさしいので、ラスはハッと顔を上げる。

 ――途端に、すぐそばにある青年の顔に、目を見開くはめになる。


「え―― 」


 まず視界に入ったのは、澄んだ淡い青をたたえた双眸だ。

 ラスは昔、姉にネオンブルーアパタイトという宝石を見せてもらったことがある。しっこくくらやみでも失われないほどの強い輝きゆえにその名を持つという青い石は、まるで晴れ渡った夏空を閉じ込めたかのいろどりときらめきで、思わず目をうばわれたものだ。ちょうど、その宝石をめ込んだような。

 そして、月光からつむぎ出したと言われても納得してしまう、銀糸の髪。名工の手になるちょうこくもかくやという、せいぜつなまでに整ったはくせきおもて


(なんてきれいな人……)


 すぐそこにいるはずなのに、その人が本当に存在しているのか不安になる。それほど、目の前の顔はずば抜けてうるわしい。

 ねんれいくらいだろうか。いや、絵にも描けない美青年というのは彼のような人を指すのだろう。これほどのご尊顔なら、生まれたてでも美乳児だったろうし老いたら老いたで美ろうで死後は美骨になるに違いないけれど。そんなことはどうでもよくて、ええと。


(ど、ど、どうしよう)


 声も出せずに、ただあっとうされて口をぱくぱくさせるラスに、青年はほのかに笑いかけた後、ふと何かに気づいたようだ。しげしげとラスの顔を見つめて、一言。


「黒髪と紫の瞳……君、もしかしなくてもモイライ一族の魔女?」

「ハイぃ!?」


 こと、とわずかに首を傾げる様までなんとも優美な――などとぼんやり考えていたところで、出自についての図星な質問が飛んできて、ラスは慌てた。完全にほうけていた。

 しかし、別に否定するほどのものでもないので、きんちょうしつつコクンと顎を引く。「やっぱりか」と青年は顔を輝かせた。ちょっとした変化までいちいちまぶしい。彼の表情筋には時給が発生してもいいくらいだ。


「ねえ君、ひょっとしてなんだけど――」

「だからさっきからそう申し上げているではありませんか! ただでさえ不気味な魔女どものうじゃうじゃ居着く研究所に出入りしておいでなのに、その上、おぞましいモイライの魔女などと言葉をお交わしになるべきではありません。こんな女、本来ならば間違ってもあなた様に近づけてはならないモノです。早く離れてください」


 青年が続けて何かたずねようとしてきたところで、とげとげしい口調と共に、ガイウスと呼ばれていた方の青年がメガネのブリッジを眉間に押し込みながらずいっと割って入ってくる。

 しかし、さえぎられた方は動じた様子もなく目を細めた。


「不気味な魔女ども、ねえ……。再三言っているけれど。ガイウス、君のにんしきずいぶんと時代さくだ。俺の部下をそんなふうにさげすむのを許した覚えはないな。もちろんそこの彼女のこともね。現に、彼女は俺たちの命の恩人だけれど、そこのところわかっている?」

「……申し訳ございません、アレン殿下」


 口調は穏やかなままだし、口元は笑っているけれど。彼の声は強く、さっきまでの優しい感じが噓のようにまとう空気は冷ややかだった。

 さっきから邪悪な妖婦だおぞましいモイライだと騒ぎ通しのガイウスも、これには気勢をがれたらしく、ぐっと言葉を飲み込んでいる。


(ん?)


 そこで、何か聞きのがしてはいけない一言が、ガイウスの台詞せりふに交じっていた気がして。ラスはピシッと固まる。


(今、このかたのお名前、なんて……?)


 気のせいだったらいいな、などとラスがあたふたしているうちに、ぎんぱつの青年はガイウスを置いて、ラスに向き直る。


「改めまして、危ないところをご助力ありがとう。俺――じゃなく、私はアレン・アスカ

ロス・レヴェナント。ぜひお礼をさせていただきたいから、おじょうさま、お名前をうかがっても?」


 胸に軽く手を当てる略礼をり、ニコリとほほむその顔は、相変わらず名画のように美しかった。

 ……が、ラスの方は、もう見とれている場合ではなかった。


(ア、アレン王太子殿下……!?)


 ざあっと顔から血の気が総員退たいきゃくしていく。


(噓でしょう、待って。いえ、さぞかし高貴な身分の御方だろうなとは、予想していたけれど……。よりによって、なんで、まさか)


 王太子ということは、当然ながらレヴェナント王室に連なるお方で。

 そして自分はといえば、モイライの魔女。

 まずい。何がまずいって、とにかく非常にまずい。

 いつの間にか、被害状況や化け物の無力化をかくにんしたりと、周囲をしょうかいしていた護衛の騎士たち――よく見たらみんな王宮このしょうをつけているではないか、なぜ気づかなかったのだろう! ――までも、「なんだなんだ」とでも言いたげにこちらに集まってくるのが、余計にあせりをあおってくる。

 大いに狼狽うろたえつつ、とにかくラスはジリジリと彼らから距離をとった。


「な、な……」

「な?」


 あわあわと唇を戦慄わななかせるラスに、アレンが首を傾けて先を促したのを合図に。

 ラスは勢いよく頭を下げて一礼する。



「――名乗るほどのものではありませんので失礼します!!」

「え」


 我ながらびっくりするくらいの声量が出た。驚きつつ、くるりときびすを返す。そして、そのまま一目散に駆け出したのだった。


「待って、君!」


アレンの呼び止める声が追ってきたが、ラスは振り向きもせず全速力を保った。かたうえの小さな使い魔は、目をまん丸にしながら爪でしがみついている。

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