第36話 「さよなら」の日③ 

敦と春香が教会のドアから外に出たのとほぼ同時に、まるみもバリアを王子に

引き継いで外に飛び出した。


「…走りましょう!」


まるみは苦しそうにそう言うと、敦とつながれていない方の春香の手を取って駆け出した。泣き続ける春香の手を、敦とまるみが両側で握りしめ、誰もいない朝の学園内を走って走って、走りぬいた。


三人は学園を出て、家の方へ向かってなおも走っていたが、急に大きな振動というか、風圧のようなものを背後から感じ、一斉に立ち止まった。

敦が、息を弾ませながら言った。


「今の、は?」


三人は、並んで学園の方を振り返った。そこには、まだ眠ったままの住宅街が広がっているだけだった。でも、三人には、何かの大きな気配が消えたような感覚が確かに感じられた。


「…行かれたようですね。」


まるみは、静かに言った。敦ほど息はあがっていないが、まるみの額にもうっすらと汗がにじんでいた。春香はぽつりと言った。


「行っちゃったのね。一人で…。」


まるみは、春香の肩から脱げかかっているカーディガンを直しながら言った。


「また、きっと会えます。」


春香は、まるみの顔を見て言った。


「まるみちゃん。いえ、マーシャ…。私、全部の記憶が戻ったわけじゃないんだけど、あなたの事、思い出した。何があったのかはわからないけど、一緒にこっちに来てくれたのね。」


「当たり前です。私は、いつでもあなたの一番の味方なんですから。」


春香は、まるみの顔を見て少し笑った。でも、涙のはりついた顔では、その笑顔に説得力はあまりなかったかもしれない…。春香は、次に敦の方を振り返って言った。


「あっちゃん。」


「うん…。」


敦は春香の方を見てはいたが、目をまともに見る事は出来なかった。今さらだが、気持ちを伝えてしまった事が恥ずかしくて…そして、拒否されるかと思うと怖かったのだ。春香は続けた。


「私ね、何だか変な気持ちなんだ。あっちゃんは、ずっと隣にいてくれた

幼馴染おさななじみだったはずなのに。突然違うなんて、ね。」


「うん。」


目を合わせようとしない敦の様子に、春香も少し目を伏せて言った。


「あっちゃんは、私の事、本当に好きなの?」


敦は、少しの間黙っていたが、小さな声で言った。


「…あぁ。」


敦の返答に、春香は目を泳がせた。


「でも、まだ知り合って本当は一年くらいしか経ってないんだよね?しかも私は、この世界の人間じゃないみたいだし…」


そこまで聞くと、敦は春香と目をしっかりと合わせて言った。


「関係ない。時間とか、世界とか、幼馴染じゃないとか、名前とか、全部関係ない。

春香が、王子と向こうの世界に戻るって聞いて、無理だと思ったんだ。」


「何が?」


敦は、小さく息を吸い込むと、きっぱりと言った。


「お前と離れるのは無理だって。」


すると、突然まるみが声をあげた。


「見て下さい、あれ。」


まるみが指さす方を見ると、朝日が、たっぷりとした明るい光で街を満たし始めていた。三人はしばらく、無言でその光景を見つめていた。

そうしていると、春香は、揺さぶられた心と体が少しづつ落ち着いてくるのを感じていた。きっと敦もまるみもそうだったに違いない。

こうして、また新しい一日が始まるのだ。敦が口を開いた。


「春香。とりあえず、俺もお前に聞きたい事がある。」


「何?」


「お前、本当に王子様と結婚したいのか?」


「え?」


春香は、目を見開いて敦を見た。


「だって俺たち、まだ中学生だろ?そっちの世界じゃ、みんなそんなに若いうちに

結婚するのがなの?」


「そんな事はないと思うけど…。ふつうは、もう少し大人になってからする事が多いんじゃないかな。でも、ロメリアは王族だから特別っていうか…。」


「やっぱりな!」


敦は、得意げな顔をすると続けた。


「よく考えてみろ。お前と王子は、幼い頃からずっと一緒にいて、兄妹きょうだいみたいに育ったたんだろ?」


「うん。だから、一生このまま一緒にいるのが当たり前だと思ったの。」


「なるほど。じゃあ、その気持ちが恋とは限らないよな?」


「え?」


そこまで黙って聞いていたまるみがぼそっと言った。


「少々強引じゃないでしょうか、敦さん。」


「まるみさんは黙ってて。」


敦はまるみを軽くにらむと言った。


「つまり、俺にもまだ勝ち目はあるって事だ。」


「どういうこと?」


敦は春香に近づくと、ほっぺたをむにっとつまんで言った。


「まだ、これからって事だよ!」


「ちょっと、あっちゃんやめて!」


春香が、敦の手から逃れようとする。そんないつもの光景に、まるみが言った。


「家に、帰りましょうか。そろそろご飯もたける時間ですし。」


敦は、ほっぺたから手を放して言った。


「そうだな。俺、なんだか腹減ったよ。」


春香も言った。


「そうだね…。お腹、空いたかも。あっちゃんも、一緒にご飯食べる?」


「食べる食べる!」


敦の様子を見ながら、まるみが言った。


「こんな風にみんなで食卓を囲むのも、今日が最後かもしれませんね。」


「「え、なんで?」」


春香と敦が同時に聞いた。まるみは、少し笑って言った。


「本当に仲がいいですね!そろそろ、きよえさんがお戻りになるはずです。それに、もう王子様もいない事ですし、臨時合宿は解散ですね。」


「そうだったね…。」


春香は、少し寂しそうに言った。敦はその様子を見て、春香の頭をポンポンと軽く叩いて言った。


「まるみさんと王子はいなくなるけど、俺は、毎日でも飯食いに行くから心配するな!」


それを聞いてまるみは言った。


「敦さん、王子様の言葉をお忘れなく。正々堂々と、ですよ?それに、軽々しくフェミーナ様に触るのはどうかと思います。フェミーナ様は婚約中なんですから。」


「わぁかってるよ!俺、腹減ったから先に行ってる!」


敦は両手を顔の脇にばんざいするみたいに上げると、家に向かって速足で歩き始めた。春香は、二人のやり取りをぼんやりと見ていたが、ふいに学園の方を振り返った。


(誰かに呼ばれたような気がする。)


そんな春香の様子を見て、まるみは黙って先に家の方に向かった。

春香は、祈るみたいに手を組み合わせ、静かに目を閉じた。


(夢の中で、私を呼んでいた“あの人”は、ロメリアだったのね…。

どうか、神様がいるなら、一つだけ願いを聞いて下さい。

私の手の届かない所に行ってしまったあの人を…ロメリア王子を守って下さい。)


その祈りに答えるかのように、優しい風がふんわりと春香を包み込んだ。その優しい南風に、また涙がでそうだったけれど、ぐいっと上を向いて我慢した。


(いつまでも、泣いてなんかいられない。私は、ロメリア王子の正式な婚約者なんだから。)


「ロメリア、私待ってるからね。」


そう口に出して言うと、春香はきびすを返し、まるみと敦の方に向かって走り出した。



                 完





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図書室で王子様ひろいました。 くるみ @mikkuru

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