第35話「さよなら」の日②
「はるかっ!」
春香と王子が振り向くと、敦が教会の入口に立っていた。
「あっちゃん!」
春香は、驚いて叫んだ。敦は春香の方に歩み寄ると、肩に手をかけて言った。
「帰ろう、春香。王子様を送り出してやらなきゃ…」
「あっちゃん、違うの。」
流れる涙をそのままに、春香は敦の言葉を遮った。
敦は、春香をさらに自分の方に引き寄せると声を荒げて言った。
「帰るんだ。春香!」
すると、王子が敦の手を春香の肩から引きはがして言った。
「敦。少し黙っていてくれ。」
王子の
「ロメリア、私もアトミラート王国に一緒に帰る。ずっと、ずっと思い出せなくてごめんね。ロメリア、本当にごめんなさい…。」
春香は、目を涙でにじませながら王子を見つめた。
王子はたまらず、春香を…フェミーナを強く抱き寄せた。敦は、その様子を呆気に取られて見ていたが、我に返ると大きな声で叫んだ。
「待て!違う!春香は俺の
すると、そのやり取りを背中で聞いていたまるみが言った。
「敦さん。本当に春香さんはあなたの幼馴染ですか?」
「本当も何も…いや…あれ?」
戸惑う敦に、まるみが畳みかけるように続けた。
「春香…いえ、フェミーナ様の記憶が戻っているという事は、敦さんの記憶にも
変化が起きているはずです。細かい説明はできませんが…事情があって、フェミーナ様の記憶を、“春香さん”としての記憶に書き換えました。その時に、敦さんの記憶も
上書きされたんです。」
敦は、まるみの背中を見つめながら言った。
「は?春香は小さい頃から俺の隣に、いた、よな。うわがき?何を言って…。」
まるみは、少しためらいながら言った。
「申し訳ありません。フェミーナ様を守るため、フェミーナ様を完全に
“春香”としてこの世界に存在させるため、きよえさんと敦さんの力をお借りしたのです。記憶の操作というのは、簡単な事ではありません。何もないところに、まったく新しい記憶を埋め込む事はできないのです。
ですから、フェミーナ様の記憶と敦さんの記憶を
敦は、両手で自分の頭をつかみながら、混乱する脳内を整理しようとした。
(隣の家に住んでいて…)
(小さい時には、毎日のように一緒に遊んで…)
(スーパーで弁当買ってた俺を、家に連れて行ってご飯を食べさせてくれたのは…)
「…きよえさん、だ。」
敦は小さくつぶやくと、教会の床に両ひざをついた。まるみは、両方の腕に
もう一度力をこめ直すと、敦の方を振り向きながら言った。
「そうです。きよえさんは、いつも一人で遊んでいる敦さんが心配で、小さい頃から気にかけていたと言っていました。敦さんのその記憶と、フェミーナさんとロメリア王子の思い出を組み合わせたのものが、“春香さんと敦さんの思い出”なのです。」
「…そんなバカな事って。」
敦は、立ち上がりたいのに脚に力が入らなかった。思い返してみると、過去の思い出に、どこを探しても春香がいなくなっていた。記憶の一部がさらさらと砂になってしまったような感覚だった。
「そんな!」
敦は、今度は強い調子で言った。まるみは、少し声を和らげて続けた。
「でも、この一年間の思い出は本物です。敦さんは、この一年間、本当によく春香さんを、フェミーナ様を助けてくれました。ニセモノの記憶に支えられたものだったとしても、一緒にいて下さった事、心より感謝しています。ありがとうございました。」
まるみは、そこまで一息に言うと、王子に向かって叫んだ。
「王子!もう私の力では限界です!早く…」
その言葉に、春香はあわてて王子の手を握った。
「ロメリア、私も一緒に帰るわ。」
しかし、王子はその手を優しく離して言った。
「フェミーナ。私の事を思い出してくれて、本当に嬉しい。私も、お前を連れて帰りたい。だが、今は出来ないんだ。」
「絶対にいや!一緒に行くわ。」
王子は、目にいっぱい涙をためた春香の頬に手をそえて言った。
「今、アトミラート王国は普通の状態ではない。フェミーナは、何故、こんな事態になったのかわかっているのか?」
「それは…。自分がフェミーナで、ロメリアの婚約者だという事は思い出したのだけど、こうなったいきさつはわからないの。」
「そうか…。私にも、今の状況がよくわからないんだ。
だが、フェミーナが私の事を思い出してくれた以上、このままにはしない。
絶対にお前を迎えに戻ってくる。それまで、どうか私を信じて、ここで待っていて欲しい。」
王子はそう言うと、春香から手を放し、祭壇の方に向き直った。
春香が後を追いかけようとすると、敦がその前に立ちはだかった。
「あっちゃん?」
春香の声に、王子も立ち止まった。
敦は、春香の目をまっすくに見て言った。
「好きだ。」
「あっちゃん、何を言って…」
敦は、続けて言った。
「俺は春香が好きだ。
お前が、春香でもフェミーナでもどっちでもいい。
思い出があってもなくても。
とにかく、好きなんだ。春香も、俺の事嫌いじゃないよな?」
敦は祈るような眼差しで春香を見た。春香は言った。
「もちろん。あっちゃんの事はすきだよ。でも…」
「じゃあ、行くな。俺が、お前の事守ってやる。向こうの世界に帰ったって、何があるかわからない。また、おばけ犬みたいなのが嚙みついてきたらどうするんだ?
お前、ふるえてたじゃないか。」
敦はすごい勢いでまくし立てた。すると、いつの間にか王子が敦の隣に立っていた。そして言った。
「敦、フェミーナは私の婚約者だ。」
敦は少し背の高い王子に負けまいと、あごをぐいっと上げて言った。
「わかってる。でもただの婚約者だ。まだ、結婚したわけじゃない!」
二人は、無言のままにらみ合っていた。すると、まるみの声がした。
「王子!はやく…」
王子は敦に言った。
「よくわかった。私は、しばらくここを離れる。私が向こうに戻れば、こちらはひとまず安全だとは思うが、何があるかわからない。こちらの世界で、まるみと一緒にフェミーナの事を守ってくれるか?」
「そんな事、頼まれなくても守るさ。でも、ロメリアさんのためじゃない。俺がそうしたいからだ。」
「わかった。正々堂々といこう。また、私がこちらに戻って来た時に、フェミーナに
どちらがふさわしいか決着をつける事にしよう。」
「あぁ。正々堂々とだな。」
そこで、春香が口を挟んだ。
「ちょっと、勝手に話を進めないで!」
王子は、春香を見て言った。
「フェミーナ、絶対に迎えに来る。だから、待っていてくれ!」
王子は、次に敦の方を見て言った。
「敦。まるみのバリアが外れる前に、フェミーナを連れて教会の外に向かって全速力で走れ!」
「わかった!」
敦はそう言うと、春香の手をつかんだ。
「ロメリア!!」
春香は…フェミーナは、大好きな王子の名を叫んだ。
王子は、輝くような笑顔で言った。
「フェミーナ!愛してる。」
敦は春香の手をぐいっと強く引き、教会の外へと走り出した…。
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