第33話 王子様の記憶③

コンコン


春香の部屋を誰かがノックする音がした。春香は、パーティーの片付けが終わると

同時に自分の部屋に戻り、ずっと我慢していた涙を解放しているところだった。


コンコンコン


ノックの音が、もう一度響く。春香は鼻水をすすりあげ、目元をティッシュでぬぐうと、ドアの方に声をかけた。


「はい。今開けます。」


春香がドアを開けると、そこに立っていたのは、ロメリア王子だった。


「王子…様。」


王子を見上げる春香の目はぽてっと赤くはれていた。


「少し、話したい事があるのだが…。」


王子は困ったような顔で、春香に話しかけた。


「はい。大丈夫です。中に入って下さい。」


春香はそう言って、大きくドアを開けた。王子は、部屋に入るとそっとドアを閉めた。小さな空間はやけに静かで、夜の空気が、二人の間に緊張感をまとわせていた。春香は、クッションを取り出して床に置き、立ち尽くしたままの王子に言った。


「王子様、よかったら座って下さい。」


「あぁ。ありがとう。」


淡いピンク色のクッションに、長い脚を折り曲げて、王子はあぐらをかくように座った。春香は、王子に向き合うようにして、その前にちょこんと正座した。


「話って…何ですか?」


春香は、王子に聞いた。


「うん。何から話したらいいのか…。私も整理出来ていないのだが、やはり、ここを離れる前に春香と話をしたかったんだ。」


「はい。ちゃんと聞きますので、ゆっくり全部話してください。」


(どんな話でも、全部聞いて、全部覚えてる。これで、もう二度と会えないのだとしても。)


春香はそう思いつくと、また涙がこみ上げてきて、ぎゅっと目をつむった。

王子は、そんな春香を見つめながら、色々な考えが心の中をうずまいていた。


(すべてを打ち明けて、春香を…フェミーナををアトミラート王国に連れて帰ろうか?優しい彼女は、私が本気で頼んだらついて来てくれるかもしれない。

でも、そのせいで、この間のようにフェミーナがまた襲われたら?

それは、絶対にダメだ!

しかし、このまま残していけば、フェミーナは、私を忘れてしまうのではないか?)


「…私は、何を言ったらいいのだろう?」


「え?」


春香は、驚いてつむっていた目を開けた。すると、パチッと王子と目があった。

そこに見えた王子の表情は、何だか迷子になった小学生みたいで、春香は『守ってあげたい』と感じた。と同時に、口元には自然と笑みが浮かんでいた。


「王子様、話したい事、わからなくなっちゃったんですか?…じゃあ、私が先に話してもいいですか?」


春香は冗談っぽく言った。王子も、そんな春香を見て、気が付くと微笑んでいた。


「春香、お願いしてもいいだろうか?」


「はい。わかりました!」


春香はわざと元気に答えると、王子の目をみてにっこりと笑った。


「じゃあ、私からは、一つだけ質問させて下さい。これで、最後になるかもしれないんですから…正直に答えて下さいね。」


「わかった。」


春香は、深呼吸すると口を開いた。


「ええと…。」


(私が聞きたい事は、もう決まってる。でも、その答えを聞いてしまったら、泣いてしまうかもしれない。でも!このまま会えなくなるなら、聞いておかなくちゃ。)


王子は、言った。


「なんでもきちんと答える。だから、遠慮しないで言ってくれ。」


春香は、一息に言った。


「王子様は、婚約者さんの事を…、フェミーナさんの事をすごく好きなんですね?」


王子は、驚いたような顔で春香を見た。春香は、王子の顔をまっすぐ真剣に見ている。王子は、すぐに答えた。


「あぁ。世界で一番大好きで、大切に思っている。フェミーナを、愛している。」


その迷いのない答えに、春香は言った。


「はい。その言葉がちゃんと聞けて良かったです。」


春香は、そのまま両手で顔を覆った。両の目から、次から次へと涙があふれるのを止められなかったのだ。初めての恋する気持ちと失恋が同時に押し寄せてきて、春香の心は限界だった。王子がおろおろしているのが感じられたが、春香にはどうする事も出来なかった。王子は言った。


「春香…。嫌な思いをさせてしまったのなら、すまなかった。」


春香は、顔を両手で覆ったままかぶりを振った。


「違うんです。なんでもないんです。王子様は悪くありません。何も…。」


王子は、そっと春香に近づいて言った。


「春香。私は、春香の事を…フェミーナのように、大切に思っている。」


「はい…ありがとうございます。」


(王子様、気をつかってくれてる。私は、王子様の事が本当に好きなんだ…。

フェミーナさんにはなれないけれど、王子様が少しでも私の事を大切に思ってくれたこと、忘れないでおこう。)


両手で顔を覆ったままの春香に、王子はさらに言った。


「…春香、最後に、一度だけ抱きしめてもいいだろうか?」


「えっ?」


驚いて顔を上げた時にはもう、春香は王子の腕の中にすっぽりとおさまっていた。王子様の大きな手が、子供をなぐさめるように、春香の背中をトントンと優しく叩いている。春香は、泣きすぎて頭がぼーっとしながらも、暖かい腕の中で幸せを感じていた。幸せすぎて、胸がひりひりと痛んだ。


(これで、お別れなんて。もう、本当に会えないのかな…。)

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