第29話 体育祭と王子と幼なじみと④
「うぅ……。」
王子が目をあけると、目の前には天使や花などの天井画が広がっていた。その絵を見上げる形で、王子は固い長椅子の上に横たわっていた。
(ここは…?)
王子は起き上がろうとするが、腕に力が入らない。見ると、両手首が縄で一つにくくられている。素早くあたりに目をやったが、見渡せる範囲には誰もいないようだった。
「誰かいないのか?セバス!セバスはいないか?」
王子は大きな声で叫んだ。その声だけが、誰もいない教会の中にむなしく響き渡った。
「…もう目が覚めたの?」
王子の呼びかけに対し、小さく答える声があった。その声は、女のような…子供のような声だった。王子は声の主を探すが、その姿をとらえる事はできない。王子は、声の主がいると思われる方向に話しかけた。
「ここはどこなんだ?君は誰だ?」
しかし、その声はもう何も答えなかった。すると、黒い衣服を身にまとった男が、
王子に近づいてくるのが目の端に入った。
セバスだ。
「やはり、セバスだったか。少し待てと言ったはずだ。とりあえず、これをはずせ!
これは、王子の命令だ!」
セバスは、王子が横たわっている椅子の近くにひざまずくと、すんなりと縄をはずした。王子は
「どうして、こんな真似をした!私は、用事が終わったらすぐに国に帰ると言ったはずだ。お前の、その影の事で取引したのではなかったか?王子の言葉が信じられないのか?」
「…そうではありません、ロメリア王子。」
セバスは、床をじっと見つめながら答えた。
「私の目を見て、はっきりと答えよ!それから、昨日の真似は何だ?あの生き物は…明らかにこちらの世界の物ではない。お前がけしかけたのだな?」
「…?」
セバスは、王子の顔を見た。
「生き物…ですか?」
「ああ!黒い大きな、犬のような狼のような生き物だ。あれが、私の…私の世話をしてくれている、何の関係もない人間を襲ったのだぞ!」
「……。」
セバスは、無言で自分の後ろにできた影の方をみやった。
「…そうでしたか。大変申し訳ありません。」
王子は、セバスの胸倉から手を放した。セバスは、王子の足元に再びひざまずき、
床に向かって話を続けた。
「私も、もう少し王子様の社会勉強が終わるのを待つつもりだったのですが、事態が急変致しました。」
「どういうことだ?」
「…王からの命令です。ロメリア王子の婚儀を一か月後にとり行いたいの事。ひいては、どんな手を使ってでも、すぐにロメリア王子を連れ戻すようにとの仰せです。」
「な…!」
王子は、何も言う事ができなかった。
(突然、一か月後に婚儀、だと?)
セバスは続けた。
「王子、一刻も早くアトミラート王国に戻り、フェミーナ様を目覚めさせなければ、
このままでは…」
セバスは、そこで言葉を切った。
「…このままでは、何だというのだ?」
王子は、セバスを見つめながら言った。
「…他の者と結婚させるとの事。」
「他の、者?」
「もともと、王子のフィアンセであらせられましたタキ王国の第三王女、ミリカ様です。」
王子は、ゆっくりと目を閉じた。その時、セバスの影の中で小さく何かが揺らめいたが、王子は気が付かなかった。
(一体、なんで急にそんな事になっているのだ?私のいない所で、勝手に私の人生が動いてしまう。)
王子は言った。
「婚儀を急ぐのには、何かわけがあるのだな?」
セバスは、床を見つめたまま続けた。
「理由は明かされておりません。しかし、王の命令は絶対です。」
王子は、セバスを見下ろしながら考えていた。
(王命では、逆らう事はできない。しかし、戻ったとしても、アトミラート王国で横たわっているフェミーナはただの幻。かと言って、危険にさらされている、まして記憶を失っている春香を、無理やり連れ帰るわけにもいかない。…私は、一体どうしたらいいのだろうか。)
王子は軽いめまいを感じ、そばにあった椅子に手をついた。
セバスはすぐに立ち上がり、王子を椅子に座らせると、畳みかけるようにに言った。
「ロメリア王子!私は、いつでもあなたの味方です。しかし、王命に逆らう事はできません。とにかく一度、王国に戻っては頂けないでしょうか?私も、フェミーナ様が目を覚ますよう手を尽くします。婚儀の時期、お相手に関しましても、王様と直接ご相談なさってみてはいかがでしょうか?」
王子はすっかり乾ききった口で、何とか答えた。
「…わかった。」
セバスは、王子の肩をかかえて言った。
「ありがとうございます!状況が落ち着きましたら、またこちらに正式な
手続きを踏んで社会勉強に参りましょう。その時は、私が御供致します。」
「セバス…。」
王子はかすれた声で、喜びに興奮しているセバスに言った。
「最後の頼みだ。」
「ロメリア王子、何でしょうか?」
「明日の朝まで待ってくれ。世話になった者達に挨拶とお礼がしたいのだ。」
「……。」
セバスは、無言で王子を見返した。
「頼む。セバス。」
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