十七章2
『ミルスといたのは偽者だ。あれも魔法で作られた何かだろう。本物の伯爵はやっぱり裏庭で捕まって、ずっと秘密の場所に隠されていたんだ。おれももう少し、自分の眼力を信じておけばよかった。おれが見た伯爵は、あんな卑劣な男ではなかったと』
「そうだ。そうなのだ。閣下! 私がいたりませんでした。おゆるしください。愚か者はこのアトラーのほうでした」
アトラーはその場にひざまずき、眠ったままの伯爵に敬意を表する。彼の目には、うっすらと涙さえ浮かんでいた。
「皇都から閣下に従ってきたのは、私をふくめ、わずか数名の騎士。閣下のお人柄を慕い、不遇の主君を見すてることなどできなかった。真の忠臣と自負しておりましたが、その私が閣下を信じることができなかったとは。一生の不覚でございます。よかった……閣下が生きていてくださって、ほんとによかった」
いつものように、ワレスが皮肉を言った。
『そのくらいにしておけ。どうせ、眠っている伯爵には聞こえない』
卓上の飾りの置物みたいなワレスを、アトラーはにらむ。だが、そのおもてはじきに微笑に変わった。
「おまえが何を言っても、もう怒らないぞ。おまえは私に閣下を軽蔑させないでくれた恩人だからな。ありがとう。ワレス小隊長」
テーブルから離れてひざをついているアトラーには見えなかっただろう。彼のくもりない笑顔を見せられた瞬間に、ワレスの小さな玉石のおもてが真っ赤になるのが、円卓をかこむハシェドたちには見てとれた。
(もう大丈夫みたいだ。隊長は純粋な人には弱いから)
ワレスはそっぽをむいて、わざとらしく冷淡を装う。
『伯爵が起きないから、彼をかかえて歩きだした。一刻もしたかな。あの場所のどこか奥から、不吉な気配がしていた。そこから遠ざかりつつ進んでいくと、暗闇に光が見えた。近づいてみると、外の景色が見えるんだ。森のなかのようだったから、第二区画のどこかだとは思ったが、おどろいたことに、そこは壁なんだ。景色は見えるのに、手でさわると壁がある。おれが力をこめると、壁がゆがみ、粘土のなかを泳ぐように通りぬけることができた。それで、どうにか外に出られたんだが……』
ワレスは肩をすくめる。
『裏庭だと思った場所は、信じられないほど巨木の森。おれたちがぬけだしてきたのも、そんな木の一本だろう? 伯爵を背負ったまま絶壁を素手でおりる苦行をやらされたあと、見たのは巨人のおまえたち。正直、自分が狂ったと思ったよ』
ほうっと、ホコリもとばないような小さなため息を、ワレスがもらす。
『おれはどうしてしまったんだ? なんで、こんな体に……まさか、一生このままじゃないよな?』
真剣なまなざしをあびて、ダグラムは冷静に答える。
「次元魔法ですね」
『次元……魔法?』
「以前、あなたにお教えした時間魔法の一種です。正しくは時空間魔法と言います。その作用が時間に特化したものを時間魔法。空間に特化したものを次元魔法と言うのです。もっとも初歩の時空間魔法は封印です。空間に魔法の鍵をかけ、他人にふれられなくする。結界とも言います」
ハシェドには時間魔法がすでにわからないので、荷が重い話題だ。そのへんは、ワレス一人が理解できればいいのだろう。案の定、ワレスはもう理解した顔になっている。
『封印、結界、時間魔法。それらはひとくくりの魔法なのか。だとすると、あの場所は魔術師が魔法で作った異世界のようなもの。その空間を裏庭の木のなかに隠しているのだな? だから、ふつうの人間には見えない。もしかして、異空間のなかは術者が自在に時間の流れをコントロールできるんじゃないか?』
ダグラムのとぼしい表情が、どこかウットリして見える。
「あいかわらず、小隊長は優秀ですね。一を言えば十を悟る。おっしゃるとおりです」
そして、ひとこと、
「ロンド。見習いなさい」
となりの七級魔法使いは「ギャフン」とうなった。
司書長は無視して続ける。
「封印は物や場所に鍵をかけるだけの単純な魔法ですがね。上級者なら、そのなかに現実とは異なる空間を入れ、さらに自己時間流を使って、時間の流れをループさせたり、せきとめるなどして、外の世界とは時間流を変えることが可能ですよ。そうなると、ひじょうに高度な魔法です。一級魔術師にも難しいですね」
ワレスのおもてがくもったように見えた。
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