十六章3
*
そのころ、ワレスは——
気づいたとき、あたりは闇だった。まるで耳に真綿をつめられたように静かで、何も聞こえない。体の自由がきかないのは、手足を縛られているからだ。あの氷の魔法は、すでに消えている。
どこかに寝かされている。だが、地面ではない。木の床のように感じる。戸外で襲われたのだから、どこかへつれさられたということだ。アトラーがあれほど必死に捜索しても見つけることのできなかった、例の秘密の隠し場所だろう。
(やはり、魔法か。人の目には見えない場所。隠れ家に魔法で細工をしている)
ワレスが重要な鍵になると思っていた三つのポイント。それをつきつめて考えると、どうしてもふつうの人間では不可能になってくる。
(三つのポイントのその二。行方不明者は長期間、どこに監禁されていたのか? その答えは、魔法で隠された空間。では、ポイントその三。なぜ、行方不明者はすぐに殺されなかったのか?)
その答えは、エンハートが生きていたことでわかった。エンハート自身が答えだ。セックスがからんで変質的に殺されていたので、ワレスは同性愛の目的のために、行方不明者が拉致されていると考えた。
しかし、そもそも、そこが逆だったのだ。媚薬のように美しいエンハートがいたからこそ、事件は倒錯の色を帯びた。そうでなければ、あんなふうに何十人もの人間が恋に狂いはしなかった。エンハートが敵の手中に落ちたとき、事件のカラーが微妙にぬりかえられてしまった。甘美な、エンハートのカラーに。
もちろん、エンハートは兵士たちを釣るエサとして監禁されたのだ。彼ほど、これに適役はいない。あの蜂蜜色の瞳に見つめられるだけで、ワレスでさえ堕ちた。あの美しい人形さえ手元に置いておけば、それこそ何十人、何百人でも、おもしろいように犠牲者を集められただろう。それが、目的だった。
では、なんのために男たちが集められたのか?
そこに最後の、もっとも重要なキーワードがかかってくる。魔法だ。
殺人鬼はなぜ一年前に豹変したのか?
それはおそらく、彼を変えさせる何かが起こったからだ。
リヒテルたちが言っていた、あの言葉。ワレスには誰が殺人鬼なのか、もう察しもついていた。
(なのに、なぜ、ここで、スノウン?)
ワレスが思った魔法使いは、スノウンではなかった。もっと恐ろしい相手だ。司書長の目をごまかせるほど優れた魔法使いが、彼女より階級の低い司書とは思えない。スノウンは二級。ダグラムは一級だ。
思案していると、皮肉な笑い声が、かすかに闇をゆらした。
「さようです。私はあの人に永遠に追いつけない」
「スノウンか?」
不思議にも、ワレスは口をふさがれていなかった。魔法の隠れ家のなかでは、どんなに大声を出しても外には聞こえないということか。
「私以外に誰がいるというのです?」
「いるだろう。黒幕が。おまえには、ダグラムをあざむいて、何十人も殺し続けることはできない」
「そこが、つらいところです」
「なぜ、こんなことをする?」
「あなたはまだ自分に魔法の力は必要ないと思いますか?」
こちらの質問には答えず、スノウンは反問してくる。
ワレスは考えた。
「……そうだな。おれにこの場所が見えていたら、少なくとも、タオは殺されなかった。後悔はしている」
「魔神に魂を売ってもいいなんて、威勢よく言ったあなたが、ずいぶん感傷的なことを言うものだ」
「気分屋なんだ」
スノウンは笑ったようだ。何も見えない暗闇なのに、彼の姿はぼんやりとだが見える気がする。
「ミラーアイズの力ですね」
スノウンが言うので、
「魔法はともかく、この目くらいは自在に使えたら便利だろうな」
「便利……あなたにはそのていどかもしれませんね。でも、私は欲した。あなたのその力。あなたの目を借りたとき、じつは見えていたんです。この場所がね。おどろきましたよ。あまりにも素晴らしい
「だから、ヤツに力を貸したのか? おまえは利用されているだけだと思うぞ?」
「そうなんでしょうねぇ。でも、やってみたかった。あなたのその力を得られるなら、どんなことでも」
「なぜ、そこまでして?」
「さあね」
スノウンはうそぶいた。でも、どこかさみしげだ。
「ワレス小隊長。あなたはその力のために、いずれ、とんでもない不幸に見舞われる。だが、いつまでも、そのくじけない心を忘れないでください。ダグラムによろしく。私が謝っていたと伝えてください」
「スノウン?」
すっと、スノウンの姿がかききえた。
(幻?)
それとも、ワレスのミラーアイズの力がおよぶ範囲から出てしまったのだろうか?
(伝えろって、どうしろというんだよ? 縛られているんだぞ)
試みに、うしろ手に縛られた両手を動かしてみる。すると、さっき目ざめたときとは感触が違う。ゆるい。急いで外してみると、鋭利なもので切られている。
(スノウンか?)
捕まえたのもスノウン。逃がすのも、スノウン。
変な気がしたものの、これは好機だ。ワレスは暗闇のなかに、そっとふみだした。
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