十六章2



「おまえはたしか、ワレス小隊長の部下だな」

「ハシェド分隊長であります。緊急を要する案件です。至急、伯爵閣下へのお目通りを願います」

「閣下はご就寝中だ。私が聞こう」


 近衛隊は砦の編成のなかでは特殊な位置づけだ。人数は少ないが精鋭部隊であり、その隊長ともなれば、中隊長と大隊長のあいだくらいの権限はある。傭兵の分隊長にすぎないハシェドに逆らうことはできない。


「では、報告します。ワレス小隊長はかねてよりの事件を引き続き調査中、本日深夜、裏庭にて行方不明です。現在、正規隊と捜索中ですが、難航しておりますれば、なにとぞ、伯爵閣下にその旨、お伝えください」


 くるりと背をむけ、ハシェドが立ち去ろうとすると、アトラーが呼びとめる。


「待て。裏庭を続行調査? あれはユーグという庭師がやったことだろう? 事件は解決したのではなかったのか?」

「ユーグは最初から、真犯人を油断させるための囮だと、ワレス隊長は言っておられました」


 アトラーはこめかみを押さえる。


「なぜ、それをおれに言わない? あの男はスタンドプレーが多すぎる。あげくに行方不明?」


 ムッとして、ハシェドは言い返した。


「隊長はこれ以上、裏庭で人命がそこなわれるのを見ていられなかったんです。だから、城主の命令にそむいてでも解決したかった。伯爵に言われたからって、さっさとひきあげたあなたに、とやかく言われる筋合いはありません」


 アトラーは男らしい眉をしかめた。そのあと急に、くすりと笑う。


「隊長仕込みの負けん気か。上官がアレだと、下士官も似るのだな」


 ハシェドはですぎた言動を恥じたが、悔いてはいない。そもそも、ふだんは自分の不始末でワレスが悪く言われたくないから、おとなしくしているだけだ。今日はその隊長の生死がかかっている。遠慮なんてしてられない。


「おれはあなたの部下ではありませんから」


 すると、見張りの近衛兵がハシェドをにらみ、手を伸ばしてくる。ハシェドも身がまえる。アトラーがそれをひきとめた。


「まあ、待て。私は不愉快だから言ったわけではないんだ。アイツの口の悪さも負けん気だったのかと思っただけだ」


 負けん気。ポーズ。皮肉屋。

 それは少し違うと、ハシェドは思う。どうせ、アトラーに言ってもわからないだろうが。

 ワレスが魔神に魂を売ってでも生きたいと願ったのは真実だろう。ただの負けず嫌いや皮肉ではなく。


(隊長ほど苛酷な少年時代をすごしていれば、誰でもそう思う。それを責めることはできない)


 そういう経験をしたワレスだからこそ、ある種の人間には救済になるのだ。たとえば、ハシェドやロンド、エミール、ユージイのような。心に深い傷を持つ人間。


 ワレスは決して善人ではない。むしろ、自分の父を殺すなど、世間から見れば極悪人だ。だが、純粋に悪でもない。


 彼は他者から傷つけられ、汚れながらでも生きていかなければならない弱者の痛みを知っている。


 だからこそ、人の心の動きにとても敏感だ。傷を持つ者をひとめで見ぬき、そして、ふだんはその傷にふれないくせに、血を流して痛んで、自分ではどうしようもないときにだけ、さりげなくハンカチをなげてよこす。そういう人間だ。


 弱者への共感。ワレスの優しさの根源は、そこにある。裏庭で死んだタオの瞳が澄んで美しかったから、ワレスはとつぜん断ち切られた青年の短い生涯を惜しんだ。タオが無抵抗で殺された弱者だったから。


 もしかしたら、ワレス自身、それに気づいていないのではないかと思う。ハシェドがそのことを指摘すると、いつも、おれを勝手に善人にするなと、てれくさそうに反論するから。


 ワレス自身さえそうなのに、ましてや、日のあたるまっすぐな道を歩いてきたアトラーには、決して理解できないだろう。


 声高に叫んでふりかざされる正義は、見てくれはキレイだ。だが、権威や巨悪にも通じる。権力が作った法は、弱者を苦しめる武器にもなりうる。ワレスはそれを嫌うので、体裁のいい正義が好きな連中には、彼自身がとんでもない悪のように映るのだ。


(隊長。あなたはおれたちにとって、かけがえない人。だから、必ず生きていてください)


 ハシェドは自分のその思いを、アトラーに説明しようとは思わなかった。アトラーは権威側の人間だ。レジスタンスの気持ちがわかるはずもない。かわりに、アトラーでも理解しやすい弁解を入れた。


「あのときは、あなたの態度にも横柄なところがあった。売り言葉に買い言葉で、つい言いすぎたんです。あなたが思っているほど、ワレス隊長は非人情なわけではありません」

「そうかもしれないな。これほど部下に慕われるのは、人徳があるからだ。しかし、私は横柄だったろうか?」


「ワレス隊長が近衛隊に誘われたのが、お気に召さなかったのではないですか?」

「それは違う。私はあのとき、ワレス小隊長が気長に庭の見分など始めたので、伯爵閣下を案じていないと思った。近衛隊を断ったのも、閣下をかろんじているためだと。気分を害したので、態度に出たのだろう」


 そう言われれば、アトラーは途中までは礼をつくしていた。急に態度が変わったのは、そのせいだったのか。


「どうやら、おたがいに感情の行き違いがあったようですね。ワレス隊長のやりかたは、情報収集と分析にもとづく論理的手法です。そこに隊長独自の勘がくわわるわけですが。知らない人から見れば、遊んでいるように見えたかもしれません」

「なるほど。だから、ボタンか」

「伯爵のことは隊長も心配していましたよ」


 このところ、すっかり悪口ばかりになってしまったが。


 アトラーがため息をつく。

「閣下はお人が変わってしまった。以前はひじょうに純粋な、まれにみるお心の美しい若君だった。なぜ、こんなことになってしまったのか。お命は無事でも、以前のあのかたは亡くなられたも同然。来るがいい」


 ハシェドは手招きされて、アトラー隊長に従った。薄暗い夜の廊下を歩いていく。


「ハシェド分隊長だったな。閣下のご指示を待つのは時間のムダだ。おまえは扉のかげで、私と閣下の会話を聞くといい。そのまま、ほどよい時点で帰ってかまわぬ」

「それは、いったい……」

「聞いていれば、私の言う意味はわかる」


 まもなく、つれていかれたのは、いつもの執務室ではない。寝室だ。アトラーは扉の前でひざまずき、なかへ声をかけた。


「閣下。アトラーであります。至急、お耳に入れたき仕儀しぎなれば、入室おゆるし願えますでしょうか?」


 なかから声は届かなかった。しかし、アトラーには聞こえたのか、扉をあける。そのまま、戸口でひざまずいた。


「ご就寝のところ、申しわけありません、裏庭の事件は、いまだ続いておりました。ワレス小隊長が裏庭にて消息不明にございます。なにとぞ、ご指示をたまわりませ」


 おどろいたことに、それに対して返ってきたのは、めんどくさそうな一言だ。


「裏庭など、もうよい」

「しかし、閣下。現にワレス小隊長が——」

「知らぬ。知らぬ。あの事件は解決した。ほっておけ」


 それだけでも軽蔑に値するというのに、室内からは少年の笑い声まで聞こえてくる。


「のう、ミルス。ジャマが入った」

「伯爵さま。あの人が見ています」

「かまうものか」


 ハシェドは吐き気がするほどの侮蔑を感じた。その場を立ち去る。すぐあとに、アトラー隊長もついてきた。


「ムダだったろう?」

「ですね」

「さきに行ってくれ。私も自隊をつれて、すぐに行く」

「ありがとうございます」

「たしかに、ワレス小隊長の慧眼けいがんは砦に必要だ。なんとしても見つけなければな」


 しかし、その夜、ワレスを発見することはできなかった。

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