十五章3
*
闇五刻になって、ワレスはマニウス小隊の兵士にまぎれて裏庭に入った。つれは、クルウ、エルマ、頭数をそろえるためのユージイだ。
「では、ワレス小隊長。我々は任務につきます。ご用があれば、お呼びください」
「手を貸してくれて、ありがとう」
庭園の通用門をくぐったところで、マニウス小隊の兵士と別れた。
「じゃあ、打ちあわせどおり、おれとユージイ、クルウとエンハートの二人組みで行動する。クルウ、エンハート、おまえたちは見張りに徹し、あくまで身の安全第一を念頭にな。とくに、エンハート。おまえは傭兵の仕事に不なれだからな」
「わかって……いえ、了解しました」
「私がムチャはさせませんので、ご安心ください。小隊長こそ、お気をつけて」
クルウはエルマをつれて、さきに歩いていった。彼ら二人は、ワレスとは逆のルートをとることになっている。それぞれの監視の目的は事前に告げてあった。
それにしても、昼間、ワレスとあんなことがあったのに、まったく不自然に見えないクルウの態度は、さすがとしか言えない。クルウと寝たのは早まったかなと思っていたので、ワレスとしては助かる。
だが、どちらかといえば、クルウの心は今、ワレスより別の誰かに重く傾いているからかもしれない。裏庭に消えたエンハートの上に。でなければ、自ら裏庭に行ってみたいとは言いださないだろう。
数刻前。夕刻になって、いったん自室に帰ったとき、一人で待っていたクルウに、エンハートの件の成果を聞かれた。ワレスは答えに迷う。
「結果からいえば、当たりだ。エンハートはたしかに失踪直前、裏庭に行っている。だがな、おかしなことを言うが、おれはさっき……といっても、二刻は前だが、エンハートに会った」
「エンハートに、ですか?」
「わけがわからないだろう? それで、おれはすごくバカバカしい考えを持ち始めている。裏庭でアイリスが見たと言った金髪の男。もしかしたら、エンハートではないかと」
「エンハートが……生きている?」
クルウはこめかみを押さえ、目をとじた。動揺したクルウを見るのは初めてだ。
「おまえなら、もしこの考えが間違っていて、ぬか喜びだとしても耐えられる。だから、告げるんだ。エルマにはナイショだぞ」
そう言っている瞬間にドアがひらき、食事からエルマとハシェドが帰ってきた。
「何がわたしにナイショですって? 今、エンハートがどうとか聞こえたけど」
つめよるエルマに白状させられて、夜の監視のメンバーが決まったというわけだ。ハシェドには小隊長代理の責任があるから、代わりにこういう退屈な任務にも文句を言わない、もと正規兵のユージイをつれてきた。
「ワレス隊長。松明、持つよ。いざというとき、あんたはすぐに動けたほうがいいんでしょう?」
ユージイに松明を渡し、ワレスたちは第一区画から第二区画をめざしていく。
「なあ、ユージイ。おれはおまえに謝らなければな」
「あんたがおれに謝るなんて、気色が悪いですって。なんか悪いことでも起こるんじゃないかって」
ユージイが正規隊からワレスのもとへ移ってきて、そろそろ三ヶ月。もともと本人の性格がいいかげんだったのか、すっかり傭兵になじんでいる。ちゃんと正規の訓練も受けているため、剣でも弓でも槍でも、なんでもこなす。かたい仕事も無難に片づけてくれる。意外と使い勝手のいい男だ。
「おまえに初めて会ったとき、おれは嘘をついた。いつでも他人に見えないものが見えるように言ったが、じっさいは自身が窮地に立たないと見えないんだ」
「ああ、そのこと。そうじゃないかと思ってたんだ。でも、もういいよ。あのときは、おれ、ちょっとアレだったから」
ユージイが自分の頭の上でする仕草を見て、ワレスは笑った。
「しかし、おまえに言った能力が、今、おれにあればと思うよ。そうすれば、おれには、とっくに見えていたはずなんだ。この時間の真相が」
「そんなものなくても、あんたは大した人ですよ。ほら、小隊長。あれが目的の小屋ですか?」
第二区画のユーグが使っていた用具小屋にたどりついた。まずはここを調べ、次にミモザの宿舎。そのあと、第三区画の五人の宿舎前で、クルウたちと落ちあう。それが今夜の予定だ。
「アトラーだってバカじゃないはずだ。人間を隠しておけそうな場所を探したとき、当然、庭師の宿舎も調べているだろう。でも、怪しい点はなかった。ユーグの使っていた、この小屋も」
そこはワレスが予想していたより、大きな小屋だ。丸太を組んで造られ、用具置場というより、れっきとした人間が住む家に見える。なかは暗いが、ユーグが捕まったあと、鍵はあけっぱなしだ。自由に見ることができる。
「けっこう片づいてるな。半分は用具に埋まっているが、ちゃんと人の住める空間になってる。ベッドに、お手製のテーブルセット、衣装ダンス」
ユーグは几帳面な男だったらしい。アトラーの部下たちが残した足跡をのぞけば、部屋は清潔で整然としていた。
「小屋の裏手には自家栽培野菜の畑もある。リヒテルが言っていたとおりだ」
たしかに、ここなら自分が暮らすほかに、人間一人を監禁しておくスペースはある。あるが、しかし、丸太小屋は仕切りなしの一間なので、家探しする兵士から人間を隠してはおけない。床下や屋根裏に隠し部屋があるわけでもなかった。
「やっぱり、ユーグははめられたんだな。血糊のついた農具やロープがあれば、最初に調べられたときに見つかっている。それにユーグの性格なら、凶器をいつまでも汚れたままにしておかない。まわりは無人の一軒家みたいなものだ。夜中だからって、見とがめるヤツはいない。きれいに洗ってから寝るだろう」
ここには確認のために来ただけだ。それ以上、何かが見つかるとは、ワレスも考えていなかった。ユーグを犯人に仕立てた人物の痕跡も見つからない。
「まあいい。ユーグをはめたヤツの見当はついている。次はミモザのところへ行ってみよう。今夜もアイリスが来ていたら、ちょっとおもしろいものが見られるぞ」
「小隊長。他人の情事を見ても、任務中だぜ? 変な気分になったら困るでしょうよ」
「おれの予想では、なかなか刺激が強いながめだろうな。アイリスは蛇が好きなんだ」
「蛇って、どんな刺激だよ」
ゲラゲラ笑っていたユージイが、丸太小屋を一歩出たとたん、うっとうめいて倒れる。松明は地面にころがり、火が消える。
「ユージイ!」
返事はない。しゃがんで確認すると、ユージイは気を失っていた。息はあるが、完全に白目をむいている。
(何があった? 近くに人影はなかった。飛び道具が使われた形跡もない)
ワレスが姿勢を低くしたまま、油断なくあたりを見まわしていると、木々のあいだに黒い人影を見つけた。ワレスが気づいたとたん、むこうもそれを悟った。闇に走りだす。
ワレスは追った。人影は一つだ。一対一なら、危険だとは思わない。しょせん相手は庭師。その気で身がまえた剣士が遅れをとるはずがない。
でも、一つだけ気がかりな要素がある。もし、ワレスの恐れていた最後のキーワードが現実だとしたら……。
ゾクゾクするようなイヤな気配がしていた。逃げたほうがいい。きっと、これは罠だ。
ワレスが立ちどまった瞬間、人影がふりかえった。冷たい氷の牢獄が、ワレスを包む。周囲の空間が瞬間的に凍りつく。氷づけにされた魚のように、ワレスは一瞬で動けなくなる。
やはり、最後のキーワードは、それだった。
魔法——
これは人間の起こした殺人だ。魔物でも、獣のせいでもない。しかし、その裏には魔法がからんでいる。
ワレスの前に人影が立つ。
「だから、言いましたでしょう。私の得手は冷気系の攻撃魔法だと」
スノウンの冷ややかなおもてを見ながら、ワレスの意識は遠のいていった。
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