十五章2



 ワレスは裏庭へ急いだ。かけつけると、入口の通用門に若い司書が待っていた。


「案内します。温室で、たいへんなことが起こりました」

「誰か殺されたのか?」


 いつもの変死を覚悟したのだが、温室に倒れていたのは、ユリシスだった。頭から血が流れている。


「ユリシス! しっかりしろ!」


 青ざめたユリシスは死人のようだ。てっきり例の変質者にやられたと思い、ワレスは歯をくいしばった。しかし、かたわらにつきそった司書が、ワレスに微笑みかけてくる。ダグラムだ。


「大事はありません。放置すれば危なかったでしょうが、悲鳴を聞いてすぐ、わたくしがかけつけましたので、延命処置をほどこしました。命にはさしさわりありません」

「あなたの魔法なら安心だ。自己時間流をあやつったんだろう?」

「さすがですね。以前の学びをしっかり記憶されている。命に別状はありませんが、血が失われております。安静が必要ですので、治療室へ運んであげてください」

「だが、なんで、おれを呼んだんだ?」


 治療室へ運ぶだけなら、裏庭にいる兵士でよかったはずだ。


「彼があなたを呼んだのです。伝えたいことがあるようです」


 ワレスが抱きあげると、ユリシスは目をあけた。


「……ワレスさん」

「心配させるな。どうして、こんなことになったんだ?」

「誰かが、うしろから、なぐってきたんです」

「姿は見たか?」

「いいえ。でも……」

「でも、なんだ?」

「声を聞いた。すごく、しゃがれて……誰かわからなかったけど」

「なんて?」

「よくも……枯らしたなって……」


 ワレスは思いだした。先日、大切な鉢を枯らして、ひどくしかられていたユリシスを。


「ヘンルーダか?」


 ユリシスは小さくつぶやいて、意識を失った。その言葉は聞きとれない。


「ユリシス」


 ゆりおこそうとするワレスを、ダグラムがとどめる。


「わたしの処置がもう少し遅ければ、彼は間違いなく死んでいました。話は回復してからにしてあげてください」


 ワレスはユリシスをかかえて、果物の甘い香りに満ちた温室を出た。さわぎを聞きつけて集まった庭師たちに出会った。ヘンルーダとリチェル、ショーン、マグノリアの四人だ。


「ユリシスはどうしたんですか? まさか、死んだのですか?」


 たずねてくるヘンルーダに、ワレスは沈痛な表情を作ってみせる。


「ころんで頭を打ったみたいだ。魔術師が手当てしたものの、助かる見込みは薄い」

「そうですか……」


 ヘンルーダは真実、悲しげに見える。ショーンもリチェルも暗い顔だ。マグノリアだけは、いつものように、ぼんやりしていたが。


 ワレスは庭師たちに嘘をついたまま、ユリシスを本丸治療室へ運んだ。ああ言っておかなければ、殺人者はふたたびユリシスを襲うかもしれない。


(裏庭に殺人鬼が一人……)


 ユリシスを襲ったのは、殺人鬼だろうか? それにしてはこれまでと手口が違いすぎる。背後からこっそり近づいて、いきなり頭をなぐる。同性愛も他人を惹きつける魅力も関係ない。とどめをさして死肉を持っていくことができなかったのは、ダグラムが来たからなのだろうが……。


(別人の仕業か? それとも今回だけ手口を変えた?)


 何かの理由で手口を変えなければならなくなった……?


(そういえば、ヤツは一年前にも態度を変えている。一年前——)


 これは重要なポイントだ。

 なぜ、殺人鬼は急に凶暴化したのか?

 ここ一年を境に、まるで人が変わったみたいに、乱脈に殺人をひんぱつした犯人。


(まるで……変わったよう? まさか、ほんとに違う人間ではないのか?)


 殺人鬼は二人——?


 でもそれなら、最初の犯人は、一年前に死んだか、姿を消した。でなければ、種類の異なる二通りの殺人が、今も裏庭で起こっていなければならない。たとえやりかたが似ていても、どこかに差異が生まれるはずだ。


(より凶暴な二人めのほうに、一人めが殺されたんだろうか? それなら、わかる。一人めは兵士だったのかもしれない。その可能性もある。案外、三年めに殺された犠牲者の最後あたりが、それ)


 だとすると、一年前になって、とつぜん現れた二人めは誰なのか? アイリスしかいない。または砦に来て三年以内のリヒテル。


(違う。彼らじゃないはずだ)


 アイリスには調べが必要だが、彼がそうなら、ミモザが気づいている。第一、アイリスの好みはユーグやミモザだ。年上のちょっと暴力的なふんいきの男。殺されたタオみたいなふつうの青年じゃない。


 むろん、リヒテルとクロードは最初から除外だ。話してみてわかったが、あの二人には同性愛の傾向はない。ワレスを見て頬を赤らめるのも、花をくれてキャアキャアさわぐのも、有名な美男俳優に出会ったときの反応なのだ。それどころか、ワレスが誘えば、二度と口をきいてくれなくなるだろう。砦のなかの一万五千分の一に遭遇したぐうぜんを喜んでいるにすぎない。


(では、誰も二人めにはなりえない。殺人鬼は一人。一人だ。なのに、一年前にヤツは変わった。犯人じたいが変わったんじゃないなら、目的が変わったのか? ヤツの目的は快楽殺人だろう?)


 もしかして、そこがすでに違うのか? ここ一年の傾向を見ると、快楽殺人としか考えられないのだが。


(人を殺して快楽を得る以外に目的がある? だとしたら、今回のユリシスへの襲撃は、そこにかかわってくる?)


 ワレスは以前に考えた、あと二つの事件のポイントを思いかえした。第一のポイントを解くヒントが、第二、第三の謎に隠されているかもしれない。


 長期間、生かされたままの行方不明者は、どこに行っていたのか? また、なぜ、殺されずに置かれていたのか?


(裏庭は徹底的にアトラーが探した。地面に穴までほって。死体はもちろん、生きた人間が隠れていられる場所はなかった。それでも、なんらかの隠れ家があるとしたら、それはふつうには見えない。あたりまえの人間には、ただの空気のようなもの)


 見えない場所……?


 ふいにいくつかの過去の映像が思いだされた。ワレスが文書室に行ったときのロンドとのやりとり。ワレスの目を貸してくれといったスノウン。ワレスの目は人に見えないものが見える。


(裏庭に、人間の視界では見えない場所がある……のか?)


 するりと脳裏に、ある一つのキーワードが浮かんだ。


(リヒテルや、それにアイリスも、なんと言っていた? たしか……そうだ。間違いなく言った)


 わかった。おれが聞き流していた重要なパーツ。それで、ヤツは一年前、とつぜん——


 思わず、ワレスは身ぶるいした。

 もし、ワレスの仮定が真実だったなら、たいへんだ。ワレスでは手に負えなくなる。すぐにもたしかめたい。が、しかし、それを確認するには、事件に関して記した報告書を見なければならない。あの伯爵の部屋にある鍵つきの書棚におさめられた文書。


(どうしたらいいんだ)


 今、ワレスにできることは、最後のキーワードがはずれていることを願うだけ……。

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