十五章
十五章1
ワレスは中庭の片すみにいた。
裏庭ほど手入れの行きとどいてはいない雑木林だ。雑草だらけの荒れた林。万一のときのために、たきぎの材料として植えられたのだろう。それとも、鳥のふんにまじった種が四百年のうちに自生したのか。
宿なしのワレスには、おキレイな庭園より、こっちのほうがふさわしい。
(クルウと寝てしまった。イヤになる)
ほんとにつながりたいのは、ハシェドなのに……。
ハシェドはエルマと寝たのだろうか? もしそうなら、確実に彼は砦から去っていく。ワレスには見送ることしかできない。
(これでいい……のか? ハシェドが死なずに砦を去る。それは喜ぶべきことだ。アブセスを送ったように、ハシェドも笑って見送らなければならない……)
もう、どこか遠くへ行ってしまいたい。誰も人間のいないところへ。誰も愛さなくてすむところへ。
そう思って砦へ来たのに、ここではまだ不充分だった。これ以上、どこへ行けばいいというのか?
雑木の根元にすわりこんで、ワレスは空を見あげていた。ふと、となりに自分以外の誰かの気配を感じた。
「だからって、エラードをとらないでほしいな」
まぶしい金髪が輝いているのが、逆光のなかでも見てとれた。ワレスは直感的に、それが誰なのかわかった。
「おれだって、ハシェドをとられた。あんたの妹にだ」
「でも、それは、君がちゃんと相手にぶつからないからじゃないの?」
「こっちには、こっちの事情があるんだよ。そういうおまえだって逃げてたんだろう?」
「たぶんね」
エンハートはため息をつきながら、ワレスのとなりに腰をおろしてきた。
思ったとおり、目を疑うほどのものすごい美貌だ。女性でないことが不思議なくらいの華麗で完璧なおもざし。ややブラウンがかった蜂蜜色の瞳が、とろけそうに甘い。
(なるほどな。中隊長でなくても、ほかの男にくれてやるのは惜しいと思うよな。これは)
ワレスでさえ、抱いてみたいと思う。
「こんな綺麗な男が、世のなかにはいるんだな」
ワレスは手をのばして、彼のなめらかな頬にふれる。エンハートは顔をしかめた。
「今、抱きたいと思ったね」
「ああ。思った」
「君はさ、案外、僕側の人間じゃないよね」
「おれは他人に利用されて終わる人生なんて、まっぴらだ。たとえ破滅するんだとしても、自分の意思の結果のほうがいい」
「……うらやましい」
エンハートはワレスが頬をなでるのに任せ、目をとじている。その手が首すじへ、さらに下へ、衣服の下の胸もとに入っても、されるがままだ。
これは女の持つ美しさだ。いや、むしろ花と言ったほうがいい。愛され、求められることでしか生きていけない。運命に流されるだけの悲しい生き物。
さっき、クルウに女の歓びをあたえられたばかりなのに、ワレスは彼のなかに入っていた。この上なく甘美な陶酔が、いっとき、ワレスの正気を失わせた。乱れ髪のあいだから自分を見あげるエンハートが、たまらなく愛しい。これは、彼だけが使える魔法。
「おれに好きな相手がいなければ、骨ぬきにされていたよ」
「みんな、そう言うよ。おまえに夢中だって」
深い滝を二人ですべりおちて、
「不思議なヤツだな。恋の魔法が人の形をしてやってきたみたいだ」
「君はすごく綺麗だから、僕も楽しかったよ。イヤな男もいるけどね。さわられるだけで鳥肌が立つことも。でも、求められると、抗えないんだ」
「どうして?」
「愛されることが心地いいのかもしれない。それがどんな形でも。僕は愛されない子どもだったから」
「エンハート。おまえを愛さないヤツなんていないよ」
蜂蜜色の瞳が悲しげにかげる。
「ほんとに好きな人だけは、僕のことを愛してくれなかった」
「憎まれることをしたからだろう?」
エンハートはしょんぼりと、うなだれる。
ワレスはその頬にキスをして、自分も衣服を整えた。マントをブローチでとめ、手ぐしで髪をとく。
「ほら、行くぞ」
「どこへ?」
ワレスが手をさしのばすと、エンハートはビックリしたようすで目をみはる。
「決まってるだろ。エラードのところだよ。会いたいんだろ?」
エンハートは首をふる。
「ムリだよ」
「アイツだって、ほんとに嫌ってるなら、おまえを探す手助けなんてしない」
ワレスが言うと、エンハートは妙な顔をして、くちごもる。
「……思うんだけど、僕って、ほんとは死んでるんじゃないの?」
今度はワレスが返答につまる。
「どうして?」
「近ごろ、変なんだよね。意識がハッキリしないし、記憶がバラバラで、知らないはずのことを知ってたり、気づくとおぼえのない場所を歩いていたり、ふうっと気が遠くなって、暗闇のなかに閉じこめられる。頭のなかで妙な声が聞こえるし……今も、どうやって君のところに来たのか、わからない」
「……」
「これって、僕が死んでるから?」
ワレスが答えを探していると、エンハートは頭を押さえて立ちあがる。
「ほら、まただ。呼んでる。行かなくちゃ」
「エンハート!」
ひきとめようとするワレスの手は虚空をつかむ。エンハートは走っていった。ワレスも追いかけたが、林が切れ、身投げの井戸まで来たあたりで見失ってしまった。そこには大勢の傭兵がいて、水をあびていたからだ。
「今ここに、金髪のものすごい美形が来なかったか?」
「来たよ」
ワレスをさすので、舌打ちする。
「おれじゃない」
エンハートは消えたようにいなくなってしまった。それもそのはずだ。エンハートは裏庭で死んだのだ。未練の残る彼の魂が、この世をさまよっているのだろうか?
(でも、肌はあたたかかった。死人とは思えないのだが……)
おれはたぶん、とても重要なことを見逃している。この事件の根本的な何かだ。そのせいで、つじつまがあわない。
これまで見聞きしたなかで、おれが注目していなかったこと。核心に迫る何かがなかっただろうか?
ワレスの頭はフル回転だ。が、そのとき、誰かが神聖語でワレスを呼んだ。
《ワレスさん! 裏庭に来てください。今すぐです》
この波長は司書長のダグラムだ。
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