十四章4
*
ワレスが出ていったあと、クルウはしばらくのあいだ身動きできなかった。
ショックだった。泣いている相手の弱みにつけこんで交歓したこともだが、それ以上に、知りたくないことに気づいてしまったからだ。
(わかった……私がなぜ、ワレス隊長に惹かれたのか)
ワレスを初めて見たとき、誰かに似ていると思った。エルマに再会して、それは彼女だと考えたが、そうではなかったのだ。
(エンハートだ。彼は、エンハートに似ている……)
この前から誰もが、容姿も性格も違うのになぜだろうと言いながら、二人の相似性に言及していた。それは真実だった。
(表情だ。彼らはときおり見せる表情が似ている)
それは日常のなかで、ふとかいまみせる、さみしげな笑み、物思いに沈みながら目をふせる瞬間、何かに耐えるように唇をむすぶ、かすかな所作。心に秘密をかかえ、苦悩する者の表情だったのだ。
(私は……ワレス隊長の上に、エンハートの面影を求めていた)
ファルシスではなく、エンハートを……。
まぶしいほどに白い肌。輝くブロンド。そして、あの深い苦しみを秘めた表情。
ワレスの泣き顔を見て、初めて気づいた。
(エンハートはいつも、私の前では暴君のようにふるまった。交わりのあいだでさえ、どこをどうしろ、あそこをああしろ。そのくせ、言われたとおりにすると、とつぜん泣きだしたり、かんしゃくを起こして)
復讐のために近づいた。甘やかして、ちやほやして、言いなりになって。恋人というより奴隷だった。大公も一目置く騎士隊長を奴隷のようにあつかえる。それが自尊心の高いエンハートには心地よかったのだろうと、ずっと思っていたのだが。
エンハートは知っていたのだろうか? エラードが初めから、ファルシスの復讐のために近づいたことを。知っていて、その罠に自らハマったというのか?
(エンハートのワガママには、いつも私の愛を試しているようなところがあった)
とんでもないワガママを言いだして、エラードを困らせるくせに、そういう彼のほうがイジメられているような顔をすることが、しばしばあった。
一度だけ、いつもとようすが違っていた。ひどく印象に残っている。
密会の途中だった。船遊びの最中、二人でぬけだし、小さな水車小屋のなかで抱きあった。ただよっていた花の香り。水音。夜の静寂。
まだ関係してからまもないころ。ほんとに愛したファルシスとは一度も肌をかわさなかった。だが、エンハートとは、そのあと、いったいいくつの夜を、昼を、ともにすごしたことだろう。
「エラード。あなたはおぼえてる? 私たちが初めて会った夜を」
「あの夜会でしょう? あなたは誰より輝いていた」
いつもはそう言ってやらないと気がすまないくせに、そのときのエンハートの反応は違っていた。
「輝いていた? わたしが?」
「とても美しかった」
すると、エンハートはあきらかに戸惑った。
「それは、いつの夜?」
「むろん、ファルシスに紹介された日です」
エンハートはエラードの顔をのぞきこみ、長いこと見つめていた。そのあと、ため息をもらすようなさみしい声で笑った。
「そう。そうだとも。よくおぼえているよ。あの夜は」
月明かりもない暗闇。
今にして思えば、あのとき、エンハートは泣いていたのだと思う。
「それでもいいよ。エラード。あなたは今、ここにいる」
あの夜かわした愛には、エンハートのこまやかな情がこもっていた。翌日には、すでに暴君だったが。
(エンハートと私は、あれ以前に会ったのだろうか?)
思いだそうとしても、思いだせない。
おぼえているのは、エンハートの笑い声。きどったよこ顔。うんざりした顔で、彼の心酔者を見くだす目つき。自分の魅力を知っていて、存分に羽をのばす金色の翼の鳥のような、エンハート。
憎んでいた。でも、愛していた。憎みながら愛さずにはいられなかった。夜をともにすごすたびに惹かれていった。ときには、かわいそうなファルシスのことさえ忘れてしまうほどに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます