十四章3

 *



 いつか、こんなことになるのではないかと思っていた。これは、ワレス自身が招いた事態だ。それが思っていたより、ずっと早かったというだけ。


(未来になんの保証もなく、いつまでも中途半端なまんま、待っていてくれるはずがない。ましてや、エルマはあんなに魅力的な女……)


 もうダメだ。おれには、おまえを止められない。


 ワレスは歩きだそうとして、よろめいた。視界がぼやけているのが涙のせいだと理解するのに、ずいぶんかかった。倒れかけるワレスの肩を支える手がある。見あげると、クルウだ。


「止めてはいかがです?」


 ささやくクルウの声が彼らに聞こえはしなかったかと、ワレスはあやぶんだ。もつれる足どりで戸口を離れる。クルウはうしろ手に扉を閉め、ワレスの肩を抱いたまま、正面の物置に押しこめる。


「なぜ、止めに行かないのですか? 今ならまにあう。あなたが言えば、分隊長だって……」

「おれにどうしろと言うんだ? 止めに行って、やめてくれと言うのか? ハシェドを好きなのはおれなんだから、とらないでくれと? そんなことできない。そんなことしたら——」


 ハシェドが死んでしまう……。


 嗚咽おえつするワレスを、クルウが困惑げに見つめる。


「プライドのためですか? そんなもの、バカらしいとは思わないのですか?」

「違う。違うんだ。おれには、言えないわけが……」

「どんなわけです。目の前で恋人が奪われるというのに、言えないわけなんて——」


 クルウは急に黙りこんだ。ワレスの目を深くのぞきこんでくる。


「何を隠しているんですか? あなたの態度は以前から変だった。人に言えない苦しみをかかえている。そうなんでしょう?」


 言われて、ワレスは心づいた。取り乱して、決して他言してはならない秘密を、自分が暴露しかけていることに。

 ワレスはクルウの手をふりきって逃げだそうとした。


「おまえには関係ない」


 だが、クルウは背後から抱きすくめ、ワレスをひきとめる。


「そんな泣き顔で、どこへ行こうというんです。かりにも小隊長ですよ」

「いいから、放せ」

「行かせません。分隊長のところでないのならね。わかっていますか? 今のあなた、壊れそうだ」


 押さえつけようとするクルウをなぐって、逃げだそうとする。だが、クルウはその手を一つずつとって、ワレスの抵抗を封じてしまう。抱きしめられると、こらえきれずに涙がこぼれた。次々にあふれて止まらない。


「だって、しょうがないじゃないか。おれには……どうすることも……」


 できない——という言葉は、クルウのくちづけでふさがれた。優しい、なだめるようなキスに身をゆだねるうち、ワレスは自分から求めていった。ワレスがマントを落とそうとすると、無言でクルウの手がとどめた。そこまで立ち入る気はないということか。でも、ワレスは自ら望んだ。


「いいんだ。何も考えたくない。今は……」


 何もかも忘れてしまいたい……。


 クルウの手が、ぎゅっとワレスの手をにぎりしめる。ワレスがにぎりかえすと、クルウはワレスの帯をといた。

 クルウはとても巧みな征服者だ。甘い愛撫で夢中にさせる。つながれているあいだ……少なくとも半刻は、我を忘れた。熱情がすぎると、急速に心はしらけていったが、体は満ちたりた。


 くちづけようとするクルウを押しのけ、ワレスは彼のためにひらいた足をとじた。


「この場かぎりだ。忘れろ」


 日陰にしまわれて、かびくさい布団。まるで、ワレスの愛みたいだ。

 手早く衣服をととのえ、ワレスは物置を出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る