十四章2



 マニウスの部屋を出て、一人で廊下を歩く。すれちがう正規兵が立ちどまり、憧れのまなざしをワレスになげてくる。今や砦の英雄を知らない者はいなくなってしまった。


(いろいろとわかったぞ。リヒテルとクロードの出身はレシアン州)


 このボイクド砦をふくむ国境ぞいの州だ。


(クロードは興奮すると方言が出る。東国訛りというやつだな。ミモザが怒ったとき、かすかに同じイントネーションがあった。ヤツもレシアン出身か)


 ごたいそうな異名をもらった少年強姦魔。蛇を怖がらないアイリス。自分のなかの悪魔におびえる幼心の青年。自分の才能を隠したがるユリシス。意外と高圧的で見栄っぱりの庭師長。消える薬草。


(十人全員と話してみて、おれが見たところ、万人を魅了できるのは、ミモザとマグノリアだな。ミモザはとにかく顔がキレイだし、マグノリアには彼だけが持つふんいきがある。人間の聖性というか、壊れそうな儚い清らかさが。若い三人も可愛いが、とはいえ二十歳前後。砦に来たての正規兵なら、彼らと同年代だ。もっときわだった魅力がなければ、次々に何十人も……というわけにはいかない。やはり、ミモザか、マグノリア)


 何が正しくて、何が間違いか。何が必要で、何が不必要なのか。ワレスは情報をふるいにかけて熟慮する。

 ただ、どうしてもわからないのは、アイリスが見たという金髪の男だ。それは果たして、マグノリアだったのだろうか?


(おかしい。おれの考えでは……)


 思考の迷宮にとじこもりながら、東の内塔へ帰る。ワレスが自室のドアをあけようとしたときだ。なかから声が聞こえた。


「朝のこと、謝りたいの」


 エルマの声だ。

 ワレスがうかがうと、エルマとハシェドがむきあっている。そばにはクルウがいたが、エルマが言いだすと、さりげなく退室した。扉の前に立つワレスを見て、そっと人差し指を唇にあてる。


「わたし、知らなかったのよ。あなたが混血だって。それで、ええと……」


 ハシェドの硬い表情を見れば、エルマとのあいだに何があったのか予測がつく。どうせ、ハシェドはすぐにゆるすだろうが、謝罪の言葉くらいで、心の底のしこりまでは消えない。

 よかったと、ワレスは思った。エルマが自爆してくれた。これで、強力なライバルが抹殺された……と。

 だが、エルマはワレスが思いもよらなかったことをした。いきなり自分の頭をぽかりとゲンコツでなぐると、こう告白したのだ。


「正直に言うわ。わたし、以前、ブラゴール人にふられたことがあるの。朝のは八つ当たりだったわ! ごめんなさい!」


 ええっとハシェドも叫んだが、叫びたいのはワレスのほうだ。そんな手を使うのはズルイじゃないかと、今すぐ二人のあいだに入っていきたい。でも、それをすれば、ワレスの気持ちを公言することになる。なんとか、ふみとどまる。


 エルマは続ける。

「十二のときだった。その人はアルメラ宮廷に出入りしているブラゴールの船長だった。青い目をして、颯爽さっそうとして、ハンサムだった。わたしが『あなたの奥さんにして』と言うと、彼はこう言った。『姫はまだ幼すぎます。もし五年たって、まだ姫がそのおつもりなら、私はあなたを国へさらってでもつれ帰ります』と。でも、そのすぐあとに知ったのよ。彼には自国に三人も奥方がいるって。『あの約束はなかったことにして!』と言うと、なんと、彼は大笑いしたの。初めから、わたしを子どもだと思って、からかってたのね」


 口をパクパクしていたハシェドが、吐息をついて苦笑する。


「ブラゴールでは一人の男が何人も妻を持てるから、案外、本気だったのかもしれません」

「そんなの、なお悪いわ。エラードはエラードで、『私は女性には興味がありません』と言うし、すっかり男性不信になった十二歳の夏だったわ」


 ハシェドは我慢できなくなったように、お腹をかかえて笑いだした。怒っていたことなど、すっかり忘れている。


「クルウ……女の子に、なんてことを」

「あら、笑いごとではないのよ。わたしはほんとに傷ついたの」


 ハシェドは笑いすぎてこぼれた涙を、かるくぬぐう。


「でも、クルウはともかく、ブラゴールの船長は、きっと、あなたを大好きだったでしょう。とても可愛いお姫さまだと思ってたんだ。彼が笑ったのは、五年後だったら本気になっていたから、茶化して笑い話ですませようとしたんです」

「どうして、そんなことわかるの?」


 ふくれっつらのエルマを、ハシェドはまっすぐ見つめる。


「あなたがとてもキレイな女性だからです。金色に輝く髪。白い肌。ブラゴール人なら誰でも憧れます。一度でも、ユイラに来たことがあるブラゴール人なら」


 肌の色で差別を受けたブラゴール人なら、同じ重さの黄金より、喉から手が出るほど欲しいものだ。透きとおった肌の美しい少女にそんなことを言われれば、復讐のために穢してやりたいと、悪意のある者なら思いさえする。でも、船長はそうしなかった。異国の小さな姫を大切に思っていたからだ。


「あなたは優しいのね。分隊長」

「ハシェドでいいです」

「ありがとう。ハシェド。わたし……ほんとに愛する人はほかにいたのよ。だけど、その人をひどいめにあわせてしまったから、罪の意識から逃れたくて、忘れようとした。それで、少女趣味の幼い恋をいくつもして。うまくいかなくて当然よね。大人の男だもの。わたしのそういう気持ち、見ぬいていたんだと思うわ」


 ハシェドはエルマを見つめたままつぶやく。


「あはたはその人のこと、今でも愛しているのですね」

「……好きよ。でも、彼がわたしを愛することはないの。彼の心は別の人への愛でいっぱいだから。わたしは自分の恋を実らせたいわけではないの。ただ、彼を救ってあげたい。彼を孤独の檻から出してあげたい。彼が心の闇からぬけだすことができたら、わたし、今度こそ、ほんとに彼を忘れる。そして、新しい恋をするの」


 微笑したエルマは美しかった。まるで地上に舞いおりた天使だ。兄のようによく似たワレスでさえ、彼女の思いの純粋な輝きに圧倒された。胸の奥が痛くなる。これほどのけなげに打たれない男が、はたしているだろうか?


 ハシェドの手がエルマの頬にかかる。くちづける二人を、ワレスは扉のかげで見つめた。

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