十章2
「では、私はもう一度、被害者の書類でも見なおすことにします。古いことが気になるので」
ワレスが言うと、
「どうです? 私と一手組みませんか? ウワサのあなたの腕がどれほどのものか、見てみたい」と、マニウス小隊長に呼びとめられた。
「槍駆けは苦手なんだ」
「そうおっしゃらずに」
むりやりひっぱられる形で、ワレスはマニウス小隊長と手合わせすることになってしまった。
「やあ、ワレス小隊長だ」
「いつ見てもカッコイイなぁ」
「うちの隊長とどっちが強いだろう?」
兵士たちのささやきが聞こえる。ここで負けると、ワレスとしては、そうとう無様なことになる。
「剣はともかく、槍を使う機会は、傭兵にはあまりないのだ。ほんとに弱いと、初めに言っておきますよ」
「遊びだと思って気楽にどうぞ。ドリーン、始めのかけ声を頼む」
「はい。小隊長」
分隊長のマントをつけた男が進みでる。この分隊長でさえ、まだ砦に二年だという。
ワレスは馬に乗り、兵士から渡された槍をにぎりしめた。
「双方よろしいですか?」
「ああ」
「やってくれ」
「では参ります。始め!」
合図とともに、マニウス小隊長が馬を
(くそッ。どうにでもなれ)
ワレスは槍を利き手の左に持ちかえた。本能のむくまま、てきとうに体を動かす。
だから——
「参った!」
重い音を立てて、マニウス小隊長の手から槍が落ちたときには、自分でもおどろく。
「苦手だなどと、ご
「ふむ」
そういえば、このところ森焼きのたびに、蛇のようにからみあうねじれたツタや、根のはう森で、馬をあやつりつつ、重い斧で生木を切っていた。知らないうちに、それが訓練になっていたらしい。
「なるほど。傭兵も悪いことばかりではないな」
ワレスは機嫌をよくして、マニウスと別れた。
自室へ帰る途中、階段でハシェドと出会う。
「ご機嫌ですね。隊長」
「ああ、まあな。ところで、それは?」
ハシェドは手に桶を持っている。なかには水が入っていた。
「そろそろ必要なころかなと思って。クルウは文書室へ行くと言っていたし、必然的に、おれが……」
「ああ、エ——ンハートのな」
ワレスはハシェドを流し見る。
「気がきくな」
「それはまあ、母や妹のようすから察して」
言いかけてから、急にワレスをうかがう。
「なんだ?」
「すみません。隊長の妹さんは……」
ワレスが彼の顔をじろじろ見るから勘違いしてしまったのだ。別に、そんなことが気になったわけじゃない。
「……それが終わったら、おれにつきあえ。ちょっと調べたいことがある」
「その前に昼食にしませんか?」
「そうだな。忘れていた」
ハシェドといると落ちつく。ずっと、この時が続けばいい。
「エ……ンハートにも運んでやらないといけませんね」
不安のファクターがよぎる。
(エルマは女だ。おれにそっくりの……でも、正真正銘の女……)
「ハシェド」
「はい?」
見つめたまま、嘆息する。
「……なんでもない。さきに食堂へ行っている。これをアイツに渡してやってくれ。エンハートの荷物だ」
「あ! ちょっと、隊長! いっぺんに持てませんよ。おれはブラゴールの水売りじゃないんだから」
ワレスは階段をかけおりた。
(おれはなんのために帰ってきた? ハシェドを見つけて、聞いてもらいたかったからじゃないのか? マニウス小隊長に槍駆けで勝ったと。まるで母親のもとへ自慢に帰るガキだ)
ハシェドはなんとも思わないのだろうか? エルマが女だとわかって。
(ハシェドはもともと男色家なわけじゃない。たまたま、おれの顔が好みで、ちょっと憧れただけだ。同じ顔なら、女のほうがいいに決まってる)
エルマを見て、ワレスでさえ可愛いと思った。ましてや、ハシェドなら、その何倍も惹かれるに違いない。
ワレスは泣きたいような気持ちで食堂へかけこんだ。しばらくして、ハシェドがやってくる。
「ちょっと隊長。どうしたんですか? 急に」
「なんでもない。おれは忙しいんだ」
「あれ?」
変だな、機嫌が悪くなってる——という表情を、ハシェドはした。
「忙しいのでしたら、おれも手伝いますよ」
「だから、頼んでるじゃないか」
「すみません」
しょうがなさそうに、しおらしくしている。
(違う。おれはハシェドと言い争いたいわけじゃない。どうしたらいいんだ? おまえの気持ちをたしかめるには……)
ワレスの本心を隠したまま、ハシェドの今の気持ちを知る……そんなことは魔法でもないかぎり不可能だ。
どうして、おれはいつも、こんな思いを味わわなければならないんだ。いつまで、こんな苦しい恋ばかり。どんな方法をとっても、けっきょくは悲しい別れで終わるしかない。死別か、生別かの違いくらい。ほんとに、この運命を変えることさえできれば……。
子どものころは、この運命を無自覚に、まっすぐ相手にぶつかっていった。さすがに十をこえると、無情なぐうぜんに疑問をいだき、ルーシサスのときに痛感した。みんな、おれのせいで死んでいくんだって。おれが愛する人を殺してまわっていたんだと。
それからは、逃げ腰の人生。本気の恋なんて、ずっとできなかった。いつでも逃げられるように、自分の心をだまし続けて……。
ジェイムズにも、ティアラにも本心を告げることなく別れた。ハシェドにも……今度もまた、そうなる。きっと。
「ハシェド」
「は、はい?」
今なら、まにあうだろうか?
ハシェドをエルマに奪われないためには、ワレスは方法が一つしかない。体の関係を持ってしまうのだ。それなら、かんたんには切れなくなる。男娼に等しい生きかたをしてきたワレスには、体であたえる快楽に関しては、エルマに劣らない自信があった。
大勢の兵士がつどう真っ昼間の食堂ですることではない内容を、真剣に思案して、長いあいだハシェドを見つめていた。すると、ハシェドのほうがいたたまれなくなったらしい。
「すみません。妹さんのこと、もっと気をつけてないといけませんでした。エル……エンハートを見て、あなたが亡くなった姉妹のことを思いださないわけがないと」
元気を出してくださいというように、ワレスの手をにぎってきたので、自分こそがこの世で一番、けがれているような気がした。
(ハシェドはこんなに、おれを案じてくれてる。なのに、おれは勝手に邪推して、身勝手なことをしでかすところだった)
第一、あの方法は、ジェイムズのときに失敗している。体がつながったからといって、心までつながるとはかぎらない。
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