九章4



 昨日、マニウス小隊長に頼んでおいた件の結果を聞くために、正規隊の宿舎へ行かなければならない。だが、その前に、ワレスは文書室の用事をすませることにした。


「ワレスさまぁ」


 ひっついてくるロンドをひきはなし、見ると、考えは同じだったらしい。窓ぎわの明るい席に、クルウがすわっている。名簿をひろげているのだ。


「見つかったか?」


 クルウはワレスを見あげてうなずく。


「案外いるものですね。エラードという名の兵士は」


 エンハートはクルウが偽名を使っていることを知らなかった。となれば、クルウの本名を名簿で探したはず。そして、彼らとなんらかの接触をはかっただろう。


「ファートライトの登場人物だからな。ことに、皇子であるファートライトと違い、平民でもつけやすい名だ」


 騎士ファートライト物語は、ユイラに古くから伝わる英雄譚だ。その昔は民話として伝えられていたものが、魔術全盛時代の初めごろ、詩聖とうたわれる大詩人ベリウスが、一大叙事詩としてまとめた。以来、その詩を物語になおす形で、歴史上有名な作家が何人も本にしている。ユイラではもっとも広く愛読される国民的な物語だ。


 主役は自分の出生を知らない騎士ファートライトだが、その仲間の騎士が大勢登場する。エラードは策謀によりファートライトが国賊に仕立てあげられたときも、敵国に捕まったときも、どんなときにも彼を支え続けた友人だ。のちにファートライトが皇子だとわかってからは、第一の従者になった。


「ユイラ人に好まれる名だ」

「そのようですね。第一大隊だけでも四人」


 ワレスはクルウの背後に立ち、名簿をのぞいた。


「皮肉なものだな。エラードとエンハートの恋。名前だけでも成就しそうにない」


 エンハートもファートライト物語の登場人物である。ファートライトの腹違いの弟で、たぐいまれな容貌を持っていた。だが、兄と同じ女性を愛してしまい、帝位を争ったあげく、最期には自害するという薄幸な美青年だ。容姿の美しさや、最期のいさぎよさ、また多分に母の野心の犠牲になった役柄から、悲恋好きのユイラ人に愛される、もう一人の主役と言っていい。貴族の子弟にこの名が多い所以だ。


「作中で、エラードとエンハートは敵同士ですからね。現実でもそうでした」

「恋人ではなかったのか?」


 クルウは沈黙した。


「話したくなければいい。それにしても、エルマはエンハートと血がつながっていないと言っていたが」


 これには、クルウも答える。


「彼女は何かとウワサのある姫です。エンハートの父、アルジオン伯爵の家柄は、あまりよくありません。そこで、彼の愛人だった貴婦人が、皇都からアルメラ宮廷へ来客していた貴族とのあいだに不義の子を作ると、その子をひきとったと、もっぱらのウワサです。来客というのが、ユイラでは知らぬ者とてない絶大な権勢を誇る大貴族ですからね。そのときの子どもが、エルマヴェラさまです。おそらく、そのウワサは真実でしょう。伯爵も姫を貴いかたのご落胤らくいんとしてあつかっていましたし、アルメラ宮廷もそれを認めていました。いつも彼女は大公女のような待遇を受けていた。姫ご自身もそのことはご存じです。むしろ、あなたのことを皇都の貴族ではないかとおたずねでしたよ。あなたが異母兄ではないかとお考えになったのでしょうね」

「残念ながら異母兄ではないが。では、見込み違いかな」

「なんのことです?」


 クルウの問いに、ワレスは答えなかった。まだ人に話せるほどの根拠がない。


「ここはおまえに任せる。エラードのリストを作って、夕方までに渡してくれ」


 クルウと別れて、文書室をあとにした。

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