八章4



 とりあえず、エンハートに着替えさせるため、いったん全員が退室した。話を再開したのは、そのあとだ。


「もういいわ」


 ひらいた扉のすきまから顔をのぞかせるようすは、やはり愛らしい。


「女ってやつは、こんなに可愛いものだったかな。自分と同じ顔なのに、胸がズキズキする」


 同室の三人とロンドだけで部屋に入り、部外者が入ってこないよう内鍵をかける。


「あやうく自分の正気を疑うところだった。が、相手が女なら話は別だな。その血は月のものか?」


 エンハートはこっくりとうなずく。


「ごめんなさい。こんなに早く来るとは思ってなくて。やっぱり、緊張したせいかしら」


 しかし、そういう声は、れっきとした男だ。


「女声にしては低すぎるな。そうでなければ、もっと早く気づいたはず」

「もちろん、薬を飲んでつぶしたの。わたし、女にしては上背があるし、声さえ変えればごまかせると思って」

「つぶしただなんて、もとに戻せるのか?」

「いいえ」


 言いつつ、彼女は笑っていた。


「ムリを言って、うちの典医に薬を作ってもらったの。初めは水銀を飲もうとしたんだけど」

「水銀は毒だ。へたしたら死ぬぞ」

「だから、薬を作ってくれないと水銀を飲むっておどしたのよ」


 家に典医がいるとなれば、そうおうの家だ。貴族の家柄でまちがいない。


「貴婦人がなぜ男のふりなどして、砦へ?」


 エンハートは唇をかむ。

「兄を探しにきたの。兄は一年前にボイクド砦へ行ったきり行方不明なの。最初のひとつきは、わたしあてに手紙が来てたけど、それもなくなって……」

「兄上の名は?」

「エンハート。わたしのほんとの名前はエルマヴェラよ」


 たいした姫君だ。兄を探すためとは言え、男でも二の足をふむ魔物だらけの砦へ、単身やってくるとは。少なくとも、ワレスが皇都でジゴロをしていたころの愛人には一人として、それができそうなお姫さまはいない。


「エンハートは兄の名か。一年前というと、おれが砦に来たころだな。貴族の子息なら、もちろん正規隊なのだろうな?」


 エルマヴェラは首をふった。


「正規兵になるには、志願して、訓練を受けて、とにかく時間がかかるでしょ? 兄にはそんな時間はなかった」

「では傭兵か。いったい、なぜ、あなたの兄上は、そんなに急いで砦へ来る必要があったんだ?」


 なんとも言えない顔つきで、エルマヴェラはクルウを見る。


「エンハートはウワサを聞いたの。この砦に、彼を置いていってしまった恋人がいると。そんな信憑性の薄い風の便りなんて、あてにならないわ、行かないでと、わたしは泣いてすがったけど、皮肉にもウワサはほんとだった。あんなに懸命だった兄には見つけられないで、わたしのほうがあっさり同じ隊になるなんてね。その人は偽名を使い、身分を隠して、目立たないようにしていたわ。その気になれば、いくらでも手柄をあげて、人の上に立つ力量があるのに。アルメラ宮廷で騎士長をしていたのよ」


 あるきわめて高貴なかたに仕えていた——クルウは以前、そう言っていた。それは、アルメラ大公のことだったのだ。


 ワレスがクルウを見ると、彼は口調だけは丁寧に、だが断乎とした目つきで反駁はんばくする。


「すでに私はアルメラでの身分を剥奪はくだつされました。わがヘルディード家は長年の功績により、おとりつぶしをまぬがれましたが、私自身は、もはや砦の一兵卒にすぎない。過去はすてたのです」

「主君の愛人を寝とったために追放されたと言ったことがあったな。もしや、その相手が……?」

「エンハートです」


 主君を裏切ってまで愛しあった恋人の名を口にするとき、不思議とクルウのおもてには強い憎悪の色が浮かんだ。

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