八章2


「エンハート。大丈夫ですか? さきほどから、だいぶ時間がたっていますが」


 真夜中に近い、東の内塔。夜警任務の最中だ。そろそろ交代の時間である。


「まだ……たぶん。出てる感じがしないから」


 クルウはエンハートの青い瞳を見ながら吐息をついた。


「いいかげん、ワレス隊長に相談してみては?」

「イヤだ」

「隊長は優秀ですよ。きっと、うまくしてくださる」

「そんなこと言って、わたしを追いだすつもりなんだ。ああ、イライラする」

「イライラするのは——」

「うるさいなぁ。ほっといて」


 クルウは肩をすくめた。

 二人で塔内部の見まわりをしているが、エンハートの歩きかたは、どこか、ぎこちない。


「ほんとに強情なおかただ。先日のことだって、あなたの正体を知っていれば、隊長はあんな罰をあたえはしなかったでしょう。もっとも、あれだって、あなたには手かげんしておられましたが」

「あれで? すごく痛かったのに」

「手かげんなしなら、あなたの華奢な骨はくだけていますよ」

「そう」


 しょんぼりするので、クルウは苦笑いした。


「困ったかただが、憎めない。交代したら、まっさきに帰って着替えるのですよ? 分隊長は何も気づいていない。私が話しかけて足止めしておきましょう。小隊長は裏庭へお出かけの時間ですからね」

「エラード。あなたには感謝してるよ。あのことさえなければ、あなたを好きになってたかもね」

「何をおっしゃっているのですか。私に恋文を送ってきたのは、どなたでしたか?」


 エンハートが白皙を真っ赤にして憤慨する。


「バカ! 子どものころのことなんて、忘れて。もう」


 クルウは思わず失笑した。

「大声を出さないほうがいい。怒ると、あなたの声、以前の感じが残っていますよ」


 エンハートはあわてて口を押さえる。


「わかる?」

「いえ、大丈夫。でも、もったいない。あんなに美しい声だったのに」

「彼を助けるためなら、どんなことだってするさ」


 真摯しんしで、ひたむきな瞳。

 この人をあの名で呼ぶのは、とんでもない皮肉だ。


「あなたはエンハートとは正反対だ。とても美しい」

「それは、どうかな。エンハートのほうが、ずっと綺麗だった」

「容姿のことではないのですよ」


 イタズラな妖精のような笑みを、エンハートが見せる。


「容姿と言えば、小隊長にはおどろいたな。彼、ほんとに私の兄上みたい。あの人、もしかして、皇都の貴族?」

「皇都にはいらしたようですが、変わった経歴をお持ちらしいので、貴族ではないでしょう」

「ふうん。腹違いの兄上なのかと思った。私の父には正妻とのあいだに息子がいたらしいからね。年もあのくらいだって」

「小隊長を初めて見たとき、誰かに似ているとは思ったのですがね。あなただったとは」

「残念。私がほんとに——だったなら、あなたを落とせたかも? あなた、小隊長のこと、好きでしょ?」


 クルウは無言を守った。が、エンハートはとっくに気づいているぞという目で笑っている。


「なんでかなぁ。ここの男どもって、みんな、あの人のこと好きみたい。中隊長だって、変な目であの人を見てたし……あっ、それで思いだした。小隊長、わたしを中隊長への貢ぎものにしようとしてた。わたしを部下にしたのは、そっくりな私をさしだせば、中隊長の気が移るんじゃないかって思ったからだ! 悔しい!」


 クルウは笑みを抑えきれなかった。ワレスなら、やるかもしれない。


「それは災難でしたね。でも、もし中隊長の部屋につれていかれても、あなたの裸を見たら、彼のほうが悲鳴をあげて逃げだしますよ」

「失礼な。だから、男色家って嫌い」


 話しているうちに、階段のおりぐちが見えてきた。石をふむ音の反響する陰気な廊下から、そこまで来ると、とたんにエンハートは無口になった。階段の見張りに立っているハシェドを確認したからだ。


「分隊長。二階の見まわり完了しました。異常ありません」


 ちょうど交代の時間だった。さきに仕事を終えた前庭警備の一隊が階段をあがっていく。以前はクルウたちもしていた前庭の警備だが、ワレスが小隊長になってから隊を組みなおしたので、現在は任務場所が異なる。今の第四分隊には、先日エンハートとケンカしたザッツたちがいた。


「私は西階段に戻ります」


 クルウが言うと、エンハートは少し不安そうになった。だが、こればかりはしかたない。傭兵のふりをするなら、それぞれの任務がある。ずっと、ついているわけにはいかない。


 このとき、クルウは気になっていたのだ。階段をあがっていくザッツが、陰湿な目でエンハートをにらんでいた。


(この前のこと、恨んでいるのか)


 だから、砦は危険だと言っているのに。しかし、


「どうした? クルウ」


 ハシェドに問われれば、クルウは持ち場に帰るしかない。一礼して立ち去った。

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