八章

八章1



 暑い夏の日。


「エラード。紹介しよう。彼がアルジオン伯爵家のエンハート。私の大切な友人だ」


 それが、エンハートとの出会いだった。

 あのころ、クルウはエラードと呼ばれていた。ヘルディード家のエラードと。皇帝陛下に代わり、アルメラ州を統べる大公に仕える騎士として。

 大公の有する貿易船の乗組員でもある彼は、航海を終えて帰国したばかりだった。


 同じ騎士仲間だった、ベルシテ侯爵家の四男ファルシス。美しい黒髪の友が、船の帰還を祝う舞踏会で紹介してくれた。

 あどけない夜の天使と呼ばれ、アルメラ大公の寵愛あついファルシスが、いつもクルウを魅了する邪気のない笑顔を、かすかに赤く染めていた。


 今にして思えば、ファルシスはエンハートに、ほのかな愛情をいだいていたのだろう。クルウがファルシスに対して、そうだったように。

 元来、ファルシスは同性を愛する青年ではなかったが、エンハートにはそれを超越させる何かがあった。


 クルウ自身は、ひとめエンハートを見たときから、わけもなくイヤな感じがした。胸さわぎというのだろうか。けばけばしく、傲慢なほどきらびやかな青年だった。


「美しいだろう? この黄金のような髪。私たちは近ごろ宮廷で、太陽と月と評されているんだ。まさに言い得て妙だと思わないか? 彼こそ太陽と呼ぶにふさわしいからね」


 屈託のないファルシス。

 エンハートが現れるまで、彼こそが宮廷一の美貌として、青年からも貴婦人からも愛されていたというのに。


 しかし、クルウはファルシスのそんなところが好きだった。

 たぶん、宮廷中の彼を愛する人が同じ気持ちだったろう。少しもゆがんだところのない、まっすぐな、きれいな心。それは誰からも愛され、大切に育てられた者だけが持つ輝きだ。


(君こそが太陽だった。黒髪と金髪。容姿は逆だったが、その心の内は、ファルシス、君のほうがエンハートの何倍も澄んでいた)


 だからこそ、あんなことになったのだ。

 エンハートは自分以外のすべての輝きがゆるせない青年だった。この世に太陽は一つでいいのだと。


「君が騎士隊長のヘルディードか。ファルシスからいつも聞いてるよ。私もファルシス同様、親しくしてもらいたいな」


 その言葉とともにさしだされた手は、クルウにキスを強要するものだった。彼は貴族。クルウは騎士にすぎないのだと、その目が言っている。ファルシスのように自ら騎士に志願する貴公子もいるが、ユイラでは貴族と騎士の家柄は厳密に違う。


「アルジオン伯爵にご子息がおいでとは存じませんでした。お初にお目にかかります」


 クルウが答えると、たしかにその容貌だけはとびきり美しいおもてを、エンハートは高慢にゆがめた。接吻しようとするクルウの手をふりほどく。


「皇都の学校から帰ったばかりだ。幼いころからずっと、むこうの寮生活だったから、アルメラのことはよく知らない」


 成りあがりの貴族が息子に箔をつけるために、わざわざ皇都の学校へ入れたのだと、クルウは思った。


 アルジオン伯爵は、先代大公に寵愛された小姓だった男だ。若いころは先代大公の庇護ひごのもと隆盛りゅうせいをきわめ、数々の貴婦人と浮名を流したらしい。が、近来、宮廷でその名を聞くことはなかった。


「アルジオン伯爵は財産家のみにくい妻を愛してはいらっしゃらないそうよ。エンハートのほんとの母は、伯爵のかつての愛人の誰かだって」

「あら、私は伯爵が若いころ、皇都の貴婦人に生ませたのが、エンハートだと聞きましたわ」

「でも、そんな謎めいたところが、よりエンハートの魅力を高めていますわね」


 舞踏会の客からは、しばしば、そんな声も聞かれる。

 エンハートは美しい。だが、その心は病んでいる。



 ——私は……何もしていない。ほんとなんだ!



 エンハートの名を口にするとき、クルウは今でも悲しみにゆがんだファルシスのおもてを思いだす。

 今もその名を呼んで、かすかな痛みを胸におぼえた。

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