七章3
灰色の壁。重苦しくよどんだ空気。せまい部屋のなかで、ぐったりする男たち。迷路のように入り組んだ廊下。
ハシェドは笑った。
「おれたちの内塔は小隊ごとにわかれていて、単純ですからね」
どうして、ハシェドは笑いとばすことができるのだろう。ワレスはこんなに吐き気がするほどイヤな気分になるのに。
「……船着き場のゴミだめみたいだ」
過去にさまよった街並みを思いだすからだろうか?
ワレスのつぶやきは、ハシェドには聞こえなかったらしい。
「何か?」
「いや。あれが、タオの部屋か?」
「見張りを交代したところだから、みんな寝ているかもしれませんね」
その心配はなかった。同室の者たちは、タオの死体発見の報を受け、すぐには眠れなかったようだ。小さな声でぼそぼそと話している。
「傷心のところ悪いのだがな。裏庭の事件を調べている。タオの死に不審な点があるので、親しかった者に話を聞きたい」
ワレスが部屋に入ると、ようやく兵士たちは立ちあがり、あるいは寝台からおりてきた。戸惑うように顔を見あわせる。
「話と言われても、死体を見つけたのも、ほかの隊ですし、タオがいつごろいなくなったのかも、よくわからないのです。もちろん、いないと気づいたあとは全員で探しました」
班長らしき男が弁解する。部下の管理について叱責されるとでも思ったのか。
「このなかで、タオと一番親しかったのは誰だ?」
「それは、トーマスでしょう」
班長が部屋のすみで青くなっている男をさす。
「トーマス。ここではなんだ。おれの部屋へ来い」
ワレスが言うと、トーマスはふるえあがる。東の内塔へむかうあいだも、まるで死刑場につれていかれる囚人のようだった。
「クルウたちはいない、か」
誰もいない部屋に入るやいなや、
「申しわけありません! 私が……私がタオを一人にしたのです」
トーマスはあっさり白状した。
「そうじゃないかと思っていた。見張りは二人ないし数人が組みでする。恋人と逢引きするにしても、仲間の手助けが必要だからな」
ハッとして、トーマスは顔をあげる。
「ご存じなのですか? タオに恋人がいたことを……」
「ハシェド。説明してやれ」
ワレスが裏庭で述べた推論を、ハシェドが語る。聞くうちに、トーマスはますます青くなり、最後には泣きだした。
「なんてことだ。知っていれば、あいつを行かせは……」
こういう光景は何度見てもなれない。いつも同じ、やるせない気持ちになる。
「昨夜も恋人に会うと言って、仕事をぬけだしたのだろう?」
トーマスは力なくうなずいた。
「とても幸せそうでした。満了期間が来ても砦を離れたくないと言って……」
「相手は誰だ?」
そこがもっとも聞きたいところなのに、トーマスは答えない。答えられなかったのだ。
「申しわせありません。知らないのです」
「名前も、所属も、どんな相手かも、まったく?」
「タオは教えてくれなかったのです。ただ一つだけわかるのは、相手は同じ小隊のなかにいる兵士ではないかということです。いつも決まって仕事中に落ちあう約束をしていましたから」
トーマスは自分のことのように赤くなって、ワレスをうかがう。ハシェドも弁護した。
「若い兵士のあいだでは、わりによくあることなんですよ。食堂の少年を買うにはお金がいりますし、とくに正規隊はみんなユイラ人だから、その風潮が強いんでしょう。ユイラ人はもともと、そういうの盛んなので」
「まあ、ここは全寮制の男子校みたいなものだからな。手近なのに目が行くんだろう」
かくいうワレス自身も身近なハシェドに恋している。そこは他人をとやかく言えない。
「だが、仕事中にぬけだすのは感心しないな」
トーマスは弱々しく反論した。
「それは……しかたないのです。兵士間の恋愛うんぬんは、隊の規律を乱すからと、厳しい罰則があります。マニウス小隊長に知られれば、どんな罰を受けるか」
「ふん。正規隊ではそうなのか」
その点は傭兵のほうが自由奔放だ。もっとも、そのおかげで先日のエンハートたちのようなことが起こるのだから、一概にどちらがいいとは言えない。
「ですから、私はタオが恋人に会いに行く途中で獣に襲われたのだろうと考えていました。まさか、人間の仕業だとは……」
「こうなっては秘密にしておけない。相手を即急に見つける必要がある」
「マニウス小隊長にうちあけます」
トーマスはそう言って去っていった。うしろ姿を見送り、ハシェドが肩をふるわせる。
「怖いですね。ごくふつうの兵士のふりをして、人間を切り刻む。そんな異常な男が同じ隊にいるなんて」
「タオ以外の犠牲者はどうだったのか。調べるべきだが、これはマニウス小隊長に頼むとしよう」
しかし、ワレスには何かがひっかかっていた。
「兵士なら、すぐにわかるのだが……」
「隊長?」
「いや、なんでもない」
ワレスは首をふった。
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