七章2



 アトラーは迷惑そうだ。が、ワレスを気にくわないからと言って、まわりの人間にまで怒鳴りちらすほど大人げなくはないようだ。


 しばらくして、

「どうだ? 何かわかったか?」


 目をあけたスノウンにたずねた。が、スノウンは黙りこんでいる。


「スノウン?」

「いえ、細胞死が進んでいます。わずかに見えた感じでは、この男に死はとつぜんおとずれた。その瞬間の記憶がとぼしい」

「急に襲われ、恐怖を感じるもなかった、ということか?」

「さようです」


 ワレスは最初に感じた違和感をますます強くした。


「待て。彼は胸に傷があるんだぞ。その上、仰向けに倒れている。ということは、前から襲われたんだ。そして、胸の傷はかなり深いが、心臓まで達してはいない。一撃で死んだわけではないということだ。いくら暗がりでも、相手が何者か見定めるくらいの時間はあったはずだ」

「ぼうぜんとしているうちに、次々やられたのでしょう。私にはそれ以上わかりません」


 スノウンが首をふる。

 ワレスはやっと違和感の正体に気づいた。


「彼を見つけたのは誰だ?」

「私です」


 第一大隊の兵士が答える。


「おまえが見つけたとき、彼はこの状態だったんだな?」

「は、はい」

「何かにさわってはいないな?」

「いいえ。何も」

「近づいて死体にさわらなかったのか?」

「確認するまでもなく、死んでいることはわかりましたから」


 ワレスは死体を手で示す。


「では、おかしい。彼は服を引き裂かれているが、ボタンは一つもちぎれていない。帯も留金がゆるんで、ほどけかけている。力まかせにむしられたのではなく、ゆるくなっているんだ。この男、服をぬごうとしていたんだぞ」

「服を?」


 アトラーもおどろいて死体を見なおす。血まみれになった服など、ワレス以外、誰も注意していなかったのだ。しかし、たしかにそれは不自然だ。


「死体の表情にも少しも恐怖の色がない。彼はまったく油断して、脱衣していたところを襲われた」

「バカな。なぜ、服なんか……」


 つぶやくアトラーを、ワレスは笑う。


「人が帯をゆるめるのは、着替えるか、風呂に入るか、抱きあうときだ。彼は誰かと逢引きしていたんだろう」

「あいび……」


 アトラーが絶句する。

「そう。つまり、彼には恋人がいた。恋人を前にして警戒する者などいない。彼を襲ったのは、その恋人だな」


 ハシェドが問う。

「つまり、これまで裏庭で変死を起こしていたのは、人間だったということですか?」

「おそらくな。タオだけなのか、これまでのすべてがそうなのか、まだ断定はできない。が、死体の状態が似ているのなら、同一犯の可能性もある」


 ワレスは死体のくわしい調べをアトラーに任せ、タオの仲間に話を聞くため本丸にむかった。


「致命傷がどれだかわからないが、もしかしたら眠り薬のようなものを盛られたのかもしれないな。もうろうとしていたなら、あの死体の状態もうなずける。いくつかの傷は出血が少ないから、死後につけられた見せかけだ。獣に襲われたように見せるためだ。右腕の切り口も、ひきちぎられたにしては、きれいに平面になっている。刃物を使ったからだ。ひしゃげた鎧は上から石でも落としたかな。取り調べの兵士の目をごまかすていどには、よくできている。おれもだまされかけた。相手はそれをすることになれている、ということだ」


 ハシェドは眉をひそめた。

「人間が、獣に見せかけて、あんなことを……」

「魔物に取り憑かれているとも考えられる」


 話しているうちに、殺されたタオの兵舎につく。本丸二階北側だ。タオの死はすでに仲間たちの耳にも届いていた。周囲はざわついている。まといつくような夏の空気のなかで、遠い潮騒のようなざわめきは、悪夢の一場面をほうふつとさせる。


「第四大隊のマニウス小隊だったな?」

「はい。ちょっと探してきます」


 ならんだ扉はどれもあけはなしだ。三段ベッドだけの殺風景な部屋につめこまれた男たちは、どの部屋も無気力に見える。小隊長のマントをつけたワレスを見ても、立ちあがって敬礼する気力もないらしい。それほど、暑い。ワレスまで憂鬱になってくる。


 近くの兵士と言葉をかわしていたハシェドが、やっと帰ってきた。


「マニウス小隊はもう少し奥ですね。そこの廊下を左にまがって二つめの部屋が、タオの分隊らしいですよ」

「どこかの貧民街に迷いこんだ気分だな」

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