六章5



 夜が明け、ワレスは自室に帰った。昼すぎになってもまどろんでいた。眠りのなかに声が聞こえる。また、あの夢だ。



 ——おうちへ帰りたいよ。



(泣いてもしょうがないじゃないか? みなしごに帰る家はないんだ)


 街路をさまよっていた、あの七つのとき。近くを通る人の足音にもおびえ、いつもお腹をすかせ、他人の家の軒下で眠った。客がついて一晩の宿があれば上等。でもそれだって、小さな子どもをさらって売りさばく人買いではないかと、たえず案じながら。


(おまえは誰かにひろわれて、何不自由ない暮らしをさせてもらったんだろう? なら、おれよりはるかにマシじゃないか)



 ——でも、ぼくは帰りたいんだ……。



「——帰ったほうがいい」

「…………」

「ここは私に任せてくださいりこれ以上、あなたに危険なまねは……」

「嘘つき。おまえは……してたくせに」

「しかし、このまま、だましとおせるものではありません」

「協力する気がないなら、ほっといて!」


 とつぜんの大声で、ワレスの意識は完全に覚醒した。同時に、さっきから夢のなかに入りこんでいた声が、クルウとエンハートのものだとわかる。目だけあけて見まわすと、部屋のすみで二人が口論している。室内にハシェドの姿はない。ワレスが眠っていたので、誰にも聞かれないと思っているのだ。


「わかっていないようだから、私は忠告しているのです。昨日だって、もしバレていたら、どうなっていたか。私の口からは言えないほど悲惨なことになっていたかもしれないのですよ。あなたは世間を甘く見すぎている」

「むろん覚悟の上。第一、昨日だって、なんとかなった。やっと名簿を調べて、彼が第一大隊にいたことがわかったのに」

「そこまで判明したなら、あとは私に任せてください。彼のことはともかく、あなたのために、きっと調べあげてさしあげますから。嘘はつきません」

「探しだしておいて、今度は彼を殺す気?」


 クルウが黙りこむ。

 ワレスは起きづらくなって困っていた。外から話し声がして、ハシェドが帰ってきたのは、そのときだ。


「……そう言ってやるのよ。ザッツだって、油断したんだろう。なんといっても、あいつは三年、砦にいるんだ。腕はちゃんとしたものさ」


 同じ隊の仲間内で話しているらしい。扉をあけてから、ワレスがまだ寝ていると思ったのか、小声で「じゃあ」と告げた。

 クルウとエンハートは同時にかえりみ、ハシェドと入れかわりで、エンハートは出ていく。


「もしかして、ジャマしたかな? クルウ」


 二人のふんいきから、深刻な話をしていると、ハシェドは察したのだろう。


「いえ。なんでもありません」


 クルウも出ていこうとするのを、ハシェドが呼びとめる。


「クルウ」

「はい。何か?」


 ハシェドはワレスのほうをすばやく見た。あわてて、ワレスは目をとじる。どうやら、まにあった。ハシェドはワレスが起きていることに気づいていない。


「近ごろ、ずっとエンハートといるんだな」

「ええ、まあ」

「あいつは隊長によく似ているし……それに、もしかして、以前からの知りあいなのか?」


 くすりと、クルウは笑った。


「私がエンハートに惹かれていると思ったら、大間違いですよ」

「えっと……」

「私はエンハートを憎んでいます」


 思いつめた声で言い、クルウは部屋を出ていった。その声があまりに、いつものクルウらしくなく強い毒をふくんでいたので、ワレスは狸寝入りを忘れて、寝台に起きあがる。


「わっ、ワレス隊長! 今のを聞いて……」

「ああ、聞いた。いいんだ。クルウがおれに気があるのは知っている。前にあいつが自分で言ったんだ。あいつ、おまえに宣戦布告したんだって?」


 くるりと背中をむけて、ハシェドはゴニョゴニョつぶやいた。

 わかっている。ハシェドはライバルのクルウの本心が知りたかったのだ。


(クルウはおれに、『ハシェドを好きなのはわかってる、なぜ告げないのか』と聞いた。いつになったら、おれは告げることができるのだろう)


 なぁ、ハシェド? 早く、おまえを安心させてやりたい。


 でも、今のところ言えるのは、

「クルウのことは、ただの部下としか思っていない。が、おまえは親友だ。ハシェド」

 いつものセリフを言うのがやっとだ。


 ハシェドが迷うような顔でワレスを見ている。

 今、聞こうか。聞いてみるべきだろうか。隊長の人を愛せない理由ってなんですか?

 そんな彼の心の声が聞こえる気がする。ワレスは目をそらした。


「裏庭は長期戦になりそうだ。魔物にしても、だいぶ狡猾こうかつなやつが相手みたいだな。勘もいいし、すぐには捕まりそうにない」

「そうですか。昼食にしますか?」

「ああ」


 そのあと、言葉が続かない。

 ほろ苦い沈黙を、ワレスたちは味わった。

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