五章2
「まあいい。何か見えたか?」
スノウンは長いこと目を閉じていた。見えたものを思いだそうというのか、それとも思案をねっていたのか。
「いえ。あなたの抵抗が強かったので、何も」
「おれはあんな気持ち悪いマネ、二度とごめんだぞ」
「それは、あなたの拒絶が強固だったからです。本来、無心なら苦痛はありません。術者との相性もあるにはありますが」
「おれとあんたの相性は、たぶん、よくない。あのあいだに七回は殺された気分だ」
スノウンは黙って頭をさげた。
ワレスは嘆息する。
「しかたない。地道に監視してみるか。事件は夜に多いのだったな。昼は休み、日没後、また来ることにしよう」
そして、アトラーにむきなおる。
「捜索はそちらに任せる。もし発見があれば、いつでも、おれを呼んでくれ」
協力してというガロー男爵の命令だったから、いちおうアトラーの顔を立ててやったのに、彼は何やら厳しい表情で、ワレスをにらんでいた。
「伯爵閣下はおまえを買いかぶっておいでだったのだな」
「どういう意味だ」
「魔神に魂を売るような男は、近衛隊にはいらないという意味だ」
ワレスはカッとなった。
「貴族のボンクラが一日たっても大事な主君を見つけられないくせに」
きびすを返してゲートへむかう。
ハシェドが急いで追ってきた。
「隊長。今のは、売り言葉に買い言葉ですよね? ダメですよ。あなたは誤解されやすい人なんですから、気をつけてください。サムウェイ隊長のときだって、そうだったでしょう?」
「ボンクラをボンクラと言って何が悪い。おれが貴族に生まれていれば、悪魔に魂を売る必要なんてなかったんだ。どんなことをしてでも生きのびてやると思ってた。世界中を呪って生きてきた。一人でさまよっていた少年時代。たとえ、悪魔の足にすがりついてでも、生きてやると。それもこれも、あんなヤツらが世の中で権力を持ってるからだ。だから、おれは——」
見せしめに、殺した。
愛しいルーシサスを。
ふいに涙がこぼれてきた。
「……あのとき、おれはほんとに悪魔に魂を売ったのかもしれないな。あんなことを言いたかったわけじゃないのに」
今ここに、ルーシィが生き返るのなら……おれの運命が変えられるなら、今度こそ、魂でもなんでも売ってやる。
そう思っていると、ハシェドの腕が背中から、ワレスの肩を抱きしめた。ワレスは息をとめて立ちすくむ。
「大丈夫。大丈夫です。おれは、あなたを責めません」
「おまえはおれの一番深い罪を知らないからだ。ハシェド」
「誰だって、そんなふうに考えること、一度や二度はあります。人間は弱い生き物だから」
弱いから、強いものにすがりたくなる。
弱いから人を憎み、弱いから人を愛す。
「……そうだな」
ワレスの心の内の醜さは、弱さから来ている。ワレスだけではない。きっと世界中の誰もが——そう考えることは、ワレスには勇気がいった。誰にも弱みを見せないように、自分を強く、強く、とぎすまして、いつも神経を張りつめてきたワレスには。
「おまえはあいかわらず、おれの名医だ」
ワレスはハシェドの褐色の手に、自分の手を重ねた。とても、あたたかい。ハシェドの腕のなかで、ハシェドの香りに包まれていると、安心する。
「約束だぞ。おれが突っ走りそうになったら、おまえが止めてくれ」
「おれ、知ってますよ。そんなこと言って、隊長、ほんとはすごく良識あるんだって。じっさいに魔神が目の前にいたら、迷わず剣をとって、むかっていくでしょう?」
前に夢で対峙した魔神のことを思いだして、ワレスは笑った。
「あれは罠にハメられたから、腹を立てて反抗したんだ」
「なんのことですか?」
「なんでもない。さあ、ゲートへ行こう。きっと、ヘンルーダが庭師を集めて待っている」
ふりかえって、ワレスはギョッとした。すぐうしろに、指をくわえてロンドが立っていたからだ。
「いいなぁ……わたくしも名医って言われたい」
「わああッ! おまえ、何を見てる!」
「だってぇ。わたくしたち、チームじゃないですか」
魔法使いの存在をすっかり忘れていた。周囲を見まわして探すが、スノウンはいない。
「スノウンは?」
「あの人は自分なりに魔法で調べてから帰るそうです」
「優等生は違うな。おまえも行けばよかったのに」
「うう……」
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