五章

五章1



 第二区画では、アトラー隊長の指揮のもと、近衛隊の捜索が続いていた。朝からずっとだから、隊員たちの顔にも焦燥の色がある。


「人海戦術でやれるところは調べつくしたんだな。これでいないとなると、この場所にもとより伯爵はいないか、ふつうに調べたのでは見つからない場所にいるか。どちらかだ」


 つぶやいて、ワレスはアトラー隊長に近づいた。


「首尾はどうだ?」


 アトラーはふりかえり、思わしくない表情を見せて首をふる。


「猛獣の仕業なら、巣穴がこの庭園内にあるはずだが、それらしきものが見つからない」

「樹上で暮らす獣もいるぞ。その可能性は?」

「むろん探させたとも。しかし、見つからない」

「人を食料にするほどの大型獣なら、足跡やフンなどの痕跡もある。それがないな」


 アトラーがうなずく。

 ワレスは断言した。


「では、獣ではないということだ」


 アトラーは男らしい眉をしかめる。


「というと?」

「魔物だろうな」

「魔物——」


 それだけは聞きたくなかったというように、アトラーのおもてが苦悩にゆがむ。ただの獣ならともかく、魔物相手では、伯爵の生存率はいっきに低くなる。


「どうしたらいいのだ」


 思い悩むアトラーが男性的で悩ましかったのだろう。すすす、とロンドがしなだれかかる。


かげのある殿方って、す、て、き」

「うわー!」


 あわててアトラーがもぎはなそうとする。が、筋肉隆々の彼が渾身の力をもってしても、ロンドを引き離せない。いつもはやられているほうなので、他人が犠牲になっているさまを見るのは、ワレスにとっては微笑ましい。


「スノウン。なんとか方法はないだろうか? いかに、おれに他人に見えないものが見えるとはいえ、いつでもそうだというわけではない。どうも危地にならなければいけないらしい」


 あらかじめ、スノウンには考えがあったようだ。


「それでしたら、よい方法があります。私の精神を、ワレス小隊長。あなたに同調させるのです。同調することで、あなたの目を借り、秘められた力を用いることができます」

「そんなことが——」


 できるのかと言おうとしたが、そのとたん、あれほどヒルのようにアトラー隊長にひっついていたロンドが、ころりと外れて、にじりよってきた。


「その役、わたくしがしたいのです」

「断る」


 言下に拒絶する。


「あーん。つれないぃ……」

「断固、ことわる。スノウン、やってくれ」


 スノウンは微笑を浮かべた。それで初めて、この男にも人間らしい感情があるのだなと、ワレスは思った。しかし、まだその考えが消えないうちに、ふいに異物が体内に侵入してくる。それはまるで頭のなかに鋭利な刃物を入れられて、切り刻まれていく感覚だ。同時に、だんだん自分の体が自分のものではないような、不安定な感じがした。

 ワレスは強い吐き気をおぼえた。


《安心してください。あなたの深層意識にまでは入りません。五感を借りるだけですから。抵抗しないで》


 あわてたようなスノウンの思念が、すぐ耳元で……いや、耳の内側で聞こえる。


 過去のさまざまな映像が、めまぐるしい速さでかけぬけていく。のどかな海辺。夕暮れの荒野。船上から見た水しぶき。薄暗い神殿の奥。天使の……天使の笑顔。



 ワレサ。こっちだよ。



 笑っていた、十四の、あの夏。


「やめろッ!」


 ワレスは叫び、頭をかかえる。

 その瞬間、スノウンの体がはねとばされた。見えない巨大な手でふりはらわれたように、かるく周囲の兵士たちの頭上を飛んで、木の幹にたたきつけられる。


 ワレスは全身に悪寒を感じ、ふるえがやまなかった。が、あの異様な感覚はもうしない。


「ワレス隊長。お顔の色が真っ青です!」


 ハシェドがかけよってきて、ワレスのおもてをのぞきこむ。ワレスは吐き気とめまいをこらえ、ハシェドの手を借りて立ちあがる。いつのまにか、地面に倒れこんでいたのだ。


「おれは……大丈夫。スノウンは?」


 スノウンのもとへは、アトラーが行った。

「魔法使い。意識はあるか?」


 スノウンは頭を押さえながら起きてきた。ふつうなら大ケガをしているはずだが、見たところ異常はない。


「とっさにガード魔法を使いましたから。しかし、おどろきました。いかに素質があるとはいけ、魔法の訓練を積んだ私の意識を、こうもたやすく排除してしまうとは……」


 人形のようなスノウンが、髪の乱れをなおそうともせず、ワレスを見つめる。


「素晴らしい天性だ。わずかのあいだだが、五感を借りて実感しました」

「おれは魔法使いになる気はサラサラない」


 スノウンは銀冠をはずし、ようやく髪をととのえる。


「もったいない。しょせん、私は辺境の砦を守るだけの男。あなたなら、きっと……とんでもないことができるのに」

「魔法でこの世を支配できるとでも? バカバカしい。そんなことができるなら、おれはとっくに魔神に魂を売ってるよ」


 哄笑こうしょうするワレスを、スノウンはじっと凝視する。その視線に、ワレスは居心地が悪くなった。半分はジョークだが、半分はワレスの本心だったからだ。


「……できるのか?」

「さあ。なんとも」


 ワレスは唇をかんだ。


(おれにそれだけの力があれば、この運命を変えることもできるだろうに)


 愛する人を奪っていく運命を。

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