三章5



 裏庭に行く前に、文書室へ寄り道した。少女のような顔をした、ワレスの母親ほどの年だという、情緒欠陥症の司書長の力を借りたかったのだ。


「ハシェド。おまえが扉をあけろ」

「ロンドが抱きついてくるからですか?」

「あれは抱きつくんじゃない。こびりついてくるんだ」


 笑いながらハシェドが扉をあけても、文書室は静かだ。


「大丈夫。どこにも見あたりません」


 キョロキョロして、ハシェドが言う。

 たしかに、本棚のあいだにいる司書たちも遠くをうろつきまわっているばかりで、ロンドらしい姿はない。

 ワレスが安心してふみこんだとたん——


「あ〜ん。うしろ姿も、す、て、き」


 背中から抱きつかれて、ワレスは悲鳴をあげた。


「悪霊退散!」


 つきとばそうとすると、武人のような身ごなしで俊敏によける。


「おーほほほっ。わたくしも魔術師のはしくれ。結界を張って姿を隠すことくらいできますのですよ」


 ちょっと前まで、それさえできなかったはずだが、たちの悪いほうに上達ワンアップしてしまった。


「くそっ。魔法を使うとは卑怯だぞ」

「恋にはどんな手段を使ってもゆるされるのです。わたくしだって、いつまでもヘボ魔法使いじゃありませーん。この二ヶ月で二階級も認定試験に受かって、わたくし晴れて七級の魔女になりましたぁー!」


 パンパカパーンとかなんとか、自分でファンファーレのマネをしている。


「誰がだ。きさま、男だろう?」

「あーん。細かいことは気にしちゃダメ。それより、今日はどんなご用件ですか? わたくしに会いたくて来てくださったの? うふ」


 この春にロンドの過去に関する事件を解決して以来、ふっきれたのか、彼は元気がいい。ただし、少しはまともになるかと思えば、ますます変態にみがきがかかってしまった。


「用があるのは、おまえじゃない。司書長だ。さっさと呼んでこい」

「あらん。わたくし、あなたのためなら、ひと肌も、もろ肌でもぬぎますのに」


 言いながら司書の制服をぬごうとするので、ワレスは我慢できなくなって、思いきり、どつき倒した。


「やめろ! オカマの上に露出狂かッ?」


 ロンドは床に倒れたままジタバタしていたが、急に立ちあがると窓辺へ歩いていく。似顔絵描きのジョルジュがこっそり写生しているとも知らないで、熱心に文書を読んでいるのは、エンハートだ。近くにクルウはいない。


「やあ、エンハート。君も来てたのか。クルウはさきに帰ったのかな?」


 声をかけたのは、ハシェドだ。

 エンハートはあわてた。食い入るように見ていた文書を大急ぎで閉じて、書棚へ歩いていこうとする。

 その前にロンドが立ちはだかり、くんくんと犬のように鼻をならしながら、周囲をグルグルまわりだす。当然のことながら、エンハートは立ちすくんだ。


「こら、ロンド。よさないか。町なかでそれをやったら、犯罪だぞ」


 ワレスが注意しても、ロンドは聞かない。さらにエンハートのまわりを何周かしたあと、とつぜん叫ぶ。


「きゃああああー! いーやーッ!」


 とびすさり、ワレスにしがみつき、なぜだかブルブルふるえだした。


「いやですぅ。怖い……」

「やめろ……ドサクサまぎれに精気を吸うな」

「んん……おいしい」

「顔はそっくりなんだから、あっちへ行ってくれ。若くて美味いぞ」

「つーん」


 どういうわけか、そっぽをむく。そのすきに、エンハートは逃げだしてしまった。


「……なんで、エンハートじゃいけないんだ?」

「あれは、イヤです」

「だから、なんでだ」

「わたくしが、この世でもっとも嫌いなもの……なーんだ?」

「知るか。いいかげん、離れろ! 凍え死ぬ!」

「わたくしはわが世の春ぅ。至福ですぅ」


 さわいでいたので、呼ぶまでもなく、ダグラムがやってきた。


「ロンド。ハメをはずしすぎですよ」

「ああーん。司書長のことは尊敬しておりますぅ」

「そんなことはよろしい」

「クールぅ。でも、そこがステキぃ」


 ダグラムは嘆息した。


「ワレス小隊長。申しわけありません。わたくしに何か?」

「じつは……」


 司書長が来たおかげで、ようやく背後霊ロンドがとれた。ワレスがその腕と人柄を信頼している彼女に、深刻な事態への助力が欲しいのだと告げる。


「あなたが多忙なら、腕の立つ魔術師を何人か貸してくれ。おれも全力をつくすが、一分一秒でも早く、けりをつけなければならない」


 ダグラムが答えようとするやいなや、


「はい、はーい。わたくし。わたくし。仲間はずれにしたら恨みますからねぇ。夜中にワレスさまの部屋に忍びこんで、耳元で子守唄、歌っちゃいます。そして、そのすきに……」


 ワレスは冷水をあびせられた気分になった。


「そのくらいなら、裏庭の見まわりをいっしょにするほうがマシだ! 魔法には期待しない。が、それはもう……いい」


 めったに笑わないダグラムが、かすかに破顔する。


「スノウン。彼らに力を貸してあげなさい」


 司書の一人がフワフワした足どりで近づいてきた。


「承知しました。司書長」


 その声に聞きおぼえがある。


「前に話したことがあるな。あれはネズミの被害を調べていたときか」


 ロンドより数段マシと思った男だ。


「私の得手は冷気系の攻撃魔法。お役に立てるよう努力いたします。なにとぞ、よろしく」

「頼もしいな」


 ロンドが袖をかんだ。

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