三章4
下世話な部下たちにうるさくされながら食事を終えて、彼らを散らしたあと。ワレスはカウンター越しに厨房をのぞいた。
昨日ケンカしたので、エミールはどうかと案じたが、幸い盛りつけ係のなかにはいない。今朝の当番ではないようだ。
かわりに、寝ぼけまなこのカナリーを見つけた。昼は食堂で給仕をし、夜には兵士たちと親密にすごす少年たちは、朝が苦手だ。ふわふわの髪をもつれさせて、クシャクシャにしているのが可愛い。
「おはよう。カナリー」
「ワレスさん。エミールなら、まだ寝てるよ」
「エミールに用があるわけじゃないんだ」
「じゃあ、誰に? ねぇ、キスしていい?」
「ああ」
エミールにナイショで二、三度、関係したことのあるカナリーは、秘密のキスの味をたっぷり楽しんだ。
「ねぇ、また今度、誘ってくれる?」
「今の仕事が終わったらな」
「早めに教えてね。ぼく、その日はあけて、待ってるから」
ワレスはもう一度サービスでキスしてやった。本題をきりだす。
「ところで、今、給仕の少年はみんな帰ってきているのか?」
「うん。遅刻すると料理長がウルサイんだ。呼ぶの?」
「ちょっとのあいだ、裏の廊下に全員、集めてくれ」
「いいよ」
カナリーは可愛らしい仕草をいくらか技巧的に作ってから、奥へひっこんでいく。
外で待っていると、すぐに眠たい目をした少年たちが、ゾロゾロとやってきた。
給仕係も当番制なので、全員そろっているのを見るのは、ワレスも初めてだ。黒髪やらブロンドやら、青い目、茶色の目、いろいろだ。食堂で見知っている少年もいれば、こんな子もいたのかという者もいる。
やっぱり、なかでは、カナリーが一番キレイな顔立ちだ。カナリーならこんな魔物の横行する砦なんかじゃなく、皇都の宿でも充分、稼ぎ頭になるだろうに。
そんなことを考えていると、さわぎを聞きつけて、エミールまで起きだしてきた。
「なんだよ。みんな集めちゃってさ。おれに秘密でなんかしようっての?」
「昨日の夜の話が聞きたいんだ。みんながどんな夜をすごしたのか。上手に話してくれたら、特別な褒美をやろう」
それでエミールは完璧に目がさめたようだ。かみころしていたアクビを途中でやめて、ワレスを軽蔑の目でにらんできた。
「あんたって、そういう変態なこと言う人だったんだ! バカ! おれなんかよりずっと好色ジジイだ。知らない。もう!」
本気の力でなぐりかかってくるので、ワレスは失笑して、エミールの手首をつかむ。むりやり、くちづけで黙らせた。
「昨日のことは悪かった。謝るから、そう怒るな。これも仕事のうちなんだ」
耳元でささやくと、エミールは半信半疑で見あげてきた。
「ほんと?」
「まあ、見ていろ」
しぶしぶと静かになったところで、ワレスは銀貨をとりだす。
「話してくれたら、これをやろう。早い者勝ちだからな」
ガロー男爵から受けとってきたのだが、金貨ではなく、わざと銀貨にしたのだ。それは少年たちが自身の対価として男たちから受けとる、もっともなじみ深い貨幣だからだ。その重みをよく心得ている。見せびらかすと、案の定、少年たちの目の色が変わった。
「ほんとに話すだけでくれるの?」
「ああ」
「わあっ、聞いて、聞いて!」
「僕がさき!」
歓声をあげて、我さきに話しだす。
きわどい話を赤裸々に告白しながら、ワレスの胸にしなだれかかってくる子もいたが、上手に誘導して、少年たちの相手の見目形を聞きだした。全員に銀貨をあたえて別れたものの、伯爵らしい年かっこうの男はいない。
「やはり、裏庭かな」
つぶやくと、最後まで残って、ワレスの両側に張りついていたエミールとカナリーが、同時に問いかけてきた。
「あんたの仕事って、人探し?」
「誰か探してるの?」
さすがに情をかわしたことのある二人だ。それに、エミールは勘がするどいし、カナリーは頭がいい。ワレスの真意にちゃんと気づいていた。
「昨日、おれが食堂で話していた男だ。まっすぐの黒髪を肩にかからない長さで段をつけてカットし、瞳は黒。柔和な顔つき。二十歳すぎの若い兵士だ。おれが今かかわっている事件の重要な手がかりを知っている。ただ、おおっぴらに、おれが人探しをしていると知られるのはマズイんだ」
「そうだったの」
カナリーは惚れなおしたという目をして、ウットリとワレスを見つめる。
「いっぺんに全員をはべらせたって、あなたならゆるすけど。だから、あんな手を使ったんだね。ぼく、注意して探してみるよ。みんなにも、ぼくが探してることにして、似た人がいたら教えてくれるよう頼んでおくから」
甘ったれて、ワレスの胸を指さきでいじってから、カナリーは手をふって去っていった。エミールが怒るから逃げだしたのだろうが、このときばかりはその心配はいらなかったのだ。エミールは盗み食いしたポテトパイが喉につまったみたいに青くなっていたから。
「隊長。あんたが探してるのって……」
エミールは昨日、ワレスが話していたのがコーマ伯爵であることを知っている。
「いいか。誰にも言うな? もし誰か一人にでも口をすべらせたら、おまえとは金輪際、縁を切るからな」
耳打ちすると、エミールは大急ぎで、何度もうなずいてみせた。
「わ、わかった」
「誓うな?」
「誓うよ」
エミールは左右の色の違う瞳や赤毛のその容姿だけでなく、性格も小悪魔っぽい。こんなことなら、昨日、伯爵の身分を明かすのではなかった。
ワレスの目つきから、エミールは気持ちを察したようだ。ふいに背伸びして、唇に吸いついてくる。
「おれ、あんたを困らせること、しないよ」
猫みたいにうしろをふりかえりながら歩いていく背中を見ると、ちょっとかわいそうなことをしたかもしれない。しかし、それにしても、もうひとつ信頼できないのだ。
(あいつがおれのことを好きなのは嘘じゃないとわかっているんだが)
ハシェドへの気持ちを知られたときに、それをかさにきて、ゆすられたことがあるせいだろうか。
エミールが立ち去ると、食堂裏の薄暗い廊下には、ワレスとハシェドの二人きりだ。ハシェドはワレスが少年たちと話すあいだ離れていたが、やっと安心して近づいてくる。
「収穫はありましたか?」
「いや、ない。やはり、裏庭に行くしかないな。ところで、なんで離れていたんだ? おもしろい話がたくさん聞けたのに」
「なんで——」
と言ったきり、ハシェドは絶句してしまった。髪の毛をグシャグシャにかきまわしながら、さきに歩きだす。
ほんとはワレスだって気づいていた。ハシェドは少年たちの話を聞くうちに、変な気持ちになってしまったのだと。ハシェドの反応が可愛くて、ついからかってしまう。
(これがいけないんだな。自重しなければ)
ワレスはハシェドの機嫌をとるために、急いで追いかけた。
「待て待て。ハシェド。今のは、おれが悪かった。無神経だったな。怒るなよ。もうからかわないから」
「隊長……」
「今度の
「それでも負けるんですけどね」
あきらめたように笑うハシェドが、また可愛い。
ワレスはならんで歩きだした。
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