二章

二章1



 夕刻に食堂へ行ったとき、すでにエンハートのことが話題になっていた。ワレス自身、砦の有名人なので、そのウワサの広がりは早い。

 同時に姿を現せば、さわがれるとわかっていたので、入れかわりで来たのだが、それでも充分、注視をあびた。


「ヤダ。こっちむいてよ。隊長」


 食事の盆をとりにいけば、エミールが黄色い声でよってくる。ワレスの頬に両手をかけて、自分のほうをむかせた。


「似てる! ほんと、そっくり!」


 何がおかしいのか大口あけて笑うので、自分の皿のパンをその口につっこんでやりたくなった。が、むろん、そんなことをすれば、あとで服の一枚も買わされるハメになる。ワレスは想像だけで我慢した。


「離せ。歩けない」

「だって、ほんとに似てるんだよぉ。あんたが髪短くして、小隊長の緑のマントをはずしたら、ちょっとわからないよ。おれ、両側にならべてみたいなぁ。ベッドのなかで」


 ワレスが唇をゆがめると、エミールはイタズラっぽい目つきになる。


「あれ、妬いた? おれはやっぱり、あんたのほうが好きだよ」


 ワレスの顔をつかんだまま、赤い唇を押しつけてくる。


 まったく、どうして、どいつもこいつも同じことを言いやがる。


 ワレスは盆でふさがれていないほうの片手で、エミールを押しかえした。


「おれはこれから忙しい。おまえの相手をしてるヒマはない」

「もう! なんでさ、ケチッ」


 夏の砦は暑い。一日に何度も井戸水をかぶらなければ、やっていられない。夕食が終わってから、仕事が始まる前に冷たい水をあびに行こうと思っていたのだ。だから早めに来たせいで、それほど食堂はこんでいない。


「もう、あんた最近、忙しい、忙しいって、ちっとも相手にしてくんない。あんまり冷たいと、ヒドイんだぞ」


 エミールはオタマをほっぽりだして、調理場と食堂をへだてるカウンターを乗りこえてきた。


「しかたないだろう。なんでか知らんが、ほんとに忙しいんだ。この時期は人がよく死ぬからな。慢性的人員不足だ」

「べーだ。難しい言葉使ったって、わかるんだよーだ。ちゃんと勉強してるんだから。慢性的っていうのは、いつもいつもってことだろ。人員は人間のことだから……」

「おい、盛りつけしなくていいのか? 給仕係」

「ヤダよ。あっちだってご無沙汰なんだから、今日あたり呼んでよ。なんなら、ほんとに、あのそっくりさんと三人でもいいよ。おもしろいから」


 ワレスは嘆息した。ワレスだって下町育ちだが、ときどきエミールの感性にはついていけなくなる。


「おまえな。可愛い顔して、好色ジジイみたいなこと言うな。おれの気持ちが冷めてもいいのか?」

「それは、ダメ。じゃあ、もう言わない」

「そうそう。可愛くしてろ。そしたら、またヒマなときに、ちゃんと呼んでやるから」


 エミールはご満悦になった。ニコニコしながら、急に気づいたふうで、あたりを見まわす。


「分隊長は?」

「新入りのために部屋の片づけをしてる」

「あんたたちの部屋、キレイだよね? ほかなんて、あんたとこにらくらべたら豚小屋だよ?」

「そうなんだが……」


 どうも、あのエンハートは問題だ。ワレスはアブセスを見送りに行っていたので、じかに聞いてはいないのだが、ハシェドが部屋につれ帰ったとき、あれこれ文句を言ったらしい。二段ベッドの上がいいとか、着替えはどこでするのだとか、バスタブはないか、きわめつけに男臭いと言われて、

「怒るのを通りこして、あきれましたよ。貴族のお城じゃないんだから、どうしろって言うんですか」と、めずらしくハシェドが憤慨していた。それでも片づけるところが、彼らしいのだが。


「気に入りの香水をぶちまけた貴族の寝室にくらべたら、どんな部屋でも豚小屋さ。それより、エミール、離れてくれ。暑い」

「ええ、いいじゃないか。ちょっとくらい」


 ぶちぶち言いつつ、自分も暑いのか、エミールは離れた。

 ふと視線を感じたので、顔をあげると、見知らぬ男がワレスを見つめている。黒髪に柔和な顔つき。どことなく物腰が周囲の兵士とは違う。ワレスと目があって、ニコリと白い歯を見せる。


「知りあいだったかな」


 思わずつぶやく。

 相手は自分の盆を手に、ワレスのテーブルまでやってきた。


「久しいな。ワレス小隊長」


 聞いたことのある声だ。


「誰? これ」とは、エミール。

「わからん。が、たしかに見たことはある」


 男は笑った。

「これなら、どうだ?」


 片手で人差し指を鼻の下に持ってくる。それを見て、やっとワレスは気づいた。


「あなたは!」


 大きな声を出して、あわてて自分の口をふさぐ。


 見覚えがあるはずだ。ワレスが数々の功績をあげるたび、大広間の玉座の上から、勲章や金一封をあたえてくれたのは、ほかでもないだ。そう。つまり、ボイクド砦の城主、コーマ伯爵である。近ごろでは事件を通して個人的な話までするようになっていた。

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