第20話 【SIDE:ミカゲ】腐った家族

 ミカゲがギルドと交渉して帰ると、居間の電気すらついていなかった。

 いつもは、何かが煮えるいい匂いとリリーの笑顔で出迎えられるのに。


 まさか。


 ミカゲは慌てて部屋の中に入って気配を探る。しかし、そんな必要もなかった。


 リリーはいつもミカゲが使っているソファで、膝を抱えて、何かに耐えるように丸まっていた。

 その表情は見えない。


「リリー? どうした? 怪我でもしたのか?」


 体調でも悪いのかもしれないと、そっと肩に触れる。すると、リリーはビクリと身体をふるわせ、初めて自分の存在に気が付いたように顔をあげた。


「……ミカゲさん」


 ぼんやりとした顔で呟いたリリーの顔は、涙で濡れていた。

 ミカゲは慌ててリリーの肩を掴んだ。


「おい! 大丈夫かどこか痛いのか?」


 探るように顔を覗き込むと、リリーははっとした顔をして慌てて涙を拭った


「あっ。すいません大丈夫ですどこも痛くないです」


 そして、まだ涙のにじむ瞳で無理に笑顔を見せた。その姿が痛々しくて、ミカゲは余計心配になった。


「どこも痛くないなら、どうして泣いているんだ?」

「……ごめんなさい。まだ夕飯は作れていないんです。ぼんやりしてしまって」

「何の話だ? 夕飯なんか今はどうでもいいだろう」

「いえ、任せていただいているのに申し訳ないです。それに、食材だってミカゲさんがお金を出してくれているのに……。私が……」


 急に関係ない事を混乱したように謝ってくるリリーを、ミカゲは怒りと共に見つめた。

 今ここに居るリリーは、過去を話した時と同じだ。

 自分に自信が全くない少女のような。


 何が、あったのか。


「リリー。落ち着いてよく聞いてくれ」


 ミカゲが怒りを抑え、静かに話すと、ようやくリリーはこちらをはっきりと見つめてくれた。


「リリーが雇い主だろう? そんな風に言う必要はない」

「でも、契約では三食つけるって」

「今からでも食べに行けばいい。リリーが出してくれるなら」


 ミカゲは冗談でそう言ったつもりだったが、リリーは真剣な顔で頷いた。


「もちろん私が出します。ミカゲさんは好きなものを食べてください」

「いや、ごめん。そうじゃない……下手な冗談のつもりだったんだ。出してもらうとかじゃない。というかそもそも夕食の話ではないだろ?」


 リリーは思い当たることがないようで、こてりと首を傾げた。

 その子供のような仕草はとても可愛くて抱きしめたくなるが、何故思い当たらないのか。


「他に何かありましたか? あ! ポーションの追加を作っておいたほうが良かったですか? ちょっと思いつかなくてすいません。これから作成すれば明日の朝にはそんなに多くはないですが出来ると思いますので」


 そう言って立ち上がろうとするリリーの肩をぐっと掴む。リリーは立ち上がれずに、きょとんとした顔をしている。


「そうじゃない。ただ、リリーが心配なんだ」


 このままではいつまで経っても伝わらなそうだったので、ミカゲは素直な気持ちをそのまま言葉にした。なんだかとても気恥しい。

 たったこれだけの言葉なのに、リリーの顔をまともに見られない。


 思い返せば、こんな風に人を心配することなんてなかった。常に他人とは少し距離を置いていたし、仲間は死と隣り合わせではあるものの、それが常態だった。


 守ってあげたくなるような、そんな気持ちは。


 赤くなる顔を見られたくなくて、口元を押さえる。

 しかし、あまりにもリリーからの返事がなくて、盗み見るようにそちらを見た。

 リリーはぽかんとした顔をしていた。


「……なんだ、その顔は」


 予想もしていなかった顔に、なんだか力が抜ける。顔が赤くなっていたのも引いた。


「心配?」


 リリーは不思議そうに繰り返した。

 ミカゲも同じように不思議に思いながらも、もう一度繰り返す。やっぱり恥ずかしさはそのままだけど。


「そうだ。心配だから話してほしい」

「え? 心配ってミカゲさんがですか?」

「それはそうだろう。さっきから何が疑問なんだ?」

「……それってもしかしてなんですけど。ちょっと図々しいかもしれないんですが。ええと、確認してもいいですか?」


 リリーが下を向いて言いにくそうに話す。

 もちろんリリーの話なら何でも聞きたいので頷く。


「もちろん大丈夫だ。後、何を心配しているかわからないけれど、図々しいなんて思わない」


 ミカゲの言葉に勇気を得たのか、リリーはぐっと手を握って口を開いた。


「あの! ミカゲさんが私の事を心配しているって事かなって……!」


 本人は何か慌てているが意味がわからない。

 ミカゲの言葉に、他の解釈はあっただろうかと、考えてしまう。全くわからないが、安心させるようにゆっくりと伝える。


「そうだ。俺が、リリーの事が心配なんだ」


 わかりやすい程、リリーの顔は赤くなった。それを見たミカゲは、自分の頬も熱を帯びたのを感じた。


「そ、そうだったんですね。ちょっと、心配とかされるとか普段ない事なのでぴんと来なくて、ごめんなさい」


 続いたリリーの言葉に、再び怒りが芽生える。

 あの家族のリリーの扱いは、本当に不愉快だ。


 赤くなったり怒ったり呆れたり、自分の気持ちの不安定さにびっくりする。

 リリーは、ミカゲの気持ちを振り回す力に優れている。


「あやまる必要はない。何があったか心配で、このままでは食事も喉を通らないかもしれないから教えてくれないか?」


 冗談めかして本音を言うと、リリーはやっといつもの笑顔を見せた。


「いっぱい食べるミカゲさんがご飯食べられないのは良くないですね」

「そうだぞ。せっかく鍛えた体がしぼんでしまう!」

「ふふふ。弱そうになってしまうんですね。冒険者としてそれはまずいです」

 ひとしきり笑った後、リリーは困ったように首を傾げた。

「……今日、家族が尋ねて来たんです。前に話した通り、ちょっと疎遠になっていたのでびっくりしてしまいまして」


 言葉を選ぶように、リリーはたどたどしく話す。


 家族。

 自分の迂闊さにショックを受ける。もうここまで来ていたとは。


 確かに王城に問い合わせを行っていたとは聞いていた。だが、ポーションは供給したばかりだ。

 ギルドには、特定の魔物素材が手に入りにくくなってしまった為、ポーションを融通するという話にしてもらっている。それ自体はミカゲが別の依頼に行っている時などで、たまにある話だ。

 ポーション自体も高い値段でなく、通常価格で卸している。


 なのにここにきているという事は、自分が思っていたよりもずっとリリーの家族は腐っているという事だ。


 ミカゲはリリーの家族を囲っている貴族に対して、ポーションによってリリーの価値を高めようとしていた。そして、価値がある相手との取引をちらつかせ、貴族を通して家族に対し謝罪をさせるように命じさせる予定だった。


 どんなにリリーに対して傲慢な家族だとしても、貴族の命なら聞くだろうと。

 リリーに直接謝れば、許そうと思っていた。

 甘かった。


 黙っているミカゲを勘違いしたのか、リリーが慌てたようにさらに言葉を重ねる。


「あの! 特に用事とかではなく、城下町にきたのでたまたま訪ねてきてくれたようです。でも、私がこの間も言ったように、ちょっと家族とうまくいってなかったのもあり動揺してしまって。それで……」

「そうだったんだな」


 ミカゲがわかったというように頷くと、リリーはほっとしたようにため息をついた。


 当然信じていない。

 ただ会いに来るような関係ならば、一言もなく引っ越したりはしない。そして、このタイミングだ。


 でも、これ以上リリーに言い募っても仕方がない。そもそも言わないのは、自分を気遣っての事もあるだろう。

 信頼されてないからじゃない。

 はずだ。


 自分に自信がなくなりそうになる。

 こんな気持ちにさせるリリーの家族には、より怒りが募る。


「ご両親が来たのか?」


 さり気なさを装って聞くと、リリーはちょっと迷う素振りはあったが答えてくれた。


「妹です。……とても、可愛い子ですよ」


 リリーは妹を可愛がっているのだろうか? 妹はもしかすると両親に追従しているだけで、そこまで腐ってはいないのか。


「あの、全然別件というか関係ない話なんですが、ポーション用の魔物素材、買い取らせてもらえませんか?」


 妹も腐ってることが判明した。


「買取なんて気にしなくていい。どうしても気になるなら、この後の食事代を頼むな」


 何もかもを押し込んで笑うと、リリーも嬉しそうに頷いた。


「何食べましょうか! 甘いものもいいですね!」

「やっぱりまずは肉からだな!」

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