第19話 私の妹

 心臓がばくばくしている。

 いつの間にか、身体も震えている。

 私は壁に背を向けてしゃがみこんで、膝を抱えた。


 ドアの外に居る、先ほど見えた人物が信じられない。


 私とは違う、ぴかぴかに磨かれた金髪。緩くカールしたそれは、背中にかかるほどの長さで豪華だ。線が細く、儚い美少女。記憶よりも派手なドレスを着ているけど、見間違えるはずがない、


 あれは、私の妹だ。


 貴族のもとに嫁いだのに、なぜここに? そもそも何故ここがわかったの?

 会いたかったはずなのに、会いたくない。


 ここは、私とミカゲの場所だ。


 また、お金だろうか。

 それともお金を払えば、今度こそ愛してくれるという話だろうか?

 何も言わずに私を置いて行ったのに、何故。


 ぐるぐると、考えがまとまらず廻っていく。声も出せずにただじっとしているしかできない。

 早く帰ってほしい。


 誰からも応答がないことにじれたのか、呼び出し鈴が壊れていることを危惧したのか、直接ドアを叩き始めた。

 その振動は、ドアに背中がくっついている私に乱暴に響いた。

 緊張で身体がこわばる。


「すいません。どなたかいらっしゃいますか。ここにリリー・スフィアが居るという話を聞いたのですが」


 誰から聞いたのだろう。

 まだ、住み始めてほんの二週間なのに。


 その声は、私を蔑んでいる聞きなれた声ではなく、まるで猫撫で声だ。誰からも愛される、私の妹アンジュ。

 この声がともかく可愛くて、彼女の言う事を聞きたくなると男の子たちが話しているのを聞いたことがある。


 そして、突然私はそれに思い当たった。

 ミカゲに、会わせたくない。


 このまま私が返事をせずにアンジュを帰せば、またいつかやってくるだろう。そうしたら、いつかはミカゲと会ってしまうかもしれない。

 いや、もしかしたらこのままこの家の前に居て、帰ってきたミカゲと会ってしまうかもしれない。

 それは嫌だ。


 自分で、こんなに強い感情があることに驚く。


 家族のいう事には、間違いないと思ってずっと従ってきたのに。今は、家族に会いたい気持ちよりもずっと、ミカゲとの生活を守りたい。


 三ヶ月。

 たった三ヶ月私がしあわせに暮らすことすら許さないのだろうか。

 私から、この生活も奪うつもりなのだろうか。


 そう思ったら、もう駄目だった。こんな風に座っては居られない。

 私は立ち上がり、震える手で、ドアを開けた。


 俯いたままの私に、先程とは違ういらだった声がかけられた。


「リリー。やっぱり居たのね。早く出てくれないと困るでしょう?」


 従うのが当然だと思っている声は、聴きなれたものだ。

 姉と呼びたくないと、アンジュは私の事をいつでも呼び捨てにしていた。


「……今更、何の用なの?」


 私はかなりの勇気を持って聞いたのに、アンジュは気にした様子もなかった。そして、そのまま私の隣をすり抜け、中に入ってくる。


「早く出てこないから、留守かと思った。それにしてもいい家ね。何であなたがこんな家に住んでいるの?」


 言外に言われる不相応に、私はまた俯きそうになる。


「私の家じゃないわ。……お友達の家よ」


 正確にはミカゲのお友達だけど、そんな事を説明しても仕方ない。


「リリーに、こんないい家に泊めてくれるお友達なんていたのね。意外だわ」


 本当に意外そうにそういうアンジュは、いつもお友達に囲まれていた。

 私は、勉強以外は必要ないと言われ、それを羨ましく見ていた。

 どんどん卑屈な自分の気持ちが戻ってくる。


 ミカゲと会ってから、何でもできるような気がしていたのに、あっという間に元に戻ってしまった。

 これがやっぱり本来の自分なのかもしれない。


「リリー。お願いがあるの。ポーションを作ってほしいの。薬師だしすぐ作れるでしょう? 出来るだけ早く多く作ってほしいわ。いつ取りに来ればいい?」


 断られるとは微塵も思ってない素直な言葉に、違和感がすごい。

 どうしてこんな風にできるのだろう。


「そんな……。素材がないから、無理だわ」


 素材自体はある。でも、それはミカゲのお友達のものだ。間違ってもアンジュに渡すものではない。

 そう、勇気をもって断った私に、アンジュは馬鹿にしたように言った。


「そんなの、買ってくればいいだけでしょう? しっかりしてよ」

「ポーションに使う魔物素材は、どこに売っているかわからないわ。私が街で売っているお店を知っているのは、薬草だけよ」

「そんなの、調べて買ってくればいいだけ。勉強は得意でしょう? すぐに必要なのよ」


 アンジュは、イライラした気持ちを隠しもせずに言ってくる。


「何故、ポーションが必要なの? 見たところ、怪我もしていないようだけど」

「そんな事リリーには関係ないでしょう。とりあえず頼んだわよ。出来るだけ多くね。最低でも十本は必要だわ。一週間後に取りにくるから。きちんと調べて作っておいて」

「……ポーションは高いわ。そんなにお金は払えるの?」


 私が疑問を投げかけると、心からアンジュは驚いた顔をした。


「えっ。私からお金を取ろうとしているの? 家族なのに?」


 それが何故なのか、本当にわからないようだ。


 家族。

 まだ、それを免罪符にしていくらしい。そして、私もまだ、家族に囚われているようだ。


「……そうだよね。わかった」


 気が付くといつものように、口にしていた。握った手のひらに、爪が食い込む。


「そうでしょ! 家族は助け合わなくちゃ。じゃあまた、一週間後にね」


 アンジュはとてもきれいな顔で笑い、上機嫌な足取りで手を振って立ち去った。

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