第6話 このときふたりは、たんなる水を飲んでもよかったのだ


「どうも」

「音楽室へようこそ~。って、あれ、ひとり?」

「……はい」

「もしかして、琴音ちゃんとケンカしちゃった?」


 完全に図星だ。黙るしかない。


「ほんとだったのね……からかって、ごめんなさい」

「そんな……あやまんなくていいですよ」

「なにかあったの?」


 そうたずねた天音は、とあるケースをもっている。それは、とても見覚えがある。


「それって……」

「うん、バイオリン。私が、たまに手入れしてるんだよ」


 天音はケースを置いて開こうとしたとき、思い出したように言った。


「あっ、そういえば、前にこれ弾いたのって君だったよね?」

「は、はい、すいません、俺です。ほんとに悪いと思ってます」

「そんなことはないよ、ただ――」

 彼女は意味ありげに言った。

「このバイオリンには呪いがあって、弾いた者は――」

「ちょっと待ってください、冗談ですよね?!」

「うん、ウソだよ」

「…………」

「ごめん、ごめん。けど、楽器には歴史があるから。とくに、バイオリンなんかは特にね」

「たしかにそうですけど……」

「だから、演奏者の心が楽器に映るの」


 俺は、彼女を見つめる。

 天音は、バイオリンを我が子のようにやさしく抱き上げていた。


「あ、信じてないでしょ?」

「いや、そんなことは……」

「そんな君には、今ここで私と共演してもらいます。私が歌うから、伴奏よろしくね」

 首を振ってジェスチャーで拒否する。

「なに? “悲愴”弾けるんでしょ? そう聞いたよ」

「けど、プロのあなたと共演するなんて無理です」

「けど、琴音は文化祭でやるんだよ」


 俺は黙りこんでしまった。


「大丈夫、私は、君が音楽に傾ける情熱は本物だと思うから」

 ショートヘアの歌姫は、バイオリンを俺に手わたし、さとすように言った。


「ほら、このバイオリンが言ってるよ」


     *


 ひとりの女の子が音楽室に入ってくる。

 制服のリボンの色は青色だ。


「よう……」

「……杉藤先輩」


 琴音は申し訳なさそうにしている。

「あの先輩、あの時はごめんなさ――」

「はい」

 俺は彼女の言葉をさえぎる。

「え?」

「これ、高島のなんだよね」

「……はい」

 彼女はそれを手に取る。

 それはクラリネットであった。


 それからは説明はあまりいらない。

 彼女はクラリネットを、俺はバイオリンを弾く。

 お互いにリズムを合わせ、音を合わせてゆくだけ。

 そう、それだけだ。


  *


「ふたりとも、おつかれさま」

 天音がやってくる。

 彼女は、俺たちのようすを見て言った。

「仲直りできたみたいだね。お姉さんも、うれしいよ」


「あとこれ、差し入れだよ」


 琴音の姉は、天然水を二本わたす。

 彼女は、俺たちが水を飲んでいる途中で、「じゃあね。あとは、ごゆっくり」と言って、音楽室から退出した。



 彼女が出ていったあと、すぐに俺と琴音のスマホにメッセージが飛んでくる。


「『効果あった? それ、愛の媚薬入りなんだよね』」


 ――え?


 俺は琴音と見つめあう。


 お互いに頬を赤く染めあう。


 しかし、すぐにまた別のメッセージが飛んでくる。


「『ゴメンね、ただの水だよ』」


 俺たちは、ふたたび見つめあう。


 緊張の解けたお互いに笑いあった。


 ――初めて会った時のように。


     *


 文化祭当日。

 俺はグラウンドの上にいた。

 そこでライブが開かれるから――ではない。

 たしかに、母校ではそうであろう。

 だが、ここには、22人のユニホームを着た男たちと審判しかいない。


 つまり、文化祭日と全国予選の試合日が、見事にブッキングしたわけである。


 ――けど、大丈夫だ。三人で約束したんだ。お互いの舞台でベストを尽くすと!


 ホイッスルが鳴る。


 俺はボールを追いかけ、一気に駆け上がる。


 ふたりに負けないように。

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