第4話 この天の音に――


 あの日以来、高島琴音とは、時おり会話する関係となっていた。

 けど、それ以上ではない。そもそも、あまり機会がない。

 こちらも部活があるし、彼女だってそうだ。

 それにもし歌手だったりしたら……、それこそ俺より、はるかに忙しいだろう。


 音楽室に行って歌声を聴くこともなくなった。

 盗み聴きはなんだか悪いし、それにCDを買って、いつでも聴けるようになったからかもしれない。

 例の曲を歌っているアーティスト名は、『天音あまね』である。けど、ジャケットに本人の写真はなかった。

 ――いよいよあやしい。


 4時限目の体育の授業がおわり、更衣室から直接食堂へとむかう途中に特別棟を眺める。

 すると、音楽室のある廊下に人影が見えた。

 きっと琴音だ。


 音楽室へと急ぐ。


 階段を駆け上ってゆき、最上階の廊下を奥に進むと、音楽室が見えてくる。


 ~~♪


 あっ、聞こえてきた……!


 足を忍ばせて、雑音を消す。

 扉のそばまでより、耳をすませる。そうすれば、中から彼女の歌声が聞こえる。

 ――そう、甘くて美しいけれど、とてもきれいな歌声が。


 ――っと、声が聞こえなくなった。


 この場を去ろうか迷う。

 しかし、ここに残ることを選ぶ。さらにまた一歩踏み出すために。


 扉が開く。

 彼女が出てくる。

 そう歌声と同じく美しいかんばせをした、ショートヘアの女の子が。


 ――あれ?



「ねぇ、どうしたの? 音楽室に何か用事あった?」



 静かな廊下に、彼女の声が響きわたる。

 琴音とまったく同じ声だ。


「高島?」


「……そうだけど。――けど、高島先輩でしょ、後輩くん」

 彼女は俺の赤いネクタイを見て、言った。


 俺も彼女の制服のリボンを見る。

 緑色だ。

 ということは、ひとつ上の3年生だ。


 琴音が先輩になった。

 俺は、狐につままれてしまったのだろうか?


「あっ、もしかして琴音ちゃんのカレシ?」

「っえ?!」

「その反応ってことはマジ?! 最近あやしかったんだよね。なんかいきなり私が音楽室にいるのか、スマホで聞いてきたりしてさ」

「いや、ちがいますよ!」

「そうなの~?」

「はい、ただ、忘れ物をいっしょに探してくれたんです」

「ふ~ん、そうなんだ」

 彼女は、いたずらっぽく微笑む。そのコケティッシュな表情は、琴音とまったくちがうと感じる。


「まあいいや、この話はまた今度ね。――私は、高島天音あまね。よろしくね」

「高島のお姉さん……ですか?」

「そうだよー」

 なるほど、姉妹だから琴音と声が瓜二つなわけだ。

 けど、注意深く聞くとすこしちがう気がする。ほとんど変わらないけど……。


「あっそうだ、せっかくだから私の歌を聞いてってよ」

 返事をする前に、腕をつかまれて、音楽室に連れこまれてしまった。



「さあ、お客様、どうぞ~」

 ていねいにも椅子が用意され、なかば強引に着席させられる。

「ではでは、ご清聴ください」


 天音は、ひとつ深呼吸すると、一瞬にして顔つきを変える。その表情は、まるで普段の琴音のようであった。


 彼女は歌いだす。

 とてつもない声量に圧倒される。

 そして、その歌声の甘美さにも……。


 やはり、この歌声だ。



 俺はさとる。


 ――つまり本当は、この天音の声に魅入られていたのであって、琴音ではなかったんだ……と。


     *


 風呂上り。タオルで頭をふきながら部屋に戻ってスマホを見ると、メッセージが届いていた。


“高島琴音です”


 そのメッセージを確認するやいなや、電話がかかってきた。

「はい」

「『あ、高島琴音です。杉藤先輩ですか?』」

「そうだよ」と答える。


 琴音の声を聞くと、姉の天音にそっくりだとあらためて思う。


「『あの……今日、姉が何か迷惑をかけましたか?』」

「いや、とくに何もなかったよ。ただ――」

「『ただ?』」

「お姉さんがいるなんて知らなかったよ」

「『すいません。けど、ああゆう姉なんで……』」

「ははっ、言いにくかった?」

「『ええ、まあ……』」

「たしかに、自由奔放だね。けど、いいお姉さんじゃないか。それに、歌もうまいし」

「『もうわかったんですね』」

「うん、――あとそういえば、また歌を聴いてほしいっていわれた」


 どういうわけか、返事がなかなか帰ってこない。

「高島?」

「『……お姉ちゃんには――』」

「うん?」

「『――お姉ちゃんには、すぐ携帯番号教えたのに、私には教えてくれなかった……』」

「えっと、それは聞いてこなかったからで……」

「『だから、この番号をちゃんと登録してくださいね』」

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