第3話 そっとやさしく愛らしく、まさに心から歌うように、そしてそれが広がってゆくように
「――
お昼時、食堂へといたる渡り廊下で、凛とした声が響く。その声で、すぐに
「これから食堂ですか」
「いや、これから――」
――音楽室に。と、言いかけてやめる。
まだ琴音は知らないはずだ……。俺が、彼女の歌をひそかに聴いていたのを。
「――購買だ。今日はパンの気分なんだ」
「なら、いっしょにお昼どうですか?」
「いっしょに? 高島と?」
「……先輩が、さそったんじゃないですか? ――自己紹介までして」
そうなるのか? けど今思えば、そうとらえられても仕方ないか。
「わかったよ。……けど食堂はやだよ」
「恥ずかしいのですか?」
「同級生にからかわれるのがいやなんだよ」
「……そうゆうものですか?」
「そうゆうもんだよ、男子は」
「では、どこにします?」
俺は、特別棟にむかう中庭の通りを見る。
「音楽室は?」
「音楽室は飲食厳禁ですよ」
「そっか……じゃあ、どうしようか?」
「すこし待っていてください」
琴音はスマホを取り出し、何かを確認したあと、言った。
「いきましょう、音楽室へ」
「音楽室は飲食厳禁だぞ」
俺は、いだずらっぽく彼女の言葉をそのまま引用する。
「もちろん、知っていますよ」
それに対して琴音は、はにかんで答えた。
――まただ。彼女がたまにする、そのやわらかい笑みを見ると、心が跳ねる。
*
音楽室の前までやって来る。
しかし、女の子とふたりきりで、どうすればいいんだ?
そうだ! 質問するしかない。
というか、それしか知らない。
「……えっと、吹奏楽部だよね。楽器は何やってるの?」
けど、質問レパートリーはあまりない。
これでやってけるのか?
そう考えているうちに琴音は答える。
「クラリネットですよ」
彼女は音楽室の前においてあった椅子にすわる。
いっぽう俺は、廊下の窓辺によりかかる。
「クラリネットか……、やっぱり吹奏楽だとB♭管になるの」
「ええ、まれにA管は使われますけど、やはりB♭ですね。指使いはおなじですけど。バイオリンを弾く先輩には、A管のほうが馴染みがあるでしょ?」
琴音は、購買で買ったメロンパンを一口サイズにちぎって口に運ぶ。
「……先輩は、どうして音楽をやめたのですか?」
今度は、彼女が
窓辺から校庭を眺める。早々に昼を食べおえた生徒がバスケをして遊んでいる。
「そうだな…………」
「すいません。聞いたらダメな質問でした?」
「……別に、深刻な理由じゃないよ」
チョコパンを一口ほおばって答える。
「ただ、色々とスポーツがしたかっただけだよ」
そして、彼女に手を見せる。
「傷だらけですね……」
「この前、スパイクで思いっきりふまれたよ。それに、つき指でうまく動かない日もしょっちゅうある。だから、こんな手で楽器はつづけられないよ」
彼女は静かに聞いている。
「――けど、楽しいよ。好きでやってるんだし。音楽もやめたわけじゃない。だって音楽は、つねに日常にあるものだから」
すると、お昼の放送で曲が流れてくる。それは、例の青春の甘酸っぱい恋の歌であった。
「これ流行ってるんだね」
「……そうですね」
「クラシックをカバーして、歌をつけて、流行るなんて世の中わからんよなぁ」
「……はい」
「あれ……」
「どうされました?」
――今まで気づかなかったけど、琴音の声とこの曲の歌声は、とても似ている。流れている歌をもっとよく聴く。甘くて美しいけれど、とてもきれいな歌声だ。まさか、彼女が歌っているのか? こんなことはあまりにも予想外で、わかるはずもない。それに、あくまで勘違いかもしれない。けど、同時に二つの声を聴いていると、そう思って仕方ないのだ。
「……いや、美しい歌声だなって思って。君の声と同じみたいで」
「本当に、そう思いますか」
琴音は立ち上がり、すぐそばまで、せまるように歩みよってきた。
というか顔が近い……。
彼女の声と同じように凛とした美しい
「高島……近いよ」
「ご、ごめんなさい」
琴音は頬を赤くして、身をひるがえす。
しばらく恥ずかしそうにこちらを横目で見ていた。
が、振り返って彼女は言った。
「けど、とてもうれしかったです。――美しい声と言ってくれて」
琴音は、まだ、すこしだけ紅潮していた。
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