12:当然の、そして一つの帰結。
──数週間後、出戻り港。
春と雨の臭いが波に混じる、狂い咲いて花びらを散らす岸桜がはらひらと波の色を足す。消波ブロックにぶつかって砕けて、きらきらと朝日の照り返しが目を眩ませた。目を細めながらアイルは水平線を見る、うっすらとだがタークルが作り出したのであろう水域のふちが見えた。
ここ数日で色々あった、ありすぎた。
しかし結局、アイルはここにいる。
「やぁ、また会ったね」
「……あんた、今何時だと思ってるんだ?」
「散歩コースなんだ」
「あっそ」
大社の使いだという女性がまたしれっと隣に立つ。名前も知らないその役所人に話しかけられるのは面倒の合図なので正直避けたいが、避けられない理由が出来た以上アイルは大人しく彼女の話を待った。
「随分と珍しい決断をしたようだね」
「そうかな、前例がいるって聞いたけど」
「いるとはいっても君で二件目さ。そうそうできることじゃない……自分の半身を手放すなんてね」
漣と鈴の音、やっぱり驚く人は驚くのだろうかとアイルは首を傾げる。
「別に。これが一番近いんだ、だったらやるだろ」
アイルは、あのアドナーを大社に預けることにした。預けるといってもただ管理を押し付けるわけではない、研究材料として一機の
……アドナーは虹の入江の研究者の手に渡り、ありとあらゆる情報を引き出すために解剖されるだろう。パーツだけではなくシステム面にも手が入る、アクターにとってはあまりいい気分のする行為ではない。自分のもう一つの身体が暴かれるようなものだ。しかし、アイルは自身の嫌悪感よりも成果を引き出すことを選んだ。
曲がりなりにも世界を救うべく作られた機体なのは間違いない、そこから引き出せる情報にはそれだけの価値と力があるのだと大社も含め判断している。アドナーの骨と血は、いずれ武装という形になって夜鳥羽のアセンに力を与えるだろう。
タークルを殺す力を。
殺すべきものを殺す力を。
「普通、我が出るとは思うんだけどね。そこを理性で制御しきるからアクターなのか」
「さぁな、少なくとも俺は理性に飼われてるだけだよ」
普通は。
多分普通は、欲が出るはずだ。実際アイルにとってアドナーの存在確認はチャンスだった、自身を置いていったキラーズへ最大限の意趣返しにもってこいの機体だ。事実アドナーの力さえあれば恐れからタークルに手を出せないアイルであっても、前線で戦えるほどの力を得られただろう。それは憶測ではなく確信だ、アドナーは……デジール・アルムとはそういう機体だ。
けれども、アイルの半分がそうすることを許さなかった。あまりに効率が悪いと、もっと多くを殺せる方法があるのだから”降りろ”と。それは結局どうやっても脳に張り付いて離れない、まるで本能のようにこの身体と脳は多くを殺すことだけを考えていた。
……アクターは、そういう存在なのだ。
「戦うために生まれたんじゃなくて、殺すために生まれてきたんだ。どうにもならないんだったら開き直るしかないだろ」
己が半身を武器に作り替えて尚止まらない衝動は、今の自分には大きすぎてきっと自分が壊れてしまう。だから、壊れない方法で進み続ける。
受け止め方が変わっただけだ、アイルは何一つ変わっていない。
「ちょっと垢抜けたね」
「あんまり嬉しくない」
「大人になるってそういうもんさ。……っと、そろそろ時間だ。私はそろそろ行くとするよ」
「契約取りに?」
「お仕事だからね」
「がんばれ」
「あぁ、きみも」
◆
手も振らずに彼女を見送り、アイルは水平線の先に一つの機影を見つける。時間通りにやってきたそれは徐々に大きくなり、見慣れた背丈のアセンが大きな風を纏って港に着く。到着の勢いで海水が跳ねあがって雨のようにアイルに降り注いだ。
波を砕きながら足を付けたそいつは逆光を受け影を落とし、エメラルドグリーンのアイラインをちろちろと輝かせる。コックピットがぱかっと開けば、記憶に朧気だった形が質量をもってそこからこちらを見下ろしていた。
「君がー! アイルかー!?」
”彼”だと一発でわかった。
「はい! 俺です!」
「そうかー! 待っててくれーっ今降りるーっ!」
「待ってるんで大丈夫ですよーっ……あっ」
「あっ、」
朝の待ち合わせを交わした相手がわたわたしながら降りてくる、あまりの忙しなさに足を滑らせて。
「おあ゛ーーーーーっ!?」
海に落ちた。
「アストラさん!?」
慌てて傍まで行ってみればまぁバシャバシャと溺れかけているじゃないか、予想していない勢いにアイルはとりあえず救助優先だと海に飛び込んだ。早朝の海、ぬるい潮の匂いを掻い潜りながら彼を引っ張りすぐそばの岸に這い上がる。遅れてやってきたびっくりさ加減に、アイルは肩で息をしながら隣でぶっ倒れたまんまの”彼”を見た。おかしいな、この人こんなドジだったのだろうか。
「も、もうしわけない……私その、全身機械化してるから泳げなくて……」
「だったらもっと慎重に降りてくれ……! いきなり何事かと思ったぞ……!」
「いや、その……一秒でも早く話がしたかったんだ……」
落ち着きを取り戻しながら彼は大きくため息をつく、全身機械化しているとはいっても見た目は人間と何ら変わりない。記憶にある数年前の姿のままだ。
「初めまして、そして久しぶりだな。アイル。……私は#ASTRこと、クリーガァだ。一応二号機ということにはなっているが、人格はそのまま引き継がれているのでこまいことは気にしなくていいぞ」
「しれっとものすごい情報出したなこの人……でも、久しぶりっていうことはやっぱりそうなんですよね?」
「あぁ、もしかしなくてもキラーズから機体パクって脱走したバカ一号は私だ。きみのことも覚えているよ、……ものすごい情けない姿を見せてすまなかった……私すごい残念な対応してたよな、ごめんな……」
大の大人が手で顔を覆い縮こまるのを見るのは正直慣れたが、シュールなものはやっぱりシュールで。っていうかやっぱあれ夢じゃなかったんだなと思いながらもアイルは彼、クリーガァに気にしてないと伝える。
「小説の続き、読めたのか?」
「ものすごい勢いで擦るじゃないか。いや、悲しいことに手に入らなかった。……本当に何の為に逃げたのか分からなくなるよな」
あの日の続きだ。
「でも単に逃げたってわけじゃないんだろ」
「どうしてそう思う?」
「雷装、あれは貴方の機体が元なんだろ。島守さんに聞いた、貴方がデジール・アルム……サマネアを提供してくれたから”間に合った”って」
「らしい言い方をするなぁ、あの人も。まぁそうだな、提供したのは結果みたいなものだったが、そういう形にはなるな」
自分のやり方ではタークルを殺し切れないから、まぁそういう形に落ち着いたのだと彼は言う。
「困ったな……話したいことが沢山あるのに、どこから話せばいいのやら……」
「なら、俺から聞いてもいいか」
「あぁ」
怖い。けれどもそれをできる限り表には出したくなかった。必死に言葉を探す、けれども喉奥から引き出された言葉は。
「……、どうして、俺は置いていかれたんだ」
なんてことはない子どもの声だった。
「私が指示した」
クリーガァはそんな此方の感情なんて知る由もないのだろう、あっさりとそう告げる。
「というか、……まあそうだな。やっぱり私が指示したことになるんだろうな」
「というと?」
「当時のキラーズは少々ごたついていてな、ぶっちゃけいえばタークル相手に勝算があるのかないのかで二分しつつあったんだ」
よくある話だ。
「私は”ない”派だった」
最前線で戦っていたからこその感覚がそうするしかなかったのだと彼はため息まじりに水平線を見る、その吐息は限りなく呆れの色があった。
「次に目覚めるのがキミだと分かっていた、だが勝算がない状況でキミを……こどもを、デジール・アルムに乗せたくない。……というそういった旨の話を知り合いにした覚えがある。そしてきみが夜鳥羽にいるということは、多分彼女も同じ想いを抱いていたのだと思う」
すまなかった、と。
血が滲むような声が、波の音を突き破るように静かにアイルの耳にこびりついた。
身勝手ながら多くのものを託したことを、そうして特に責任を持つ覚悟もなくそういった言葉をかつて吐いたことを。きっと彼にとっては本当に細やかな、日常会話程度のことだったのだろう。それが何かの形で波が大きくなり、アイルは結果的に言えばこの島に置き去りにされた。
「知っていながらすぐに会いにくることができなかった。……すまない」
「……いい。確かに苦しかったけど、全部悪かったわけではなかったから」
「そう、か」
こうして自分で考え続けたことでこの決断をすることができたのだ。悪くはなかった、これでよかったわけではないけれど。
悪い結果では、決してない。
「なぁクリーガァ、今はどうなんだ」
「今?」
「勝算、どれくらいある?」
「……ははっ、なるほど。そうだなぁ……今までは維持するだけだったが、きみが新たに情報提供してくれた分はかなり大きい。今までよりも多く殺れるようになるはずだ」
「それ聞いて安心した」
「そこでか?」
「うん。だって俺のやったことは無駄なことじゃないってことだろ」
「そういうことか、なるほど。きみはきみで苦労したんだな」
春の冷たい風が頬を撫でる、いつか自分もこの風に慣れて暖かさを感じるようになるのだろう。それと同じようなものなのだ。
「決して無駄にはしない、そのためにもこれからも頑張ろう」
差し伸べられた手を握る。
「――あぁ、これからよろしく頼む」
やることは山積みだ。実際、機体を提供しただけでは終わらない話なのだ。機体本体を預けたとはいえ最終的な権利はアイルにある、抽出される技術の取り扱いや派生する問題などには立ち会わなければならない。
回り道には変わりないのは確かだが、せめてそこぐらいは頑張ろう。
もう、迎えを待つ子どものままではいられないのだ。
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