10:待ち人至る。

 ”光はただそこにある、光はただ光であり、そこに意味を見出すものこそが人である”

 特徴的だった一節を思い出しながら、アイルは車の後部座席に揺られながら早朝の日差しに目を細める。くらくらと小刻みに震える座席と車、道の悪さはまさしく山道。人の足ではまず訪れることはない深い緑と土の臭いがガラスを突き抜けてこちらまで届くような、そうでもないような外を眺めながらアイルは欠伸を噛み殺す。


「まだ眠いのなら寝てて構わないぞ、着いたら起こすから」

「寝れるかな」

「はは、確かに」

 

 おはようみたいななんてこともない会話をしつつアイルは少し前を思い深ける。

 大社からの呼び出しというものはこの島では強い力を持つのか、たまたま行先が一致していたらしい”彼”の車に同乗することになったのは昨日のこと。わざわざ紙の手紙で送られてきたそれを、トウチカ爺さんは特に驚く様子もなく「行ってこい」と背を叩き。そして、特に拒む理由もないアイルはまた何となく流れのままこの場所にいる。


「もう少しの辛抱だ、ここさえ抜ければ多少道も楽になる」


 隣の”彼”が苦笑する。その膝の上には小型PCが開かれて、現在進行形で彼の指はキーボードを叩いている。普段から大変なんだろうなとはずっと思っていたが、その人は車の中でもやるべきことが山積みらしい。


「酔わないのか?」

「もう慣れた。きみはこんな大人になっちゃいかんよ」


 金と橙の入り混じった髪を掻き上げながらため息をつくその顔は、若者というよりも少年のような形をしていることもあってが違和感が凄まじい。しかし、そんな彼にこの夜鳥羽区画は守られ続けているのだから世の中不思議なものだ。

 ……夜鳥羽海域保安隊、本夜鳥羽支部長ルル=ジャッカ。簡単にいってしまえば保安隊の偉い人で、いろんな意味で目立つ人の多いアセン乗りの中でも一際知名度の高い有名人。誰がいったかあだ名は”不動の総大将”、業務に忙殺されて年間行事ぐらいしか出撃できないという噂を聞いたがあれは本当なのかもしれない。

 だが、その実力はアクターでさえもねじ伏せるものだ。何度か彼が大型のタークルを仕留めたというニュースも放送で聞いたことがある。しかし、アイルがそんな彼の隣で比較的にフランクに喋ることができているのは理由はあった。


「しかし驚いたな、データは貰っていたがCUTTERがこんなに若い人だったとは」

「俺もです。RURUさんがまさかこう……そのまんまだとは……」

「よく言われるよ。いやー今朝はごめんな、僕も自制はしているつもりなんだけど」

「本人確認できたから気にしてないですよ」

「ははは、だったらヨシってことにしておこうか」


 なんてことはない、レイラインの掲示板で何度か喋っていたのだ。アセン乗りとしてのIDを紐づけることで閲覧と書き込みが可能になる地元の掲示板、その中のタスク:オールとよばれる枠でアイルはルルと幾度か相談に乗ってもらったことがある。ルルの存在は掲示板を勧められた頃から知ってはいたが、よもや本当に出てくるとは当時は半信半疑で勝手に怯えていたのをよく覚えていた。

 

「色々手伝ってくれてるって聞いたよ、家がなくなって大変だろうにすまないね」

「いえ……やることもないですから」

「漁師の仕事、今は止まっているんだったか。まぁ大丈夫だよ、僕たちが死ぬほど頑張って戦線が安定すれば海も戻るさ」

「期待してますね」

「あぁ、どーんと大人に任せたまえよ」


 掲示板で相談に乗ってくれた時のようにルルは気さくで豪快で、保安隊のリーダーというよりかは気のいい兄のような感覚に変な感じがする。──その横顔に、朧げに記憶に残る彼が重なった。あんなことになる前はもっと明るかったのだろうか、アイルの記憶はもうそうだとは答えてはくれないほどに劣化している。


「その様子だと虹の入江は初めてみたいだね」

「まぁ……、はい」

「そう緊張しなくてもいいさ。っていっても気を張るよな、分かるよ」


 僕も今ものすごく胃が痛いんだ。と、ルルは笑う。


「多分契約の話だと思うんですけど……まだ、具体的には決まってなくて」

「……。そうだね、それは大事な決断だ。特に外から来た人間にとっては大きなものだろう。僕もそうだった」

「えっ外出身なのか、てっきり綿葉かと」

「よく言われるよ、一応僕は元々外海からの派遣だからね。ちなみにパライソ出身でーす」

「あの修羅の国の!? 全然そうみえない……」

「うん、パライソの外部印象に関しては後々じっくりお話するとして……きみに聞いてみたいことがあるんだ」

「俺に?」

「差し支えなければでいいんだが──きみは、アセンに乗った理由を覚えているかな」


 曰く。

 アクターはアクターとして開花したその瞬間、すでに自身の化身であるアセンを所有している。しかし大半のアクターはその始まりの瞬間を覚えてはいない、気が付いた瞬間にはもう戦っているのだ。それ以前の記憶を、アクターは自身のものだとは認識しない。しようとしてもできない、”変質”してしまうのだ。

 実際アイルにもそういった感覚はある。今の機体……カッターに乗る前の自分と、今の自分が根底から違う存在なのだという感覚だ。以前の名前を今呼ばれても、きっとアイルはその名に振り返ることはできないだろう。事実、その日を明確な形で思い出すことは出来ない。

 ただ、漠然と憶えていることとすれば。


「やらなきゃ、って思ったんだ」


 この島に置いて行かれて、トウチカ爺さんの元に引き取られて。爺さんのすすめで漁港の手伝いをしていく最中にタークルが沿岸まで突っ込んでくる事件があった。あの時はまだ雷装が普及しておらずそういうことはわりとよくあったのだが、その時は特別運が悪かったのだ。

 当時は知らなかったが、あの時は旧約戦が始まったばかり。港に残っているアセン乗りは少なく、保安隊も人手不足だったらしい。嵐の夜、時間がなかった。


「待てば、もしかしたら何もしなくてもどうにかなるかもしれないけれど」


 倉庫でコイルの予備パーツ用アセンとして保管されていた乗り手のいないカッターが、叫んだ”来い”という聲がまだ耳に残る。

 当時は本当はアセンにまた触れることを恐れていたはずだ。本来なら乗るはずだったのに手のひら返しされて、自分自身にできるのかどうかさえ不安で仕方がなくて。だからこそ、アイルは。


「何もしないまま待つ選択をする自分を、俺はあの日で殺しきらなければいけなかったはずなんだ」


 熱を持つ思考がナイフを喉元に刃を滑らせる。普段深入りしない深海とよく似た心象にきっかけと同時に錨を引き上げる、両の手を握り額にこすり合わせる祈りのような形をとりながらアイルはその冷たさを思い出す。

 振り下ろすべき相手がいないこの感情がないものだから、照り返って自分に帰すしかない今。くすぶり続けている自分を蹴落とす時ばかりを待つ俺は。

 すぐにでも、引きちぎらなければなないもののはずだった。


「その様子だと、やりきれなかったみたいだな」

「……残念ながら」

「悪いことではないよ」

「でも、良くもない」


 気が重い自分が本当は嫌いだ。

 帰るべき家が、もうないかもしれない。キラーズは自分のことを忘れているのかもしれない。けれど、自分はこのままこの島に居続けていいのかも分からない。宙ぶらりんの気持ちのまま、決めていいことなのかも分からない。そうして不安に胡坐をかいている自分が本当は一番大嫌いで。

 帰るべき家を探しているのも事実だ。

 自身を捨てた彼らへの憤りが未だに燻っているのも事実だ。

 この島で得た日常を守りたいのも事実だ。 


「きみも十分すぎるほどにアクターだな、Air」


 戦うべき場所を、探しているのは紛れもない本能だ。


「どうかしてるよな」


 アイルは笑う。ルルは笑わなかった。

 車は停止する、思考も肉に合わせて足並みを揃える。

 強い予感、浮足立つ感覚。まるで夢見がちで現実感のない意識が引き上がる、写真でしか見たことのない光景が窓の外に広がっている。扉を開く、山に囲まれた湖に取りつくように神社のような建物が鳥居の先に陣取っていた。


「さ、行こうか。……きみの戦場が見つかることを祈ろう」


 まるで出撃するかのような覚醒した意識のまま、アイルは鳥居を潜った。



 何にも縛られないイメージのある夜鳥羽だが大社だけは別格だ。

 静かの海大社。夜鳥羽諸島を管理する公的機関であり、アーセナル海に属するほぼ全てのアクターを一括で管理しているシステムそのもの。国教のようなものといえばそうなるのかもしれないが、よそ者であるアイルにとって彼らの教典は手に取ったところで馴染みが浅く理解までは至っていない。

 海に沈む前にあった文化を残しているのだと大社の案内人が言う、橙のような赤い木造のように見える不可思議な建物。祭りの造形のまま家を建てたらこうなるのだろうか、茫然と、しかしキリキリと脳内が目を凝らし続けている。

 ここはどこか妙だ、カッターに乗っているわけではないのにアイルの頭はまるで海に放たれたように臨戦態勢を取っている。隣を歩くルルは「そういうところらしい」というのだから、この感覚はアクターならではのもののようだ。


「じゃ、僕はこっちだから。また後で」

「あ、はい。……また後で」


 そうこうしているとルルはルルで用事のある部門についたらしく、終わったら入り口で合流する約束をして別れる。

 一人になったアイルは係員と思しき人間を捕まえ要件を告げると、また奥の方へと通されることになった。道中、会話はなかった。長い通路を抜け、階段を降りた先に広間が見える。提灯に照らされた暖色の明かりの下に、誰かがいる。

 透き通った黒い髪を垂らした、女性……のような男性のような。どちらにも見えるような顔つきがこちらを見るなりふにゃりと笑う。


「こんにちは、一応初めましてだな」

「あなたは?」

「みんなからは”島守”と呼ばれているものだ、お手軽に島守さんと呼ぶといい。タメで構わんよ」


 ”それ”は島守と名乗る。

 覚えがあった、大社の頭とされる人物だ。そしてアクターの中でも上司として扱われている謎の人。つまり、夜鳥羽の中でもものすごく位の高い重要人物ではないか。よもやそんなに重要な話なのだろうかとアイルは身構えるも、彼/彼女は手を振りながら「まぁ確かに重要な話ではあるんだが、そう身構えなくていい」と苦笑する。


「契約のことだと思っていたようだな。いやまぁ確かにそこもまぁおいおい詰めなければならない話ではあるんだが、

「どういう意味だ?」

「きみの出自に関係することだ」

「……キラーズ、のことか」

「あぁ、しかし先にスタンスを明かしておこう。現状彼らとは手を組む以前の段階にある。そして、彼らはきみを探している」

「え……」


 さらっととんでもないことを言われた気がして、思わず聞き直す。キラーズが? 俺を?

 置いていったのに?

 今更?


「正しくは彼らの機体を動かせる適合者を、だが……だからこそ、我々としてはきみをキラーズに明け渡したくないんだ」

「理由を聞いてもいいか?」

「キラーズを信用できない。ついでに彼らのスタンスが個人的に気に食わないせいで早々に喧嘩を売ってしまった身でな、島は守りたいが彼らを受け入れるのが凄まじく癪だ」

「あの、俺にはものすごい私情に聞こえるんですけど……」

「大丈夫だ、正しい。……というわけできみのことも知っていたが情報を握り潰してしまったのでどう謝るべきか今考えている。すまん、きみが大社との契約を蹴った理由も把握はしていたのだが……こう……色々あってな……、すまん……」

 

 ぼろぼろ威厳のボロが出てくる島守だが、色々考えた結果実際話した方が早いという結論になりこうしてアイルを呼び出したのだという。


「しかし、こちらのシステムの性質上無理に大社に入れとは言えなくてな。まずすべきことをこなしておくべきだと判断したんだ」

「すべきこと?」


 島守は問いに答える代わりに何かの合図を送る、そして壁だと思っていた場所がぱっと白く色を放つ。眩しさに目を細めながらそちらを向けば、そこには。


「っ……!? うそだ、なんで……」


 白い、騎士のような鎧の形をしたアセンが吊り下げられていた。記憶が傷と共に開く音がする、覚えている、憶えている! ましろの鋼、吸い込むような黒い骨、角らしい角のないなだらかな装甲と鳥の翼のような飛翔用のブースター。ライトに照らされ輝きを吸い込むほどの白、その形をアイルは知っている。


我欲の凶器デジール・アルム……!」


 タークルを殺すために研磨されたナイフ、しかもそれはアイルにとって最も見覚えのある機体だった。


「アリトモス号の残骸から発掘された機体だ、検査の体で押収した。名は──」

「アドナー」

「あたりだ、やっぱり直接呼んで正解だったな」


 ひとりでにアドナーのコックピットが開く、話をしようと手を差し伸べているように。その大きな影に飲み込まれそうな感覚にアイルはくらりと倒れそうになる、あぁ夢ではない。夢ではなかった、しかしこんなことがありえるのか?


「彼が、きみを呼んでいた」

「……当たり前みたいに言うんだな」

「アクターとの付き合いは長いからな。電子が人格を得る時代だ、鋼が命を持っていてもおかしくはない」


 いつか乗るはずだった機体を目の前に、アイルは不思議と鼓動を聞いていた。自分のものだ、今まで聞こえなかったはずのものが蠢いている。そうしてアイルはようやっと気が付いた。

 あぁ、俺は今まで死んでいたのだ。


「乗る乗らないは別として、彼にきみを返却しておきたかったのだ。──これはお前の心臓、そのものだろう」


 何かが違えば命を預けていた身体。

 アドナーの手を取りながら、その冷たさに懐かしさを思い出す。

 

「少し話してもいいか?」

「もちろん、ちゃんと話し合っておいで」


 意識が火花を立てて光を認識しはじめる。あぁ、あまりにも遅い。遅いからこそアイルは理解しつつあった、己の戦うべき姿と場所を。そしてそれはあまりにも長く、そして自身の人生にとってはあまりにも残酷なものだということを。

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