09:今日を繰り返しても、明日は向こうからやってくる。

 港に戻った頃には夕暮れの橙が波を染めていた。ガレージに戻ればまだ業務中の人たちが作業片手に「おかえり」と声をかけてくれて、ようやっと独特の緊張感からカッターは──アイルは解放された。

 コックピットの中で肩をほぐしながらデータの確認だけしていると、ぴろっと通知が鳴る。カゴヒキさんからだという表記の下、おつかれさまと可愛らしい小鳥のスタンプが送られてきていた。どうやらこのまま補給してまた最前線に戻るらしい、大変そうだなと思いながらもアイルはスタンプを送り返せばありがとうと小鳥が笑った。

 コックピットから降りると隣から生のコイルの声があくびをしているのが聞こえる。いつも通り充電切れらしく、ふわふわとした足取りで「やっほー」と手を振っていた。


「アイルおつかれさま~、この後どうする?」

「おつかれさま、リース。俺は寄宿舎に戻るよ、爺さんも待ってるし」

「おっけー、んじゃあカッターの分も後処理しとくよ。そのうちなんか奢ってね」

「りょーかい」

 

 なんかいいの見繕っておかないとなぁと考えながらも、アイルは保安隊基地に戻る隊員に声をかける。どうやらサイさんは少し前に帰ってしまったらしく、かといってゼルトナはあの後すぐにまた前線に戻ったようだ。出戻り港らしからぬ慌ただしさに、どこか浮足立つ感覚がくらくらと足もとを揺らす。

 あの淀んだ出迎え原の光景が目の裏から剥がれない、カッターからアイルというこの姿に戻ってのどろりとした水が全身を濡らしているようで。

 車の窓の先にざわめく水平線にまたいくつかの機影が上がる、その先は落ちていく日しかないような不安感はいままで見てきた光景の中でも異様なものだった。


 ◆


 それから、アイルは復興作業を手伝いながら寄宿舎と港を往復する日々が続いた。寄宿舎では基地の掃除や洗濯などの雑務を手伝ったり、巡回の手が少ないとなれば港まで送ってもらって海へと繰り出した。

 日にちが進むたびに復興の傷跡は確かに癒えていったが、真逆に海は危険度を増していく。小型のタークルが防衛線を破って沿岸に現れることも増え、回数を増すたびに夜鳥羽はその危機感に慣れていく。警報の音にも慣れた市場は数度それが鳴ろうが店をたたむことはなくなり、徐々に日常に戻っていくように見せかけて前線への圧は強まっていく。

 誰もがどうにかなると期待しながら、膨らんでいく不安を笑顔で捻り潰すように。漠然とした緊張感が夜鳥羽に流れるようになった。いつはち切れてもおかしくないのに、今日は大丈夫だと毎日を繰り返していく。

 アイルとしては漁ができないことやトウチカ爺さんが若干の体調不良なのも重なり、そういった緊張感にはとくに敏感になっていた。だからこそひたすら雑務に没頭し、己の思考を物理的な忙殺で止めようとした。結局今なにをするのかなのだからと。

 そんなある日。

 ようやく暇が取れたコイルことリースに飯奢れコールをされ、何がいいと聞き返せばブラックアウト(自動レストラン)のラーメンが食べたいと彼女は言った。


「いいのか? 表通りの屋台とかもう出てるだろ?」

「いーの、たまにめちゃくちゃ食いたくなるんだよね。ここのラーメン」


 あと人の財布で食う飯は無条件にうまい! とリースは箸片手に笑う。お行儀良くないから箸を人に向けるのはやめなさいとつっこみながらも、自動販売機からようやっと出てきた自分の分のラーメンを手に席へとついた。

 その時、リースは自分の髪を噛みかけていた。今日はふわふわとした髪をいつも通りに束ねるわけでもなく野放しにしているが、アイルの目の間での彼女は大体こんな感じだった。海風で痛んだ髪をリースは気にしているらしいのだが、不思議なことに実際に気にしている素振りを目の前では見たことがない。

 見かねてアイルは予備の髪ゴムを使うか聞いたが、リースは断った。今日はオフだから、と。


「気合入っちゃうからね、うん」

「それは……困るな」

「でしょー、まぁ切っちゃってもいいんだけどそうすると首寒いんだよね」


 そんなこんな他愛のない話ばかりをした。最近の巡回やべーよね、とか。屋台の新商品が美味しいだとか。本当に大したことない話ばかりだった。もしかしたら何も起きていないのかもしれないなと錯覚するほどなんてことなく、けれどもまた外から聞こえる警報に夢ではないのだと叩き起こされる。

 窓からみた外はまた少し慌ただしくなり、そしてまた収まっていく。端末に通知がこないということは誤報だったらしい。情報にほっとしていると、じっと外を見つめていたリースがぽつりなんてことなく話を切り出した。


「アイル、あたしね、大社と本契約することにしたよ」

「……、そうなのか?」

 

 正直、かなり驚いた。確かに彼女は漁の護衛役で戦いには長けているし、度胸に関しては彼女から習ったところも多い。リースなら戦いが主眼になってもやっていけるだろうということは分かるし、そもそも遅かれ早かれ静かの海大社と契約を交わすことにはなっていただろう。

 しかし、それが今だとは思っていなかった。

 

「うん、まぁ色々考えたんだけどね。そりゃまぁ前線こわいなーって思ったのはそうなんだけど」


 今契約に応じれば、それはいずれあの前線そのものに向かうことになるだろう。状況はもう変わっている、しかしそれはそれで飲み込んだのだと言うようにリースは窓の外の空を見つめていた。


「多分これからはあれぐらいの敵がいっぱいくるってことだろうから、どうせいつか契約するなら今のうちにやっちゃっていい武装融通してもらおうかなーって思って」


 照れるように笑いながら、リースは真っ直ぐにアイルを見た。


「強くなるよ、あたし」


 漁港のみんなが好きだから。

 そのしたたかさと本音にアイルは射抜かれるような気分だった。強くなる、強くなりたい。その理由も本音もはっきりとしていた彼女が少し眩しくて、そういう風に感じた自分自身が悔しくなった。

 もう、現実逃避をしてる場合じゃないのかもしれない。


「じゃあ前祝いだ、何飲む?」

「よっしゃ! じゃあお高い方のサイダーね!」

「躊躇いなくいくなぁ!? いいけどさぁ!」


 ごまかしと一緒に笑う、これっきりになるわけではないけれど確かに何かは変わっていく。そろそろ自分も本気で考えなければならないと動き始めた思考は、まるで血が巡り始めた細腕のように蠢き始めている。

 

 その数日後だった、アイルの元に”静かの海大社からの呼び出し”が届いたのは。

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