07:前提情報が誤報だった場合は労災が出るぞ。
出迎え原は夜鳥羽から少し離れたところにある群青の海だ。その場所は他の海との環境的な都合上夜鳥羽を目指すなら必ず航行することになるし、船以外のものも外からやってきたものは大抵この場所を通過する。深度は深いが障害物も少なく大きな珊瑚と流れ着いた瓦礫がささやかなバリケードのように組まれ、環境生物もまたその隙間を都合のいい拠点として息をする。言ってしまえば海らしい海だ。
普段ならここら周辺は保安隊やイグニスの警邏ルート、アセン乗りならともかくその中でも戦地どころか戦いに縁がない業種であるアイルにとってはあまりお目にかかれない場所でもある。正直な話、アセン乗りの定期試験以来だ。
「実際行くとなると結構緊張するなぁ」
「だよねーわかる、まぁ役得だと思って適当に済ませちゃおうよ」
海流を風のように感じながら役得かぁとアイルは──アセン:カッターはアイライトを同行者であるアセン:コイルへと向けた。
彼女……コイルはカッターと同じく漁師組合のアセンだ、基本的に船の護衛と雑務をこなすことを仕事としている。網に引っかからないようにとあまり角の立たないフォルムと線上のアイライトは奇遇なことにカッターとほぼ同型、駆体に海中でも認識できるよう蛍光色のラインが入れられておりその色は基本的に白と定められていた。が、それ以外の場所のカラーリングについては好きにしていいと言われておりコイルは黒とピンク、カッターは黒と明るい水色とこれまた偶然対のような色彩を持っている。
しかし、普段と違ったのはお互いの背に乗せた武装だった。曲がりなりにも保安隊の仕事の手伝い、相応に危険が伴うものだといくつか前線用の装備一式を貸し出されている。おかげで普段の泳ぎより少しばかり鈍い、普段使う網や威嚇射撃用のピストルは慣れもあって重さも感じなかったがこれら本物の武器は勝手が違う。
アセン乗りになって武器の使用免許は一応取得しているが、独特の緊張感に気が気でないカッターの傍らコイルはくるりくるりとたまに回転してはゆらゆらと揺蕩うように泳いでいる。海面から差し込む太陽光が装甲に反射して、こんな状況でなければ本当にただの遊泳のようだ。
ふと、そのゆらゆらした動きでちらちらと見えるものに気が付いたカッターは進行ルートを行きながらおや? と腕を組む。
「コイル」
「んー?」
「その背中にあるものはなんだ」
「あぁこれ? 網だよ、お小遣い稼げるかなーって」
「いやいやいやそれ漁業用だろ、勝手に持ってきたのか? 壊しても知らないぞ」
「そんなぁ~! お小遣い取れたら山分けしたげるからさー!」
お願いだよ共犯になってくれよーとコイルが冗談半分に笑う。彼女のいうお小遣い、というのはこの辺近海で取れるであろう漂流物のことだろう。幸い今から向かう出迎え原はマテリアルとしての所有権は全体共有されている、気に入ったものは持ち帰っていいとのことだが流石に別称綺麗なゴミ溜めとも言われている出迎え原で小遣いに換金できるほどいいものが落ちているとは思えなかった。
さてもうじきかと適当に話をしつつカッターは流れを見る、周辺から特に異常値は検出されていない。ここらまで流れてきていた”鱗”と呼ばれる小さなタークルは見つけ次第潰している、この先も変わりなければいいのだが。
「まぁいいものがあったら考えるよ」
「いったね? 約束だぞーっとやっと出迎え原かぁ、ここ抜けてゆらめき浜から帰るんだよね」
「そうだな。でも一応慎重にいこう、前線が近い……し……」
そんな杞憂を肉付けするかのように、人間でいうところの嗅覚に相当する部分が跳ねる。使い古された油のような臭い、錆をすすったかのようなじゃりじゃりとするような感覚、どろりとヘドロのように水質が粘つきを持っているように感じるのは気のせいではないはずだ。
「うわ……何これ……ここほんとに出迎え原?」
「マップではそうなってる、けど……えぇ……?」
まだ日は落ちていないはずなのに、その海は薄ら茶に染まりつつあった。聞いていた話とはまるで違う、廃棄油でも流されたんじゃないかと思うほど濁った海。異常を感じながらもSENT(*センサードローンのようなもの)を射出し様子を探り出す。跳ね返りもまるでない、奥へ進めば進むほど──前線の方角に向かえば向かうほど色は濃くなっていく。
ぞわぞわとした寒気がフレームに走る、本能的な息苦しさを感じカッターとコイルは一度海面に浮上することを決めた。岩場に尖塔のように積み重なった瓦礫を足場として水から完全に抜けると、ドロドロと装甲の隙間に油が入り込むような感覚がして猶更気分が悪くなった。
「ひどい……」
コイルが零した言葉がすべてだった。
比較的空は快晴だったが前線がある北東方面は雲行きが怪しく、海面へと視線を降ろせば黒々とした液体と魚の死体が浮いている。瓦礫のほうをよく見ればそれは力尽きた鱗のタークルの残骸で、残骸からは体液と思しきものが染み出ていた。
前線から流れてきた死骸がこの場所で蓄積しているのだろう、ここには多くの瓦礫で出来たバリケードがある。だから引っかかって、積み重なる。
「これ全部、タークルの血だ」
アイルはここにきて初めて危機感を覚えた。正直な話、あれだけのことがあっても仕事にはあまり影響はないと思っていたのだ。シーズンを二つぐらい耐えれば元に戻るだろう、そのうち魚も戻ってくるだろうと。……それがどうだ、このざまだ。
島に来て初めてタークルが怖いと思った、この黒い血はいずれ溶けて消えていくかもしれないが、それはきっと何よりも先に夜鳥羽に辿り着いてしまうだろう。初めて災害と呼ばれたそれが恐ろしくなる、もしかしたらただ待つだけの日々にさえも戻れなくなるかもしれないのだと。
海風が背を叩く、波の音がざあざあ雨のように降りつける。茫然と立ち尽くした水平線はあの日々よりも遥かに薄汚れていた。
《こちら前線カゴヒキ! 出戻り浜警邏担当聞こえますか?》
「へっ!? あっはい居ます!!」
「いいいるよー!? こちら警邏予備班コイル&カッター! 何が来てるんですか!?」
鼓膜をたたくような勢いで無線が叫ぶ、驚きながら応答すれば無線の先もまた焦った様子で答えた。
《一匹抜けましたすいません! 多分”鰭”……だと思うんですけどそろそろそっちに顔出す頃合いです、足止めお願いできますか?》
◆
予測されたポイントに移動し武器を構え待てば、ごうごうと金属が鳴る独特の音が響いてくる。──タークルの駆動音、近い。もう目視できるほど近いはずだがこうも濁った海だと視界も悪い、しかしこうなっては絶対に取り逃がしたくないのでカッターはワイヤーを取り付けたSENTに合成敵意音を鳴らすように指示した。
ワイヤーを握りながら待つと、びぃんとワイヤーが張り詰める。凄まじい強さで引っ張られるのをスラスターを吹かしながら耐えつつカッターは相方に合図を出す。
「喰いついた。コイル!」
「よっしゃー! いくよー!」
ある程度武装を削げば相手の動きを制限できる、そう判断し先の見えない海の中コイルがワイヤーを目印に突っ込んでいく。ぼがんっ、と聞き馴染みのある水泡が浮かぶ音が前方から響く。うまくいっただろうかとおそらく食いちぎられたであろうワイヤーの先を憂いながら無線を呼ぶと、逆にワイヤーを引っ張られた。
「ぎゃーーーー!? やばい!! カッターちょっとこっちきてーーーー!!」
「わっわっ引っ張ってるのコイルか!? 何だぁ!?」
訳も分からずコイルの位置を目標に進んでいくと、そこにはSENTを噛みながらバグバグと周辺の瓦礫にかぶりつく怪魚のようなタークルが暴れ泳いでいた。少なくともカッターやコイルよりも一回り大きい……ちょっとまて一回り大きい? 鰭だぞ? 鱗より一個上ということは大きさは大体カッターを基準にしても半分ぐらいで収まるはずだ。
じゃあ目の前で暴れてるこれは?
「これ鰭じゃないよ!! ”顎”だよ!!!!」
カッターの合流を察知して早々に背中に回って隠れたコイルが叫ぶ、”顎”、つまり鱗よりも二段階ほど上の危険度。つまり、それは、その。
傭兵がちょっと気合入れて倒してがっつり懸賞金を頂けるレベルの代物で?
カッターとコイルは元々漁業用で、つまり、あまりそういった敵との経験はそうでもないので。
あー、つまり。
「「わ゛ぁ゛ーーーーー!!!????!」」
迫りくる大顎から跳ぶように離れつつ、カッターとコイルは叫ぶ。とりあえずこいつをどうにかこうにかここに縫い留めなければいけないことは分かっているので逃げ出しはしなかったが、さぁ、どうやってカゴヒキの合流まで耐えようか?
新手の試練にカッターとコイルは抜刀する、少なくともこいつに背を向ける勇気はない。なので結局、自分たちには立ち向かうことしかできないのだ。
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