06:出戻り港の鳩たちは。
同調開始、起動キーを受け取ったアセンが久方ぶりに目を覚ます。慣れた手つきで起動処理を行えば、あとは勝手にアセンが調整してくれるのだから気が楽だ。アイルはコックピットに背を預け、すぅと息を吐く。呼吸水で満たされた席、吐き出されるものはただの感傷だった。
脊髄が浮いて剥がれるような感覚、そして自分の身体は肉の四肢ではなく鋼の駆体と変貌していく。精神が解かれ、繋がって、そうして異形となる。アクターと呼ばれる所以、自身ではないものを自身のものとして乗っ取り制御する特質。武装を制御するためにシステムプログラムが必要ではあっても、コアフレームを動かすのに用意された人の言語は必要なかった。
瞼を開けば既に視界が駆体のレンズを通す、意識の身体はガレージに納められた体と同じになる。出戻り港のガレージは待機場からそのままエレベーターのように床が下降し、海に繋がった出撃レールにそのままセッティングできる仕組みだ。海上から飛び込んでいっても構わなかったが、アイルは最初から海の中から出るほうが好みだった。
安全のための拘束が解除され、いつでもいいぞと旗が振り上げられるのが見える。
「アクターAir、アセンブル”カッター”──抜錨。いってきます」
『抜錨確認、アクターAir、いってらっしゃい。良き航海を』
出撃補佐のためのオペレーターさんに送られて、カッターは光の気泡をかき分けて夜鳥羽の真昼の海へと飛び出した。
◆
同時刻、ガレージ。
アイルの機体を見送ったサイとゼルトナの間には、さながらにらみ合いのような緊張感が横たわっていた。一見どちらもなんてこともなく、何事もないような態度をとっていたがサイはゼルトナの言葉は半分程度しか実体を伴っていないのだと身構えている。そしてゼルトナは、ただそんなサイをじっと見つめていた。
「……聞きたいことが、あるんじゃないのかい」
沈黙を破ったのはサイのほうだった。ガレージの休憩スペース、自販機に据え置かれたベンチに座り込んだサイは適当に購入した珈琲を片手にただ目の前、補給中の機体だけを見ている。ベンチの背もたれに寄っかかるような形で少々行儀の悪く座ったゼルトナは、サイとは真逆の方角を──海を見ていた。
何か聞きたいことがあるんじゃないのか、そう問われたゼルトナは肩を竦めては「どうだか」と目を細める。
「世界調律機関がそう簡単に口を開くとは思えないがね」
サイはゼルトナに自身の所属を明かしてはいなかったが、ゼルトナはいわれずともサイがどこから現れたものなのかを理解していた。そしてその声色からは明らかな嫌悪と、警戒の姿勢が見て取れる。どこでもそういうものだとサイは心の内で思う。世界を影から導き調律する、とは聞こえのいい言葉ではあるがどこまで正しいのかと言われればサイでさえ首を傾げる。
とはいえ、表立つような組織ではない。サイはそこが分からないと頭をひねったが、その様子を気配で感じたのかどうなのかゼルトナは苦笑する。サイは知らない、その苦笑は心の底からの呆れからきたものであったことを。
「……俺は中央の出でね、そういう情報は見るだけで分かる」
「てっきり知らない間にハッキングでもされたかと思ったんだけどね。驚いたよ、こんなところにシャングリラの人間がいるとは。一応制限があるものだと聞いているけれど?」
「こんな田舎にレギュレーション判定の監視網なんてねぇよ、まあ一応礼儀だから現行に合わせて組んではいるけどな」
さて、と一息ついたゼルトナはそのまま視線を合わせるようなこともせずにサイに問いかけた。
「何しに来た、
がらりと空気が一変する。
潮風はまるで緊張を煽るように走り抜け、ざあざあと波の音は足元を崩すようだ。中央の戦争事情に疎いサイにでさえ肌を通じて分かる、すべてを見ている、と。
「意地悪だね、私が嘘をついても絶対に何かしらの情報をかすめ取るわけだ」
「これでも夜鳥羽には恩があってな、手段は当分選ばない予定なんだ」
「……この島が好きなんだね」
「それなりにはな」
息を吸う、息を吐く。サイはガレージのアセンを見上げた。
年季の入った機体だ、ところどころ修繕の後も見える。見たこともない骨董品のパーツ、旧世代的な古めかしい武装の数々はまるで博物館のようだった。しかし、その肩にはサイが作り出したくて仕方がなかったものが担がれている。作り出そうとしても、決まり事を理由に阻害されてできなかったものがある。
至極当然のように、当たり前に。この島の機体には世界を救う神器が携えられている。
「生き残るためだよ」
外での惨状が、道中の港の惨状が脳裏にチラつく。多くが死んだ、息を吸う権利を奪われ海に飲み込まれて。そのうちにサイは外の海から目をそらした、死の数を数としか見られなくなったこの目がだ。
サイは所属する組織──キラーズの戦う理由にすべてをかけていたはずだった。そこで活動し死を注ぐこと、それがすべてだった、それだけが世界だった。そして船が沈み、壊れ、……そして死にぞこなった。
散った仲間でさえ生きているさえ分からない、けれど。
「少なくとも私は、今更世界を救う気なんてなれないさ」
鳥の鳴き声が耳に届く。いつの間にか潮風はなんてこともなく生温い匂いを運び、波の音は太陽光を反射してきらきらと揺らめいている。そこで初めて、サイは顔を上げた。ベンチの背もたれに居座っていたゼルトナが、いつの間にか席一つ開けて座っている。
「何驚いた顔してんだ」
「いや、ほんとにいつの間に来たなと」
「あんたが目の前を見過ぎなんだよ」
そうかもしれないなとサイは笑う、その声を聴いてかゼルトナは「ふぅん」とどこか興味なさそうな態度をわざとらしくしてみせた。
「ま、いいけどな。あんたらがどうしようが、俺たちは御上に従うだけだ」
それだけ言い残し彼はガレージへと戻っていく。その背をサイはしばらく見つめ、そして見えなくなる。空を見る、真昼を過ぎた青が雲の白に揺れている。建物一つの干渉もないただただひたすら広い空、その下に一人置き去りにされたような感覚に胃の裏側が引っ掻き回されるような恐怖があった。
「……ははっ、」
顔を覆い空を隠す、茫然とした自分が腕で目を隠した。自分たちが必死に守ろうとしたものがここには至極当然にある、しかしそれは自分たちの手ではなしえることができなかったものでもあった。
「何が世界を救う
おそらくこの夜鳥羽の状況をつくったのはあの日哨戒任務の最中に姿を消した彼だろう。記録にだけ残されている希望、最初の一人。キラーズ最初の離反者。通信越しに聞いた島守の言葉が反響する。
滅びを免れるために、我々は戦争を選んだ。終わりのない闘争、平穏はない、しかし滅びはない。だから我々は協力できない。我々の海に、余剰はない。
多くを切り捨て大口を越えた、だというのにこれはなんだ。ここには世界を救う最短の答えが形として完成しているじゃないか。本当に彼らは、私たちはなにをやっていたのだ。
「ここのアセンなら、誰だろうとすべての悪魔を殺せるじゃないか」
すべてのアセンブルがタークルを殺せる、条件を満たさなければ殺せなかった奴等をこの夜鳥羽のアセンにはある武装を詰むだけで可能としてしまう。そう、我々に足りないのは悪魔を殺せる英雄ではない。悪魔を殺せる道具が必要だったのだと。
キラーズ二代目のリーダー、志四羽サイはただただ茫然と楽土の海を聞いていた。
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