05:朝靄、違う場所で目を覚ます。

 タークルの大津波の夜が明けても、依然として夜鳥羽はまだ厳戒態勢が続いていた。沖の方にまだ固まっているタークル共といい、先導灯台(*アイルとトウチカが住み込みで管理していた灯台)に突っ込んで残骸と化した謎の空中戦艦といい、少なくともアイルの日常生活を送るには随分と難しい状態になってしまった。

 あれから深夜をかけてトラックを飛ばし、アイルとトウチカ爺さんが到着したのは夜鳥羽海域保安隊の基地だった。白い鉄と色鮮やかな植物に半分ほど飲み込まれた野放しの要塞、夜鳥羽保安隊の前線基地。その寄宿舎に一時的に保護してもらうことになったらしい。

 元々灯台守の仕事自体は昔からあったが、保安隊が根付いてからは隊から依託される形で管理を行っている。緊急時以外は基本的に平和だが、港の中で一番危険な位置で仕事をしていることになる。だからこういったとき、そういった然るべきところから色々と融通してもらえるのだという。

 少なくともアイルは安堵した。トウチカ爺さんはそれなりに年を食っているのだ、何事もなく時間が立てば元の日常に戻れるという予定建てが見えるのはとてもいいことである。

 とはいえ自分たちが落ち着けていられても状況はまったくそうではなく。港付近はタークルの襲撃の余波を喰らいぐっちゃぐちゃ、恒例行事とはいえ灯台が潰れるほどのことは近年みてもそうそうない事態。どこも人手が足りていないのだと保安隊員がため息をついている。


「よっ、灯台守の少年。おひとり様かい?」


 食堂で少し遅めの朝食をとっていたところで声をかけてきたのは、オレンジのジャケットを着た赤い目の女性だった。腕を骨折しているのかアームホルダーを身に着けている上松葉杖をついている。ずいぶんと大怪我をしているようで、お隣座りますかと促すと「お言葉に甘えてそうさせてもらうよ」と猫のような笑みを浮かべ、そして。

  

「昨日はすまなかったね」


 席に座りつつ、そんな言葉をアイルにかけた。

 どういうことだろうと首を傾げると、隣の女性は困り顔で笑いつつあっさりと告げる。


「私はあの船の生き残りだよ、名前は志四羽サイ。……キラーズ開発部所属の新米さ」


 キラーズ。随分と懐かしい名前だった。世界危機を調停するべく働く世界の要、その中の対タークル戦に用意された特殊武装部隊。一般には知られていないことになっている秘密の中の一人なのだと、サイは云う。

 アイルはようやっと気が付いた、あの灯台に身を当てて崩壊した船はかつて自分を置いていったアリトモス号だったのだ。そして目の前にいる彼女は、自身を置いていった組織……キラーズの一員なのか、と。しかしサイはアイルがかつて船を下ろされた被検体の子どもだとは気が付いていないらしく、アリトモス号の惨状を零すように語った。

 

「まぁ、色々外海であってね。かなり強引に門……大口っていうんだっけ。あれを抜けてきたんだ。……そしたらあのザマだ」


 頭の中でぐるぐると思考が回る、返事をしながら頭蓋の中はまるで大渦を巻いていた。気が付いていないのか、知らないのか。そもそもあの時の自分がどんな立ち位置にあったのかさえ記憶が朧げで、だから切り出ししづらい部分もあるのだけれど。

 

「腕が生きてればみんなのこと手伝えたんだけどね、悔しいもんさ」

「だいぶ不味いのか?」

「うん、指何個か落としちゃってさ。おかげでご飯が食べづらいのなんの!」


 利き腕をやられて笑うサイに、過去のことを問い詰める気にはなれなかった。

 どうやらキラーズの隊員は大半が海上で脱出して救助待ち、事故で船から出られなくなったサイを含むメンバーも数名はなんとか残骸から助け出されたそうだ。船はかなり頑丈で形は残っていたものの、タークルに取りつかれて内側はだいぶ酷いことになっていたらしい。

 命が助かっただけ奇跡だ。

 サイも笑ってはいるものの、どこか疲れているようだった。それもそうだ。死人が出ているのだ。


「ところで少年、一つ気になることがあるんだけど聞いていい?」

「分かることでよければ」

「うん。あーのさ、あー……こう聞くと変な感じになっちゃうんだがさ。この島の人たち、どうやってあのタークルを殺してるんだい? 一応あれ、条件付きでしか殺せないって聞いてたんだけど……」


 そういえばそうだな、とアイルはあーと頷いた。

 空中に水域(*重力を無視して空中に出現する水の立方体のこと)を発生させるタークルはそれだけで厄介だが、それ以前として物理的な破壊を受け付けないとんでもなく堅い装甲がネックとなっている。それをある特殊な方法で内側から停止させる必要があるのだが、そも方法自体を知って行使していたのがキラーズという組織だ。

 タークルに対応できずに滅んだ島が外海には沢山ある、対応策に最も近いパイロット……アクター自体が希少だ。何事もなくタークルに対応できるアクターが平然とその辺にいるこの夜鳥羽がちょっとおかしいのだ。


「えーっと……この後出撃るけど来るか?」

「へ?」

「ガレージ」

「えっ少年パイロットなのかい」

「漁師です、深海で魚獲ってるほうの。今回は手が足りないから出迎え原……沖手前の臨時巡回に」


 漁師とアセン乗りの資格がいまいち結びつかないらしいサイだったが、見てみりゃわかるか! と付いてくることに決めらしかった。

 

 ◆


 漁師に警邏の手伝いをさせるのはどうなんだ、と思うこともあるが今は緊急事態。ウミネコの手も借りたいのだということが基地内を見ててもよく分かる。アイルにとっては不幸か幸か、普段使わせてもらっている漁用のアセン"カッター"は昨晩のどたばたであっても無事だった。それもそうだ、しばらく漁がなく網元ガンエンさんのガレージにしまってあったのだから。

 漁師組合のアセン乗りも駆り出されているようで、港のガレージにアセンをセッティングしておいてくれるらしい。巡回に向かう保安隊員の車に乗せてもらい、出戻り港に向かう。海に近づけば近づくほど車の窓から見える景色は鮮明に変わっていく、ひどい所は水域の撤去が終わっておらず水に飲まれたまま瓦礫が浮いている。灯台につっこんだ船、アリトモス号に取りついていたタークルがそのまま街に抜けたのだと保安隊員が語った。それを聞いていたサイは表情を曇らせながらも、「そうか」と街の光景から目を離さない。

 昨晩の幸いは、アリトモス号が港ではなく灯台に突っ込み被害を減らせたこと。光の誘導に従える程度にはぎりぎり制御可能だったということ。灯台と港が人にとって相当な距離が開いていても、空と海を自由に闊歩するタークルにとってはたいして差はない。大惨事を逃れることは出来たが、結局のところ被害は出る。

 船に乗っていたサイの目が見ている世界がどんな色をしているのか、アイルには分からなかった。

 出戻り港のガレージにはいくつかのアセンが戻ってきていたのか、それぞれ補給を受けている様子が見て取れる。その中にはあの残念なアクター、ゼルトナの姿もあった。向こうもこちらに気が付いたのか、開けっ放しのアセンのコックピットから「よー」と手を振り降りてくる。

 赤と青のグラデーションが目に留まるパイロットスーツが、ぺたぺたと特有の足音を鳴らしていた。


「アイル、お前も駆り出されたのか。漁師だってのに苦労してんな」

「まぁ……今は人手が足りないみたいだし。俺にできることならやるよ」

「相変わらずいい子ちゃんだなぁ? いいけどな。そっちのお嬢さんは何だ?」

「見学、アセンの様子を見たいんだって」


 ふぅん、とゼルトナは目を細めてサイを見た。視線に気が付いたサイは会釈し軽く挨拶を交わしたが、ゼルトナはどこかサイを警戒しているようだった。かといって目を離すほど興味がないわけではないらしく、彼女のガレージの案内を買って出る。サイのほうはあんまり深く考えていないのか、相変わらず笑ってよろしくと強引に握手を交わしている。

 念のためアイルは「今はどんな感じなんだ」とゼルトナに最前線の様子を聞いてみる。すると彼はにやっと笑う。あぁこれはだいぶお祭り騒ぎらしい。


「最前線組は大食い競争してるとこだぜ、俺は休憩で抜けてきたけどな。お前の担当は?」

「出迎え原」

「じゃ、軽い散歩だな。ただおこぼれが流れてきてる、無理はすんなよ」

「ははっ爆発で加速するおばかが人の心配するなんて、明日は槍が降るかもな?」

「くははっ、まったくだ」

 

 さて、そろそろ自分も行こう。

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