第4話 ネコは三日で忘れない


 ——人間は信じられない。

 彼女は警戒心のこもった声でそう鳴いた。


 シロから母猫の話を聞いたあと、ソマリはすぐにコトラと共に砦を出た。途中いくらか魔獣に遭遇したが、中型以上のものに出くわさなかったのは幸運だった。

 シロが襲われていた街道をまたいで森に入ると、コトラが猫の気配を感じ取って案内してくれた。便利な能力だ。そして古木の根元に出来た大きなうろの中に、白猫がぐったりと横たわっているのを発見した。

「シロのお母さん?!」

 ソマリが慌てて駆け寄ると、

 ——近寄るな。人間は信じられない。

 白猫は上半身だけ起き上がって気丈に声をあげたのだ。

 近隣の村に住んでいたこと。可愛がられたのは仔猫の頃だけですぐに捨てられたこと。野良猫だからと村人たちに追い回され石を投げられたこと。森で必死に生きてきたこと。

 白猫は矢継ぎ早に吐露とろした。

「……そっか。そんな過去があったら無理もないよね」

 返す言葉もなく、ソマリはうなだれた。すると、白猫は目を見開く。

にゃああ私の言葉が分かるの?!」

 その驚嘆の声にソマリは顔を上げた。それからこくりとうなずく。

「そうなんだ。神様からもらったスキルで猫たちの言葉が分かるんだ。怪我だって治せる。……人間を信じられないのは仕方ないけど、その傷だけでも治させてもらえないかな?」

「……なあ〜治すだけなら

 許しをもらえてソマリは少しだけ安堵した。初対面だし信用してもらえないのも仕方ない。でも怪我だけは気になっていたのだ。

 ソマリが手を伸ばすと白猫は少しだけ身体を強張こわばらせたが、何もされないと分かってようやく力を抜いた。

「怪我をしているのは足だけ? ほかに痛いところとかある?」

「……」

 白猫は返事をしない。

 しかしソマリは思った。目に見えている傷は足だけだが、きっとあちこちにアザがあったり痛みがあったりするのだろう。村人に石を投げられることもあると先ほども言っていた。猫が三日で物事を忘れるというのはきっと嘘だ。痛みも恐怖も、全部この身体に刻まれている。

 心の傷までは癒やせないだろうがせめて見えている傷だけでも、とソマリは慈しむように全身をそっと撫でた。一緒についてきていたコトラも、傷を癒やすようにマシロの身体を舐めている。

にゃああーお前は少しだけ温かい

「そっか、よかった」

にゃにゃ信用はできんがな

「あはは」

 そう簡単に信用は得られないようだ。ソマリは気を取り直して質問を変えた。

「そういえばシロから聞いたんだけど、ママ猫さんは……」

にゃマシロ

「マシロさんね。マシロさんは麦の種がある場所を知ってる?」

にゃ村よ

 野生の麦を探すより村の納屋から取るのが手っ取り早い、とマシロは言った。ソマリはうなる。

「さすがに勝手に取ると泥棒になっちゃうから、何かを換金して種を買うしかないか」

 幸運にも、連日狩っている魔獣の皮や爪が砦にある。村の冒険者ギルドに持ち込めばお金になるだろう。

 マシロと色々な話をしているうちに、その傷はすっかり癒えた。彼女はすっと立ち上がると、足の調子を確認する。

にゃあーありがとう

「気にしないで。傷が治って本当によかった。それよりも……一緒に砦に帰らない?」

にゃあー飯もあるぞ

 コトラも一緒に声をかけてくれる。

「……」

 しかしマシロは口をつぐんだ。

 人間はまだ信用できない。仲間に子供たちも預けている。彼女の目がそう言っている。

 ソマリは困ったように笑った。

「無理に一緒に来なくてもいいよ。でも砦には君の子もいるから、気が向いたらいつか会いに来てね」

 そう返すと、彼女の目は何か言いたげだったがその瞳から言葉を読み取ることは出来なかった。

 森の奥に消えていく白猫の姿を見送ると、ソマリは立ち上がった。くるりと振り返る。

 すると目の前に老人の顔があって、ソマリは驚いて尻餅をついた。

「ソマリ。お主の力が必要だ」

「ドンスコイさん!」

 いつの間にか背後に音もなくいつぞやの老人が姿を現していたのだ。気を取り直して立ち上がると、ドンスコイは口を開いた。

「ここら一帯に飢饉ききんの兆しがある」

「飢饉?」

「ここ数ヶ月、雨が降っていないことにお主は気づいているか?」

「あー、そういえば」

「お主が以前住んでいた村でも食料の備蓄が減ってきておる。狩りでまかなっているようだが、村人全員分の肉は獲れないようでな」

 ドンスコイは困ったように長い髭を何度も撫でる。

「それでどうして俺の力が必要なの?」

「猫の力が世界を救うからだ」

「うん?」

 ドンスコイの言っている意味が分からない。

 ソマリは首をかしげた。

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