文書31 これから
窓から差し込む日差しは赤みを帯び、夕暮れ時を告げていた。
「少年、調子はどうかな?」
ふと、聞きなれた声がした。
楓が開け放たれた窓を見る。
夕日の逆光の中、シャマシュが窓枠に腰かけていた。
「ええ、お陰様で明日には退院できるそうです。
………ところでどうやってここまで?」
「面会の手続きが手間だったのでな、すこしジャンプしてみた。」
なんだ、それは。
窓から見える景色から察するに楓の病室はかなり上階にあるはずだ。
普通の人間はそんなに高く跳べない。
………まあ、シャマシュさんなら仕方ないか。
道場で一戦交えてそのふざけた身体能力を知っている楓はもうシャマシュの神出鬼没ぶりには反応しないことにした。
「ほれ、見舞いの東京ナスビだ。
グレイスの見舞いついでに買ってきた。」
枕元にきれいな紫の包装に包まれた菓子の箱を置かれる。
どうやらグレイスは東京の病院に搬送されたらしい。
………もしかして昨夜、シャマシュさんがグレイスを抱えて姿を消したのは、東京まで走っていたからだったりして。
楓の頭に突拍子もない思い付きがよぎる。
まさかと笑い飛ばしたくなるが、どこか否定できない自分がいるのに楓は気がついた。
いや、そんなことは今はどうでもよくて。
楓はグレイスが気がかりだった。
「グレイスはどうなんですか?」
シャマシュがベットの脇の丸椅子に腰を掛ける。
長身のシャマシュの重みに椅子が軋んだ。
「ああ、一応詳しい怪我の状態は公にしたくないとのご両親の意向もあるので、くれぐれも少年の級友などには口にするなよ。
奇跡的に命には別状ないらしい。
一か月ほどしたら元通りになって退院できるそうだ。
勿論、現状は話を出来る状態ではないがな。
それでというのもなんだが、あの夜について詳しく教えてもらえるかな。」
シャマシュが楓の目をしっかりと見据えた。
◆◆◆
「おけさ笠の怪人と奇妙な装束の不審者か………。」
シャマシュが顎をさすりながら思索に耽る。
「その装束については聞き覚えがあるな。
一昔前にそういった服装をした暗殺者が異能を悪用してやりたい放題暴れ回っていたと報告が上がってきた記憶がある。
その装束はポルトガル辺りの伝統行事
名は確か………"ケレオットの悪魔"だったか。」
まさかシャマシュに心当たりがあるとは思わなかった楓が目を見開く。
「何か、写真などは残っていないのでしょうか?」
シャマシュは楓の質問には答えず、懐の携帯を取り出した。
暫くの間いじっていたかと思うと、楓に差し出してくる。
楓が受け取ると、そこには昨日森の中で出会ったあの奇妙な装束の人物の絵が写っていた。
「間違いありません、この人です。」
楓は断言した。
「これは、討伐に動いた異能者の生き残りから客観的に情報を収集して描かれた似顔絵、だ。
かなり信頼性が高いそれと合致しているならば、ほぼ確定だな。
このケレオットの悪魔は凡そ十年ほど前から活動を停止してな、今もその消息は掴めておらなんだ。まさか今回の一件に関わっているとは、な。」
シャマシュは遠い目をした。
次の瞬間、シャマシュが胸に手を当てた。
「すまない。今回の一件は相手を侮っていたこの未熟者の差配の失敗だ。
まさか相手にこれほどの手練れがいるとは想定外だった。」
シャマシュが申し訳なさそうな瞳で真剣に告げる。
「これからの話なのだが、申し訳ない。少年には今回の一件から抜けて………。」
シャマシュの発言を手で遮る。
楓はそのままシャマシュの瞳をじっと見つめた。
「シャマシュさん。
グレイスがすぐには復帰できない以上、あの村で活動できる異能者は自分だけなんですよね。
だったら、続けさせてください。」
楓は願いを口にする。
自分がやらなければならない、そう楓は自覚していた。
「しかし、それは………。」
シャマシュが渋る。
楓は駄目押しとばかりに懇願した。
「勿論、自分が力不足だってことは分かっています。
それでも、お願いします。」
暫くの間、シャマシュが苦虫を嚙み潰したような顔で黙り込んだ。
その後、喉の奥から絞り出すような声で条件を出す。
「この未熟者と常に定期的に連絡を取り合うこと。
グレイスとしていた異能の鍛錬を一人でも続けること。
………そして、決して無茶はせず、様子見にだけ徹すること。
この三つが守れるのならば。」
渋々要望を聞き入れてくれたシャマシュに楓は頭を下げた。
「分かりました、お願いします。
………ありがとうございます。」
礼を告げられたシャマシュは自嘲するようにハッと鼻で笑った。
「いや、礼を言うべきなのはこの未熟者のほうだ。
この未熟者は今回の一件について実に多くの間違いを今まで重ねてきている。
その結果として少年にこれほどまでの重荷を負わせてしまうこととなった。」
どこか寂しげな、虚しげな表情でシャマシュは呟く。
◆◆◆
「まったく、自分がどれほど心配したのか分かってますか、楓!」
ヒルトルートが肩を怒らせる。
それでも車の運転が乱暴にならないのはヒルトルートの心遣いだろう。
楓が病院で目を覚ました翌日、ヒルトルートは楓を車で迎えに来ていた。
それからずっとヒルトルートはこの調子であった。
楓は何も言えず、首をすくめる。
「ごめんなさい。」
「太陽が沈んでトップリと暗くなっても連絡の一つもない!
学校に問い合わせてももう既に下校しているの一点張り!
グレイソンさんから連絡が入らなければ駐在所に届け出を出してましたよ!
もう山には近づかない、そう約束してくださいね!」
楓はふと自分が意識を取り戻した時のヒルトルートの喜び具合を思い出す。
ヒルトルートの頬にはかすかに涙の筋が残っていて、相当の心配をかけたことは明白だった。
「すみません………。」
楓は実に申し訳なくなった。
これからさらに危険な領域へと楓は足を踏み入れようとしているのだから。
車は森を抜け、村に入った。
もう既に田んぼは完全に稲刈りが終わっていて、辺り一面稲わらの茶けた景色が広がっている。
その畦道をヒルトルートの車がスイスイと進んでいく。
と、急に車が止まった。
思わず前につんのめりそうになった楓は驚いて車の前を見る。
何台ものトラックが立ち往生して止まっていた。
おかしなことだ、こんな田舎の道で。
「いったいどうしたんでしょうね?」
ヒルトルートの不思議がる声を聞きながら、楓は嫌な胸騒ぎがおさまらなかった。
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