文書20 怪奇の背後

楓は、ここ数時間で一生分の驚きを費やしてしまったかのようだった。

次々とシャマシュが明らかにする情報の量たるや、楓はすっかり圧倒されてしまっていた。

そんな楓の様子を見て取ったのか、シャマシュは苦笑した。


「何はともあれ、重要なのはこの世界がシナリオの思惑とは大いにズレており、間接的な修正も我々異能者にことごとく潰されてきたということだ。

そして、それは腹に据え置きかねるものらしい、シナリオは何度もこちらへの直接的な干渉を何度も試みてきた。」


話を本筋に戻したシャマシュの言葉選びに楓は嫌な予感がした。

これまでのシャマシュの話が真だとしたならば、シナリオとかいう存在はろくでもないものであるのは明白だった。

そんなシナリオが焦ってとる強硬手段など嫌な予感しかしない。


「………………直接的な干渉とは?」


楓は恐る恐る尋ねた。


「絶対的な厄災だ。

依代を通じてこの世界に直接降臨し、破壊の限りを尽くす。

地震や噴火、津波といった一般的な災害をはるかに上回る損害を異能めいた力で無理やり引き起こすのだ。


………概算で言えば、過半数程度の人類を死滅させる、と予想されている。」


シャマシュは一見なんともなげにそう告げた。


「な………っ。」


楓はシャマシュの語る事態の深刻さに頭がついていっていなかった。

全人類の半数以上を消滅させる、そう語るシャマシュがとんでもなく荒唐無稽に思えた。

そんなこと、いったい神でも起こしうるのだろうか。

そして、それが正しければ、なんとこの世界に住まう人間たちを蔑ろにした行為なのだろうか。

そうまでしてどうして自身の思うがままに世界を動かそうとするのだろうか。

そこまで思考を巡らせて、楓は一つ気がかりな単語に思い当たった。


「依代………………?」


そう、シャマシュが語る依り代とはいったい何なのだろう。

ろくでもないものだとは悟りながらも、楓は尋ねずにはいられなかった。


「ああ、伝え忘れておったな、シナリオは本人の望むと望まないに関わらず勝手に依代となる人間を見定めて降臨の機会を伺い続けるのだ。

そして、周囲の人間の力を借りて異能者から逃れながら頃合いを図ってその人格を破壊し乗っ取る。

実に卑怯極まりない手段だ。


そして、降臨を阻止する手段は、現状その依り代の殺害のほかはない。」


………つまり降臨が成功しようがしまいが依り代として選ばれた不幸な人間は死しか待っていないということになる。

さらに、シャマシュは降臨は"何度も"試みられたと言っていなかっただろうか。

それらが指し示すこととは………。

そこまで思い至ったところで楓は沸々と湧き上がる激情を押さえきれなくなった。


「な、なんて酷いことを!」


思わず怒気のこもった声をあげてしまう。

とどのつまり、シナリオは異能者に罪のない依り代を何人も殺させてきたというのだ。


「幸いなことに、このシナリオという存在にとってもこの直接的な干渉は相当無理のある介入らしい。

ある一定程度の間隔を空けねばならんし、依り代の適性を持つ者は相当稀だ。」


シャマシュが捕捉を入れていく。

しかし、楓は嫌な冷や汗が止まなくなった。


「しかし、降臨が行われないということはない。

今回は不幸なことにこの村の誰かが選ばれたというわけだ。」


シャマシュがどこか物悲しそうに呟いた。


「…………。」


楓は予想していた。

この村の怪奇現象にかかわりがなければシャマシュが言及するはずがない。


「そして、今この村にそれを手助けしようという輩がいる。

知っての通り異能による現実の改変は随分と強引に行われる。

それが特定の箇所で何度も繰り返し行使されると、それだけ世界に歪が生じ、筆者が依代に憑依しやすくなる特性がある。

それを逆手にとって、繰り返し繰り返し異能を使い、筆者の顕現を早めているものがこの村にいるのだ。」


それが、いったい何を指し示しているか、今の楓にははっきりと分かった。


「怪奇現象………。」


ようやくあの怪奇現象の絡繰りが明かされた。

シャマシュは追認するように頷いた。


「依代が誰かは分かっているんですか?」


ふとした疑問をぶつける。


「いや、情けないことにその事実を掴んだのはつい先日のことでな。

この未熟者も把握できていることは少ないのだ。

そこでだな、他の誰にでもないカエデ少年にやってもらいたいことがある。


この未熟者に代わってその不届き者たちを見つけ出してもらいたいのだ。」


驚くべき申し出に楓はふと疑心が生じた。

確かにシャマシュの話は分かりやすく、現状の説明にもピッタリだ。

しかし、それが正しいなんて誰もわからないのではないか?


「グレイスやシャマシュさんだけでは手が足りていないんですか?」


その疑いにまかせて疑問をぶつけていく。


「実はその通りだ。

不甲斐ないが、この未熟者は動けんのだ。

位置の特定に手間取ったからか、随分と歪が溜まってしまった。

ここまで歪が生じているとこの未熟者ほどの能力者は存在するだけで降臨の引き金を引きかねん。

今日とてかなり無理を通してやっとのことで半日だけこの村にいられるか、といったところだ。

これは増援もまたしかり。

常日頃から村で活動していて、歪をあまり生じない者しか今回の一件にあたることができないという、なんとも悩ましい事態でな。


そして、グレイス少女はまだ少し一人ではまずい。

無論、グレイス少女を信頼していないわけではないのだが、如何せん未だ経験が浅い。

誰かがそばで補佐をしてくれんと困るのだ。


それで、引き受けてくれんかね?

今は猫の手でも借りたいのだよ。」


これも、筋が通っている。文句のつけようがない。

楓は最後に直接自身の疑念をシャマシュに打ち明けてみることにした。


「確かに、シャマシュさん。あなたの話は分かりました。」


ぐっと覚悟を決め、シャマシュの目を見つめながら告げる。


「でも、………あなたを信じるにたる証しはありませんよね?」


「これは、難しいな。」


シャマシュが顎に手をあてた。


「これらシナリオの降臨の仕組みが分かったのは、過去に降臨が成功しかかったことがあるからだ。

しかし、それはカエデ少年からして大昔であるし、カエデ少年自身が体験することは当然ながらあってはならない。

この未熟者の話が正しいという照明は出来んな。


故にカエデ少年自身が判断したまえ。


私が信頼に足りぬと思うならば決別するもよし裏切るもよし潜り込むのもよし………。

カエデ少年次第だ。」


シャマシュがその真紅の瞳を楓に向ける。

透き通るようなその瞳は楓の奥深くまでを見通す様な目であった。


「………分かりました、お手伝いさせていただきたいです。

疑ってすみませんでした。」


楓はいったんはシャマシュを信用してみることにした。

どのみち、そのような惨事が起こるのだとして、それへの手掛かりはこの目の前の女性しかいないのだから。


シャマシュがパッと顔を綻ばせた。

太陽の様な暖かい笑みを浮かべて楓の背中をバンバンと叩く。


「有難い、この件については後で如何様にでも埋め合わせをしようぞ。」


シャマシュは懐から取り出した手帳の1ページを手で千切って楓に手渡した。


「これがこの未熟者の連絡先だ。グレイス少女には後で話をつけておく。

ああ、あとその刀はカエデ少年の父からの貰い物だ。

この未熟者は使うことはないし、カエデ少年が持っておくとよい。

くれぐれも官憲の類に見つからぬように保管しておきたまえ。」


シャマシュはそのまま縁側の靴を履き、傘を差しだす楓をやんわりと制止しながら雨の中に降り立った。

そのまま、境内を出ていこうとして。

ふと、シャマシュは楓に振り返った。


「ああ、最後に。」


少年の父はその異能を、


――――――――――――――"否定函数"と呼んでいた。

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